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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科21巻8号

1967年07月発行

雑誌目次

図譜・248

結節性筋膜炎

著者: 佐藤良夫 ,   北見敏郎

ページ範囲:P.750 - P.751

患者 36歳の女子。
初診 昭和41年3月23日。

図譜・249

Adeno-Acanthomaの1例

著者: 高梨雄蔵

ページ範囲:P.752 - P.753

患者 70歳,男。
初診 昭和41年1月18日。

綜説

アトピー性皮膚炎

著者: 浜口次生

ページ範囲:P.755 - P.763

 人における自然発生的な過敏症をアトピーと呼んだのはCocaであるが,1933年,Wise,Sulz-bergerはそれに関連ある皮膚の炎症性病変をAtopic dermatitisと称した。1940年のSulzb-ergerの著書Dermatologic Allergyにおいては,本症をアレルギーの立場から接触性皮膚炎に対比的な,極めて明確な概念として詳細に記載している。Landsteinerらの非蛋白性単純化学物質抗原に関する研究の進展する以前にも,もとよりアレルギーに関する概念も異なつたものではあつたが,この接触性皮膚炎とアトピー性皮膚炎(以下AD)といつた対比的なものの存在は,既にBlumenthal,JafféのEkzem und Idiosyn-krasie(1933年)ににおいても示唆されていたとみてよいであろう。湿疹ないし皮膚炎という一応形態学的に規定された病変の解明には,一方には接触アレルギーの機序の解明から進んで環境物質を広範かつ微細にわたつて知ると共に,他方にはアトピーにおける皮膚素因あるいは皮膚感作抗体,レアギンの意義を究明しなければならない。しかもADにおいてすら,接触性要素と無関係ではありえないのである。
 本症が本来,従来の記載皮膚科学的な病名とはやや趣を異にした存在である結果,本症と同義語と解される病名は極めて多数である。例えばendogenes Ekzem(Korting1)),Neuroder-mitis disseminata,Prurigo diathesique Bes-nier,früh-,spätexsudatives Fkzematoid,Eczéma constitutionnel(Brocq)等がある。その他にも同義またはそれに準ずるものとしていろいろあげられ,そこに諸家の解釈の相違をみるのであるが,ここにはADの位置に関する一つの見解として伊藤(実)博士2)の分類を掲げる。

展望

Lichen Amyloidosusのアミロイドについて—アミロイドの本態並びにその成因の考察

著者: 鈴木啓之 ,   今川一郎 ,   市村久美子 ,   横川千秋

ページ範囲:P.765 - P.770

 アミロイド(類澱粉)なる名称は,病理組織学的に澱粉と類似した性質をもつ物質に,1854年VirchowがAmyloide Substanzと命名したのに始まる。かかる物質が皮膚に沈着を来たす場合もまま観察され,そのうちLichen amyloido-susと呼ばれる病形は皮膚科医が稀ならず経験するところである。Lichen amyloidosusは1930年Freudenthal2)により始めて唱えられ,臨床的には多彩な症状を呈し,病理組織学的には真皮,とくに乳頭層ないしはその附近に,均質無構造の所謂アミロイドが沈着するのをもつて特徴とする。森嶋ら3)は1960年以降本疾患の本邦観察例が急激に増加していることを指摘したところ,中川ら4)は全身性アミロイド症もまた本邦において1959年以後急激に増加し,その頻度は西欧諸国に接近ないし追いぬくほどになつたと報告している。中川ら4)は全身性アミロイド症の最近の増加は,日本人の食習慣の変化,すなわち高蛋白高脂肪食が大きい要因をなすのであろうと推定している。
 然しながら,該物質の組成や成因等に関しては未解決の面が多く,Lichen amyloidosusの際に真皮上層に沈着するアミロイドについては,さらになお不明の点が多い。以下にLichen amyloid-osusのアミロイドの化学的組成,組織化学的性状,免疫血清学的所見,形態学的構造,該物質の本態並びにその成因について,全身性アミロイド症および実験的アミロイド症のそれと比較しつつ文献的考察を試みたい。

原著

Mucinosis Follicularis

著者: 川田陽弘 ,   上野賢一 ,   吉田実夫

ページ範囲:P.771 - P.777

 本症は1957年Pinkus1)及びBraun-Falco2)によつて一疾患単位としての概念が明確に規定され,それ以後世界の諸地域から比較的多くの報告がみられるようになつた。そしてPlotnikら3)の最近の集計(1965)によれば既に90例にも及んでいる。本邦においては鳴海4),亀井ら5)の各1例の報告以来朝田ら6),松中ら7)の原著がみられ,また昭和41年度の総会に福代ら8),田中ら9)によつて本症の症例が供覧された。著者らもその1例を経験しているので,ここに追加報告することにした。

悪性血管内皮細胞腫について

著者: 坂本邦樹

ページ範囲:P.779 - P.788

症例
 患者 74歳,女,郵便局員家族。
 初診 昭和41年7月21日。

Fox-Fordyce病の2例

著者: 橋本功 ,   山内哲 ,   鷹觜研一 ,   工藤素彦

ページ範囲:P.789 - P.795

緒言
 本症は1902年Fox and Fordyce1)によりはじめて記載された疾患で,本邦では王2)の報告をもつて最初とするが1965年三宅3)はその後に報告された83例を一括して詳細な臨床的観察を行なつている。
 本症はその診断が容易である反面,病因がまだ充分に解明されていないこと,特効的治療法ないし予防法が未だ確立されていないことなどが今後の問題点であると思われる。

悪性淋巴腫の電子顕微鏡像—特に抗癌剤使用時における内部微細構造の変化

著者: 岩屋利勝 ,   石原和之

ページ範囲:P.797 - P.804

Ⅰ.はじめに
 皮膚に発生した悪性淋巴腫の電子顕微鏡的研究には,若干の報告1)〜4),藤田,野口,辻村等のそれがあるが治療中における腫瘤について,治療前のそれと比較検討した報告は,筆者の知る限りでは認められない様である。しかし,今回,我々は光学顕微鏡で,細網肉腫の像を呈する2,3の症例について電子顕微鏡に依る観察を試みた結果,治療前に比較して,核膜の一部に興味ある所見を得たので報告する。

約1年間ステロイド内服療法を受けた生毛部白癬の1例

著者: 宮沢偵二 ,   熊坂鉄郎

ページ範囲:P.805 - P.809

 約1年近く,ステロイド内服療法を受けていた白癬の1例を経験した。本症例は白癬に対する副腎皮質ホルモンの影響という純医学的な面ばかりでなく,医療はどうあるべきかの問題をも内蔵しており,我々に教えるところが大であると考えるので,ここに報告する。

検査法

パッチテスト

著者: 小林健正

ページ範囲:P.811 - P.819

 我々が接触皮膚炎患者を診察するに当つて,治療方針,予後,再発防止の観点から最も大切なことは注意深く記録した病歴と発疹の部位,形態,経過の観察とにより原因々子を探知することにある。しかし我々の生活環境には接触皮膚炎を招来する可能性を持つ物質が数限りなく存し,日進月歩の工業の振興と新製品の誕生とはこれに携わる労務者はもとより,一般消費社会にも接触皮膚炎の原因々子に触れる機会をますます増大せしめつつあつて,我々が治療上真の原因物質を知る必要に迫られることが少くない。この目的には臨床暴露試験("use testing","rest of avoidance andre-exposure")とパッチテスト(patch test)とが補助診断法として用いられる。前者は原因と疑われる物質を実際の条件で使用し,あるいは避けて反応をみる方法である。後者はJ.Jadassohn(1895)が水銀皮膚炎患者の経験から,スクラッチや注射に頼らないで,皮膚面に原因と思われる物質を一定時間直接作用させるという簡単な方法で過敏な人には皮膚反応--接触皮膚炎のミニアチュア--を起し得ることに想到し,診断的意義を持つ臨床検査法として紹介して以来,Bloch, Sul—zbergerらの業蹟を含む70年にわたる研究と経験とから,次第に標準化され,普及されるに至つた技法である。
 もとよりパッチテストは人工的な処置であつて発汗,摩擦,浸軟などの諸因子の参与する真の接触皮膚炎を正確に再現するものではないが,Baerand Witten1)は次の諸点をあげて,パッチテストの優秀性を指摘した:1)パッチテストは実際の臨床状態では普通大きな領域がアレルゲンにさらされるのに,皮膚面の僅かな部分しかさらされないので,患者が不便,不快あるいは就業不能に陥ることがない。2)臨床暴露試験では部位的に不便なことがあるが,パッチテストは適当に選択せる皮膚部に施行できる。3)臨床暴露試験では疑わしい物質の1種類しか調べられないのに,パッチテストは同時に多数を検査できる。4)パッチテストは試験域の大さのみならず,濃度を調整できるので重篤な反応の可能性を最小限にくいとめることができる。

思いつくまま

某月某日,月曜日

著者: 藤浪得二

ページ範囲:P.821 - P.821

 日曜の翌日とあるので覚悟の上だが外来は満員。新旧患者の診察をすませてから学生のポリクリ。それから廻診と続く。今日は新病棟へ移転してからの初めての廻診なので楽しみであつたが,皮膚癌で頭蓋の半ばを破壊され憔瘁しきつた患者が入院しているので病室にはいるのが気が重い。気付いた時はまだ米粒程の疣状のものであつたというから,最初に診察した医師の責任も重大であるが,患者の方にも,もつと癌の知識があつてほしかつた。皮膚の癌は眼で見られるし,触れることも出来る。早期発見と早期治療とはともに可能な筈であるのに,こんな手のつけようもない患者に,尚,出くわすのはどうしたことだろうか。皮膚癌は動物実験でも作られるし,その組織は何時でもたやすく切取つて検索できるという癌の研究には最も便利な代物であるから,癌を征服する者は皮膚科医であるとも考えるが,此は思い上がりだろうか。
 廻診をすませると友人が赤ん坊を診察して呉れという。Portwine stainであるから成形手術かカバー・マークによる外仕方がない。それでも女の子だから嫁入りに差し障りがあると嘆く。医学の進歩した今日,赤あざ一つ治せないのかと思つているらしく,甚だ面目なかつたが,そう思うのも無理のないことだ。ひそかに,積極的になおせる皮膚病はいくつあるか勘定してみた。

教室紹介

千葉大学/広島大学

著者: 岡本昭二

ページ範囲:P.822 - P.823

教室の歴史
 我教室は明治7年開港条約に伴なう行政処置として柴原知事が千葉町に共立病院を設立し,二階堂謙氏を院長とし,天然痘の防疫および梅毒の検診治療に従事したことに始まる。明治15年県立千葉医学校の設立と共に堤宗郷氏が外科の一部門として皮膚病梅毒科を担当されていた。明治23年より三輪徳寛先生と筒井八百珠先生が外科と共に皮膚病梅毒科の診療および教育に従事された。この間,明治20年には第一高等中学校医学部,明治26年には,第一高等学校医学部,さらに明治34年には千葉医学専門学校と学制改革による名称変更があつた。
 明治42年2月に至り我教室は皮膚病梅毒科として外科から分離,筒井八百珠教授が初代教授に就任された。明治44年皮膚花柳病科と改められ,大正2年には筒井教授が岡山医専校長に栄転された。その後,土肥門下の伊東徹太先生が医専教授兼県立病院皮膚花柳病科医長に着任され,大正4年皮膚泌尿器科と名称を変更した。伊東教授は軟性下府(伊東反応として有名)やワイル病などの研究にはげまれたが,大正8年死去され,その後1年間は中野等先生が東大と兼任で来学,大正9年から2年間橋本喬教授が教室を主催されていたが新潟へ去られたあと,大正11年8月佐藤邦雄教授が着任され,大正12年には千葉医科大学が発足した。佐藤教授は昭和23年定年により退職されるまで,種痘・食餌療法あるいは梅毒の疫学と治療の問題など優れた業蹟を残される一方,円満な人格と独特な教育者としての風格はよく内外に知られていた。昭和24年千葉大学となつたが,昭和25年金沢大学より並木重郎教授が着任されて駆梅療法および泌尿器科関係の業蹟をあげられたが,昭和27年1月急逝された。同年6月竹内勝教授が就任され,現在に至つている。昭和35年には泌尿器科が独立して百瀬剛一教授がその主任となられた。

外国文献

外国文献—専門誌から/外国文献—一般誌から

ページ範囲:P.824 - P.827

ACTA DERMATO-VENEREOLOGICA 46 : 5, 1966
A New Ward for Infectious Skin Conditions in the Dermatologic Clinic of the Karolinska Hospital, Stockholm : S. Hellerström, L. Linneroth and A. Nilzén 365
Some Immunological Properties of Guinea Pig Skin-Saline Suspension.l.Attempts to sensitize guinea pigs to homologous skinsuspension : E. Rudzki and A. Nilzén 368

〈原著論文抄録〉

Mucinosis Follicularis,他

著者: 川田陽弘 ,   上野賢一 ,   吉田実夫

ページ範囲:P.837 - P.837

 16歳男子の症例を報告した。左鼻唇溝のやや外方に2×1.6cm,浸潤せる局面状紅斑が1コ発生,経過観察中,1年半後に願に小豆大,軽く浸潤せる同性質の紅斑が生じた。組織学的に定型的な変化が認められた。フルオシノロン・アセトナイド軟膏により明らかな軽快を示したが完全に消失するに至らず,且つ中止すると元の状態に戻つた。頬の病巣にデルモパン装置,ステップⅢ,1回量100R,3回計300Rにより治癒,また頤の病巣はステップⅡ,1回量75R,計3回225Rの照射により2ヵ月後に略治癒した。本例は基礎代謝率−12%と,正常域の下限界乃至低下を示した,この点を本症の発症病理の面から考察を加えた。

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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