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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科21巻3号

1967年03月発行

雑誌目次

皮膚科図譜・240

スポロトリクム症

著者: 柳沢千鶴代

ページ範囲:P.222 - P.223

患者 56歳女,東京都在住。
初診 昭和41年4月8日。

皮膚科図譜・241

ボーエン病

著者: 橋本梁

ページ範囲:P.224 - P.225

患者 59歳,男,農業。
家族歴 父の同胞10人中胃癌で3人が死亡。

綜説

皮膚とビタミン

著者: 麻生和雄

ページ範囲:P.227 - P.240

I.はじめに
 1940年頃までに大きな発展を遂げたビタミン領域は最近新しい分野で再び活発な活動をおこなつている。放射性ビタミンや抗ビタミンを用いての研究がそれである。Kühnau1)は予期しなかつた方向からビタミン領域にfruchtbarer Impulusがくわえられたとのべているが,最近の放射性ビタミンや抗ビタミンを駆使しての研究は生化学的代謝機構の解明,抗生物質,抗癌物質の開発に大きな成果をあげた。皮膚科領域のビタミンにふれるまえに,この問題をはじめにとりあげてみたい。
 Somogyi2)は抗ビタミンをビタミン効果を特殊な方法で減少させるか,消失させるものと定義しているが,抗ビタミンがはじめて注目されたのは1940年のWoodsらのsulfonamideのパラアミノ安息香酸に対する抗ビタミン作用からであろう。以後多くの抗ビタミンが開発されいままで容易でなかつたビタミンの欠乏症状が人や動物で容易に観察されるようになつたばかりでなく,治療にも用いられ,このなかにducumarol(K1),aminopterine(葉酸),amprolium(B1),sul-fonamide(PABA),tetracycline, atebrine(B2),INAH(B6,ニコチン酸),サイクロセリン(B6)などがある。INAHを例にとつてみよう。INAHは同時に2つのビタミンに拮抗する特異なものでB6とはpyridoxal phosphateとSchiff塩基をつくりヒドラゾンを形成するゆえに,ニコチン酸とはニコチン酸を構成因子とするNAD(nicotinamide adenine dinucleotide)のニコチン酸部分を駆逐,isonicotinic acid hydrazide-dinucleotideをつくり結核菌のB6,NADの代謝障害を来す。INAH長期連用によつて人にB6,ニコチン酸欠乏症状が発生し,B6,ニコチン酸投与によつて治療しえる。ヒスタミンの抗NAD作用も臨床面から興味があり,Kühnau1)はヒスタミンはNADのニコチン酸部分にとりこまれるが(第1図),アレルギー,アナフイラキシー時に生体から遊離されるヒスタミンがこの様な機構で不活性化されうる可能性もあると考えている。放射性ビタミンによるビタミン代謝の解明に果した役割も大きくその多くの実例はのちにふれることができると思う。

原著

手指皮膚炎の諸原因,特にその検索法について

著者: 石原勝 ,   木根淵承一

ページ範囲:P.241 - P.252

Ⅰ.はじめに
 手指皮膚炎(手指湿疹)の原因は諸家によつて種々検討され,その成因についても多くの論議があるが,今日未だに定説を得ない。これは,
1)手指皮膚炎の定義が一定せず,

Darier病にみられる灰白色斑について—その初発疹としての意義の検討

著者: 森嶋隆文 ,   林輝信

ページ範囲:P.253 - P.260

Ⅰ.はじめに
 本邦におけるDarier病の経験は,大正11年松本,日高の第1例以来現在に至るまでに約100例を数え,その臨床的並びに組織学的研究に関しては,日高1),広田2),谷村3),山田4),和田5),山本・大矢7),柏村8),須賀9),高石10),橋爪11),原田12),小野・寺山13)等,多数の業績をみるにもかかわらず,本症の初発疹に関しては日高1)の論文をあげうるのみである。
 最近われわれは,頭部,顔面,頸部,上背部,下腹部等に本症の定型的病像を有する患者の体幹並びに四肢の近位端に,日高のいわゆる原発疹に相当する灰白色斑を併発した症例を観察する機会を得た。そこで,かかる灰白色斑が初発疹か,あるいはAcrokeratosis verruciformis Hopf様皮疹と同様に,本症の不全型となすべきかについて,自験例を記載すると共に,文献的考察を加えつつ検討してみたい。

Pseudoglandular Squamous Cell Carcinomaの1例

著者: 藤沢竜一

ページ範囲:P.261 - P.267

I.はじめに
 原発性皮膚癌の中に,特異な組織像を呈する偽腺様有棘細胞癌(pseudoglandular squamouscell carcinoma)があり,現在,一般に有棘細胞癌の1型とされている。最近経験した本症の1例を報告し,簡単に文献的考察を行ないたい。

胃粘膜疹を伴つた第2期梅毒

著者: 岡本昭二 ,   原紀道 ,   伊藤光政

ページ範囲:P.269 - P.276

I.はじめに
 第2期梅毒において,胃に梅毒性病変が出現するか否かについては従来より賛否両論がある。胃梅毒といわれる変化はそのほとんどが第3期梅毒のゴム腫性,あるいは胃粘膜線維性肥厚変化であり,1827年Andralの報告以来数多くの症例もこれに属する。本邦では細井1)によると明治19年片山の報告以来昭和9年までに既に71例の報告がみられるが,いずれも梅毒性変化と明らかに確認されたものは少ない。胃癌の診断の下に胃切除をおこない組織学的に梅毒性病変を確認した木村2)および細井の症例も第3期梅毒性変化であつた。Gigon3)(1931)は胃梅毒を病理解剖学的および臨床的所見を加味して,(1)梅毒性胃炎,(2)限局性胃ゴム腫および(3)胃粘膜瀰漫性線維性肥厚の3群に分類している。(2)(3)は晩期梅毒の胃病変であるが,(1)のいわゆる梅毒性胃炎は早期梅毒にみられる低酸症性汎発性胃炎の型の機能的胃症状であつて,梅毒感染に基づく特異的な器質的な病変ではないと考えるものが多い(Konjetzny4),Fetzer)。しかしStokes5)は230例の早期梅毒にも約8%の胃症状がみられるというが,彼らもかかる胃炎は梅毒性の変化だとは考えていない。木村は胃に器質的変化を有せず,胃痛,嘔吐,食欲不振などの症状を示すものは全身症状の一分症であつて胃壁に梅毒性変化を生じた胃梅毒とはおのずから別個に考えるべきものと説いている。
 今回われわれは皮膚に第2期梅毒の丘疹性発疹を生じ,レ線撮影,および胃カメラ検査により胃肉腫を疑つたほどの胃粘膜に梅毒性器質性病変を発見した例に遭遇し,組織学的にも胃梅毒と診断することができたのでここに報告する。

再感染梅毒の1例

著者: 皆見省吾

ページ範囲:P.277 - P.277

I.まえがき
 梅毒に再感染の存することは昔から唱えられておるが,これに遭遇することは稀である。今回これに接したので報告する。

検査法

皮膚機能検査法

著者: 荒川忠良 ,   武田克之

ページ範囲:P.281 - P.293

I.皮膚機能検査法
 皮膚科領域において,その生理機能方面についての検索は極めて立遅れた現状にある。したがつてわれわれはこの方面における基礎づけを行なうべく,先ず機能検査法の検討を行い,次いで諸機能の生理的な変動を追求し(部位的差異,性別による相違,年令的変動,季節的推移,月間および日間の動揺),これらの変化の様相と各種皮膚疾患の関連,さらに内部諸臓器機能障害ならびに実験的な内臓異常状態時の皮膚機能の変動を検討している。現在私らが,徳島大学附属病院中央検査室でroutineとして施行し,教室で常用している皮膚機能検査法を皮膚生理機能のそれを中心に記載する(第1表)。

薬剤

皮膚科領域におけるインドメサシンの使用経験

著者: 白取昭 ,   多田慶介 ,   西谷錦雄 ,   波戸東洋男 ,   嶋崎匡 ,   佐々木孝雄 ,   川岸悦郎 ,   西谷道子 ,   中村準之助 ,   小野塚佝 ,   岩田美恵子 ,   芝木秀臣 ,   中根幸雄 ,   佐藤恒

ページ範囲:P.295 - P.303

I.まえがき
 インダシン(Indomethacinの商品名)は1963年頃から非ステロイド消炎・鎮痛剤として臨床的に用いられ,主として整形外科領域においてリウマチ性疾患の治療に応用されてその優れた治療成績が相次いで報告されている。そして,それらの報告はいずれも従来のいわゆる抗リウマチ剤であるsalicylate,phenylbutazone,chloro-quineに比し,インダシンの消炎,鎮痛,解熱作用がより優れ,しかもcorticosteroidのごとく重篤な副作用発現の虞れのないことを述べている。かかる薬剤の出現は各科領域において古くから待望されており,皮膚科領域においても例外ではなく,本剤に期待するところが実に大である。
 われわれはこのたび,日本メルク万有株式会社からインダシンの提供をうけ,2,3の皮膚疾患に試用する機会を得,みとむべき効果をおさめたので,その成績について報告する。

印象記

日本皮膚科学会第17回中部連合地方会印象記

著者: 栗原善夫

ページ範囲:P.304 - P.307

 日本皮膚科学会第17回中部連合地方会は関西医大大原一枝教授会長の下に昭和41年10月29, 30日の両日にわたり関西医大の講堂において開催された。今回は特別講演,一般演題,スライド供覧のほかに2つのシンポジウムが企画されて,本連合地方会としては初の1日半の学会となつた。

随筆

太田正雄教授のこと

著者: 北村包彦

ページ範囲:P.309 - P.309

"……此情勢の下にては何よりも朝聞道夕死可矣と云ふ文句が身にしみ,別に方向を転ぜず,従来の業務及研究を継続いたし居候……"
 これは昭和20年5月東京から長崎の私へ寄せられた故太田正雄教授の葉書で,岩波版の木下杢太郎全集第12巻,書簡の部に収められているものの一齣である。終戦3カ月前これを書かれた心境が偲ばれるが,全集の同じ巻,昭和19, 20年の日記には当時東京での生活が写され,冬の夜,厳しい寒気の中で屡々空襲警報に脅かされたことなどが出ている。

思いつくまま

思いつくまま

著者: 清寺真

ページ範囲:P.310 - P.310

 「師というものは弟子に自分の身体を分けてやるものだ」先年こんな事を言われた事があります。聞いた当時は,そう感じ入つたという事も無かつたのですが,最近しみじみそういうものかなと思えてきました。勿論師匠が意識的に分けてやる等という事はあり得べくもない事であつて,これは弟子の方で先生の色々な面を真似する(言葉が少し適当でないと思いますが)ものだという事では無いだろうかと自分勝手に考えています。
 東西の歴史に照してみても,偉人といわれた人には立派なお弟子さんが大勢おいでになります。これは先生はお偉いとして,そのお弟子さん達も,矢張り大いに勉学に励み,努力され,先生の教えを拳々服膺して,自らの言行を慎しまれたからだと思います。日々の自分を律している何ものかを,いつもは別に意識しないでいるのに,或る時ひよつと,考えてみたり,思いついたりしてみますと,それが嘗で教えを受けた事のある先生の真似である事に気が付く事があります。唯少し気になる事は,私が嘗て先生から教えを受けたその当時と現在とが,色々な面で余りに違いすぎて,恐らく私が先生から受けた時の感じとは大部違つた様にとられているのでないかと感ずる事があります。嘗て「こうして毎日4年以上も一緒にいて,勉強し,同じ家にも住んでいた事もあるのに,君を完全に米国式の物の考え方をする様に変える事は出来なかつた」と言われ,いささか驚いた事があります。こちらにしてみれば,日本に生れ,育つた30年,その私がそう簡単に変えられたんじやあかなわないと思つた事を憶えています。然し変らないという事は変つたという事であつて,矢張り私のものの考え方が色々な面で影響を受けている事も事実だと思います。

教室紹介

長崎大学/弘前大学

著者: 今福武

ページ範囲:P.312 - P.313

教室の歴史
 本学は安政4年にポンペにより開講されたもので,彼は当時長崎における性病の蔓延を憤り種々の対策を講じ,検梅を実施したが,性病対策は明治初年より衛生行政中に含まれ,さらに外科学の1分科として取扱はれるようになり,田代正教諭が長崎医学校時代以後講座を分担された。
 明治40年10月に長崎医学専問学校が整備され,須藤謙治教授が外科学教授として,主として皮膚病および梅毒病学を分担されて以来,独立の要請が強くなり,大正2年須藤教授の辞任後,青木大勇先生が大正3年5月23日に専任教授として着任されここにはじめて教室が独立しました。爾後,笹川正男教授,広田康教授,加藤泰教授,駒屋銀治教授,高橋信吉教授,北村包彦教授,北村精一教授,現野北通夫教授まで9代,教室独立後53年の歴史を有しております。現在まで教室の辿つた道は決して平担なものでなく,ことに北村包彦教授の時代は支那事変につぐ大東亜戦争と内外共に多難な時代で,ことにその終りには原爆により母校は全く壊滅的な被害をこうむり,教授御自身も被爆される憂き目にあわれましたが,昭和21年に東大に転出され,後任に北村精一教授を迎えました。教授は研究室すらなかつた教室を再建され,厖大な研究業績をあげられると共に,種々の要職を歴任され,存続すら危ぶまれた母校を見事に復興された恩人で,昭和35年には泌尿器科が分離されて,岐阜医大より近藤厚教授を迎え,同年8月1日,現野北通夫教授が皮膚科講座を担当されて現在に至つております。

外国文献

外国文献—専門誌から/外国文献—一般誌から

ページ範囲:P.316 - P.319

ACTA DERMATO-VENEREOLOGICA 46: 2-3, 1966
Electroencephalographic Recordings From Actively Sensitized Animals After Various Routes of Challenge: G. Eriksson and U. Söderberg 115
The Epidemic of Polymorph Toxic Ery thema in the Netherlands in 1960: J.W.H. Mali and K.E. Malten 123

〈原著論文抄録〉

手指皮膚炎の諸原因,特にその検索法について,他

著者: 石原勝 ,   木根淵承一

ページ範囲:P. - P.

 手指に限局して湿疹皮膚炎病巣を示す症例を手指皮膚炎と定義し,特殊型としてゴム手袋,時計バンド,指輪皮膚炎を挙げた。本症の約8割は女性であり,特に20〜30歳台に多発し,夏期に発症,増悪する症例が多かつた。
 本症の成因として日常の諸接触物質を重視すべきではないかと考えて,A.環境諸因子の調査,B.病巣のpatternと原因物体との関係,並びに,C.診断用諸検査(貼付,貼付照射,液浸,使用試験)による検討を併行施行した。その結果本症の典型的42例のうち15例に原因又は増悪因子を考えうる物体を検出したが,原因検出の端緒となつた検査法はA(53.8%),C(30.8%),B(15.4%)の順序であつた。貼付試験のうち,一般症例に比し,本症に特に高率の陽性反応を示したのはゴム,金属類,フオルマリン等であり,これらを含有する諸物質を成因上重視せねばならないが,貼付試験の結果のみで原因物体を明らかにすることは屡々困難である。事実本症患者の87.5%は貼付試験上何らかの化学物質に陽性反応を示している。

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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