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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科21巻13号

1967年12月発行

雑誌目次

図譜・258

ケラトアカントーマ

著者: 福本寅雄 ,   本田光芳 ,   服部怜美

ページ範囲:P.1226 - P.1227

患者 74歳,男。職業会社役員。
初診 昭和41年7月20日。家族歴および既往歴 特別のことはない。

図譜・259

丹毒様癌

著者: 北村清隆 ,   熊谷武夫 ,   松原為明 ,   太田陽一

ページ範囲:P.1230 - P.1231

症例 42歳,農夫。初診 昭和41年4月11日。
家族歴 特別のことはない。既往歴 25歳,胆嚢炎。

展望

形態学

著者: 相模成一郎

ページ範囲:P.1233 - P.1243

はじめに
 生体を構成する組織や細胞の形態と生物学的機能との橋渡し,いいかえると,形態のもつ生物学的意義についてはVirchow以来多くの疑問が残されてきた。これらの疑問を解くためにいろいろの努力がなされてきたのである。細胞化学,位相差顕微鏡,紫外線顕微鏡,電子顕微鏡,X線顕微鏡,X線回析などの開発や応用がそれである。これらの形態学的手技は,それぞれの特長的形態を顕示すること以上に,形態のもつ生化学的知識や機能との関連性に重要な役割を果たしてきたのである。細胞の超遠沈分劃法が生化学と形態学との距離を短かくした功績も見逃すことはできないが一方,生化学からみた場合にも形態学がその進歩に貢献してきたことは大きい。例えば,角質や膠原線維の立体構造をX線回析像によつて決定しているのもその1つである1)
 さて,わが皮膚科学領域に於いても,いろいろの形態学的手技の導入によって新しい知見が加えられ,形態の記載が主である皮膚科臨床学にも影響が齎らされ,古典的皮膚科学における名称にも科学的裏付けがより強くなつてきている。鞏皮症が新しい観点から考えられるようになつた2)のもそのためであり,帯状庖疹と水痘との臨床的定義はなお存在していても,その原因は同一のウイルスに因ることを否定する者はない。19世紀末から本世紀はじめにかけての多くの紅斑を統一して命名したHebra3)の多形滲出性紅斑ですら,ウイルス疹,薬疹などの観点から見なおそうとの試みがなされている4)ことは,形態だけに依存している皮膚科臨床学の弱点を自ら露呈している証左ともとれ,同時に,形態のもつ生物学的意味を知ろうとする欲求のあらわれでもあるといえよう。更にまた,ヘマトキシリン・エオジン染色による有棘細胞癌の悪性度の判定や表皮内癌と基底細胞癌との鑑別診断の可能性だけで皮膚科医が満足していてよいのであろうかとの疑問は,癌の本態が明白でない事実に基因しているほかに,臨床治療学のみが皮膚科学のすべてでないとの命題からも当然であろう。この疑問がここに有棘細胞癌の一症例を中心にして,その組織形態を主に記載しながら形態学についての展望を試みる所以である。

シンポジウム アトピー性皮膚炎をめぐる諸問題

アトピー性皮膚炎をめぐる諸問題—序言

著者: 野口義圀

ページ範囲:P.1246 - P.1248

 戦後導入されたアトピー性皮膚炎という概念は一見自家薬籠中の物となつた感がある。少くとも皮膚病名としてお馴染になつたことは確かである。だが良く考えてみると,未だどこかに腑に落ちない点のあることも確かである。
 アトピー性皮膚炎(または湿疹)に関しては増田1)の綜説に詳細を極めているが,これは半面アトピー性皮膚炎に対する見解が多様多彩であることを物語るものである。周知のごとくアトピー(atopy)はCoca (1923)の創意による名称で,即時型のアレルギーに与えられたもので,友人であるコロンビア大学言語学教授E.D. Perryの提案によるともいわれている2)。またアトピーとはアレルギー乃至過敏性(hypersensitivity)反応の即時型であつて血清抗体によつて仲介され,人間にも下等動物的にもみられたるのでCoca and Sulzberger (1922)によつて創造された言葉であるともいわれる3)。これは家族型のアレルギーでその周期性,可逆性,浮腫及び平滑筋痙攣を特色とする。

アトピー性皮膚炎をめぐる諸問題—内科医の立場から

著者: 川上保雄

ページ範囲:P.1249 - P.1250

 今日のアレルギー学においてアトピーという言葉が最も頻繁に用いられているのは皮膚科領域のように思われる。私は内科畠の人間なので,皮膚科に用いられているアトピー概念の正確なことはもちろん知らないが,いわゆるアトピー性皮膚炎と気管支喘息との密接な関係は多数の人から指摘されているとおりである。そこでアレルギーを研究している一内科医からうかがいみたアトピー性皮膚炎をめぐる問題について,2,3の意見を述べてみたいと思う。

乳児湿疹における胸腺

著者: 廻神輝家

ページ範囲:P.1251 - P.1256

 胸腺に関する研究はMiller等により一段と発展をみせ胸腺の機能が解明されつつある。乳児湿疹は生後2〜3ヵ月に発症してくることが多く,しかもその約70〜80%がアトピー性皮膚炎といわれている。この乳児湿疹において免疫機構に重大な関係を有つている胸腺がどのような役割を果しているかは明らかにされていない。かつて小嶋1)は副腎の機能の異常と乳児湿疹の発症との間に何らかの関係があることを想像して論文を発表した。一方諸家の報告にもあるように胸腺と副腎とは緊密な関係にあるといわれている。即ち乳児湿疹において胸腺がどの様な態度を示しているかを追求するのがこの研究の目的である。

線溶系(プラスミン系)からみたアトピー,特にキニン形成の観点を含めて

著者: 山本一哉

ページ範囲:P.1257 - P.1263

 これから述べる内容は,これを3つに大別して話をすすめたいと思う。即ち,まず始めに線維素溶解酵素系(線溶系),つまりプラスミン系とキニン系との関連,次にプラスミン系の発生学的問題最後に小児湿疹,ことにアトピー性皮膚炎において見られるプラスミン系の変化とその意味という順に触れたい。

実験的アレルギー性接触皮膚炎における細胞抗体以外の因子について

著者: 宮沢偵二

ページ範囲:P.1264 - P.1272

はじめに
 このシンポジウムを企劃されました野口教授はシンポジウムの目的の中で次のように私達に呼びかけております。「アトピー(即時型アレルギー)と皮膚炎乃至湿疹(遅延型アレルギー)との結びつきには疑問の点が多くあります。無γ—グロブリン血症にさへ,アトピー性皮膚炎が発生する事実はこの病名そのものが奇妙に思われます……」。この短い文章の中にアトピー性皮膚炎が持つ多くのこれから解決されなければならない問題が含まれておると思います。
「アトピー性皮膚炎」を字句から解釈するならば,アトピーとは即時型アレルギーであり,それは血清内にレアギン抗体を有することを意味するものであります。したがつて,アトピー性皮膚炎とは血清抗体を有する即時型アレルギー性皮膚炎ということになります。しかし現在,皮膚炎あるいは湿疹は,野口教授の呼びかけにもありますように遅延型アレルギーの代表的なものとされております。こうなりますと,アトピー性皮膚炎は2つの相反する即時型アレルギーと遅延型アレルギーが一緒になつたようなもので,言いかえれば,蕁麻疹性湿疹ともいうべき,まことに奇妙なものとなつてまいります。

アトピー性皮膚炎の発生病理の考察

著者: 笹川正二

ページ範囲:P.1273 - P.1277

 アトピー性皮膚炎がどうして発生するかということについては,既に多くの人によつていろいろな考えが述べられているが,未だにはつきりした結論は下されない現状である。本症が気管支喘息,アレルギー性鼻炎,枯草熱と共にアトピー性疾患に属することは衆知の事実であり,血中抗体としてレアギンの存在が認められるが,即時皮内反応で陽性を示す食餌や環境抗原がアトピー性皮膚炎を起す直接の原因でないことが多く,抗原を除去しても皮膚炎は軽快しないのが普通で,アトピー性皮膚炎の発生病理にアレルギーがどの程度関与しているかという疑問を誰もがいだくわけである。われわれは昭和23年から小児乾燥型湿疹の研究をはじめ,この疾患がアトピー性であることに気付き,その発生病理を考究するうちにアトピー性皮膚炎についても研究するようになつて今日に及んでいるが,われわれの考えるアトピー性皮膚炎の発生病理をここに述べて,御批判を頂きたいと思う。
 小児乾燥型湿疹については今までにも東京地方会でも述べ1),日本皮膚科学会雑誌2)などにも掲載したので御存知の方が多いことと思うが,はじめ北村包彦先生はいわゆる小児湿疹のなかに皮膚が乾燥した痩型の幼小児の躯幹を主として粟粒大小丘疹が集簇して局面をなし,湿潤することなく,瘙痒の劇しいものがあるのに気付き,小児湿疹の1型として局面性苔癬状落屑性湿疹と命名して,その存在を提唱され,そして引つづき研究を進めるよう命じられた。さてはじめのうちは本症がどのくらい症例が見られ,そして臨床的に小児湿疹の1型といえるかという点を調べたが,目がなれてくるとかなりの数の症例があつまり,昭和30年度には55例,外来患者の0.42%小児湿疹の8.8%を占めた。そして昭和23年から昭和30年までに138例の本症があつまり,これについていろいろ経過を見ながら検査をするうちに特に目立つたことは発病は0〜3才までにそのほとんどが発病し,病院に受疹するものは0〜6才までが大部分を占め,症状の悪化するのは秋から冬のはじめで,冬中つづいて翌年春になつて軽快する例が多く,そして夏でもよく見れば多少丘疹が見られるが,ほとんどの例で夏は冬に比して軽く,瘙痒を訴えないことや,皮疹の性状は粟粒大の個疹が融合せず,ほぼ一定の間隔を保ち集簇して局面をなすが,時に局面が不明瞭で播種状に生じた例もあり,この間に移行が見られ,その後病名について,必ずしも局面をつくらぬこと,また病名が長いため一般に使うときに覚えにくい点を考慮し,乳幼児の湿疹が普通湿潤傾向が強いのに反して,本症は乾燥して湿潤しないことが最も特徴的である点を強調して小児乾燥型湿疹あるいは小児湿疹,乾燥型と呼ぶようになつた。そしてスンプ法で検査すると大部分の丘疹は中心に毳毛を認め,毛嚢一致性であることが分つた。また組織学的にも毛嚢を中心に海綿状態や小水庖が見られ,真皮ではリンパ球性細胞浸潤を認めたが,ここで問題になるのは臨床的に全く湿潤傾向がないのに組織像で表皮内小水庖が見られたことでわれわれは掻破などによる二次的湿疹化も考えたが,むしろ滲出傾向が少いためにすぐ乾燥してしまい,臨床的に湿潤しないと考えて,組織学的にも湿疹の範疇に入れて誤りでないとした。

討論

ページ範囲:P.1278 - P.1279

 笹川正二:(1)アトピー性皮膚炎では皮内反応が陽性でも,それが皮膚炎の原因と考えられないことが多いが,気管支喘息のとき皮内反応陽性のものが,何%ぐらい喘息の原因であるでしようか,
 川上保雄:皮内反応陽性のものが,直ちにアレルゲンとは断定できない。皮膚反応陽性は感作された状態を示すものと考えられる。陽性の頻度は,ほぼ40〜50%である。

原著

蛋白分解酵素Pronase-Pの実験的アレルギー性接触皮膚炎の成立に及ぼす役割—第1報

著者: 宮沢偵二

ページ範囲:P.1283 - P.1288

はじめに
 アレルギー性接触皮膚炎の発生機序の解明の1つとして,蛋白分解酵素Pronase-Pをとりあげた。該酵素がアレルギー性接触皮膚炎の成立に何らかの役割を演ずるかどうかを先づ検討したので,その成績について報告する。

検査法

癩の診断と検査法

著者: 肥田野信

ページ範囲:P.1297 - P.1301

はじめに
 癩の診断は一般の皮膚科的疾患の診断といささか趣を異にするところがある。第1にはその診断が患者個人に与える重大性であり,第2にはそれが皮膚症状,神経症状,手足の変形等多岐にわたるもので,皮膚症状を伴わないことも少くない点である。
 治癩剤の発達によつて癩の予後が著しく好転した今日,患者が癩と診断されることによつてこうむる影響は昔ほど深刻でない筈とはいうものの,なおその診断をうけたが為に自殺をはかつたりすることもあり,又療養所に隔離されることともなれば,その家庭が破壊されるとはいわないまでも重大な変化を余儀なくされるのが現状である。社会の,癩に対する偏見のなお少くない今日,患者個人とその家族の将来に様々の陰影をなげかける点,癌の診断を告げるより更に慎重な考慮が必要とさえいえよう。

故谷村忠保先生追悼

谷村忠保先生を偲ぶ

著者: 藤浪得二

ページ範囲:P.1302 - P.1303

 谷村忠保先生は昭和42年11月6日午前8時29分卒然他界されました。かねて肺気腫を患つておられたところに心不全が加わつた為,死期を早められたと承つています。本年6月先生の喜寿の宴には御令息保夫氏令夫人(吉田常雄国立大阪病院々長の御息女)の手に縋るようにして出席されましたが,それでもお元気で,まだまだ長生きされるものとばかり思つておりました。
 先生は明治24年10月22日,奈良県御所市櫛羅に御誕生になりました。私との交渉は先生の御退官(昭和30年3月)から1年余りを経た昭和31年8月から始まつたものでした。始めて間近に先生をお見受した私には謹厳な古武士といつた印象を受けました。他学(京大)出身の私を心よく迎えていただいて限りなく嬉しかつたことは今もつて忘れることが出来ません。

教室紹介

大阪大学/大阪医科大学

著者: 奥村雄司

ページ範囲:P.1304 - P.1305

教室の歴史
 当教室は明治36年に,府立大阪医学校の中で,皮膚病,花柳病学(皮華科)の講座が開講され,桜根孝之進教授が就任されたことに始まる。後,大阪府立医科大学(大正4年)大阪帝国大学医学部(昭和6年)および大阪大学医学部(昭和22年)の皮泌科と経過するうち,佐谷有吉教授(大正15年),山田司郎教授(昭和2年),谷村忠保教授(昭和16年)が歴任された。昭和31年8月に藤浪得二教授が就任されるに際し,皮膚科と泌尿器科は分離し,各々の分野に専心することとなつた。藤浪教授は組織培養特に腫瘍組織培養を始めとする幾多の研究業績に加えて,昭和34年1月「皮膚病図説」誌(季刊)発行,同年5月「皮膚」誌(季刊)発行(昭和35年には日本皮膚科学会大阪地方会機関誌となる)。昭和35年4月,第59回日本皮膚科学会総会を昭和38年4月,第16回日本医学総会第29分科会を,夫々,会頭藤浪教授にて,大阪で開催された。終始一貫「人の和」を重視された藤浪教授の方針で,教室員のチームワークは非常によく,多数の皮膚科専門医を世に送り出しつつ現在にいたつている。

外国文献

外国文献—専門誌から

ページ範囲:P.1306 - P.1306

THE JOURNAL OF INVESTIGATIVE DERMATOLOGY 47:3, September, 1966
The Demonstration of Cellular Components of Pyococci in the Tissues of Some Skin Lesions : S. Imamura and S. Ofuji 177
Psoriasis and Dietary Fat : The Fatty Acid Composition of Surface and Scale (Ether-Soluble) Lipids : D. I. Wilkinson 185

〈原著論文抄録〉

蛋白分解酵素Pronase-Pの実験的アレルギー性接触皮膚炎の成立におよぼす役割—第1報

著者: 宮沢偵二

ページ範囲:P.1313 - P.1313

 0.1%チメロサール軟膏を海猽側腹部皮膚に30日間塗擦しても,皮膚炎は発生しない。この軟膏にPronase-Pを加えると,2〜3週間後に被験動物の83%に皮膚炎が発生する。この皮膚炎の発生した海猽の反対側腹健康皮膚に0.1%チメロサール軟膏を塗擦すると4日後に皮膚炎が発生する。組織学的にアカントーゼ許りでなく,スポンギオーゼ,小水症を証明し,また毛嚢あるいはその周辺の表皮に水銀を証明した。Pronase-P軟膏にも同様の成績が得られた。その頻度,その程度は弱い。
 抗体産生抑制作用を有するcyclophosphamicleで前処置すると,皮膚炎の発生は低下する。

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臨床皮膚科 第21巻 総索引

ページ範囲:P. - P.

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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