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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科24巻1号

1970年01月発行

雑誌目次

図譜・306

塩酸ベンジダミンによる日光疹

著者: 西脇宗一 ,   西山茂夫

ページ範囲:P.8 - P.9

 非ステロイド性消炎剤塩酸ベンジダミンによる日光疹を3例経験した。いずれも内服10日ないし2週間後に露光部限局性の湿疹型日光疹を生じ,薬剤中止により治癒した。その1例を図示する。

図譜・307

色素失調症

著者: 前田正彦

ページ範囲:P.10 - P.13

患者 生後4日の女児
初診 昭和42年10月23日

綜説

乳房外Paget病

著者: 池田重雄 ,   田嶋公子 ,   石橋康正 ,   水谷ひろみ ,   宮里肇 ,   新村真人 ,   今井清治 ,   西脇宗一 ,   鳥居ユキ

ページ範囲:P.15 - P.32

はじめに
 我々が過去約10年間にわたり,主として東大皮膚科で取扱つてきた皮膚悪性腫瘍は第1表にみるごとくである。癌前駆症138例中Paget病は27例,そのうちに乳房外Paget病は21例におよぶ。今回は自験例を中心として,乳房外Paget病の臨床症状,組織所見,治療方法の現状等につき考案を加え本症に対する我々の現在の考え方を述べて見たい。なお本邦報告例についての詳細ないし本症の一般文献的考察に関しては森の原著20)を参照されたい。

原著

新生児皮下脂肪壊死症

著者: 松岡滋美

ページ範囲:P.33 - P.39

はじめに
 新生児皮下脂肪壊死症Adiponecrosis subcu-tanea neonatorumは新生児または乳児の皮下に特異な硬結をきたす,比較的稀な疾患である。本症は1875年Cruseが新生児皮膚硬化症から分離して,Sclerema seu scleroderma adultor-umと記載したのに端を発するといわれる1)。Lindlarら2)によれば1966年までに200例以上の報告があるというが,本邦では中川3)(1927年)以来26例の報告をみるに過ぎない。著者は最近,本症の典型例と思われる1例を経験したのでここに報告する。

東北地方における足菌腫の2例

著者: 三浦隆 ,   高橋伸也 ,   笠井達也

ページ範囲:P.41 - P.46

緒言
 足菌腫は比較的稀な疾患で,本邦では現在まで20例の症例報告1〜19)がみられるにすぎない。しかも患者発生を地域別に検討すると,約半数例は関東地方に集中し,ついで中国地方に多い。一方関東以北の地域からの報告としては,大正8年われわれの教室からの1例報告2)が挙げられるが,この症例は関東地方在住中に本症に罹患したものである。すなわち,現在までのところ本症が関東以北において発症したという確実な証拠はない。最近われわれは,いずれも宮城県内に在住し,県下において感染したと思われる2例の本症症例を相次いで経験した。したがつてこの2症例が,東北地方における発症例としては第1,第2例といえる。
 以下にこれら2症例につき報告し,文献的考按を加えたい。

脂腺母斑に併発した多発性基底細胞上皮腫

著者: 日戸平太 ,   諸橋正昭 ,   本間博子

ページ範囲:P.47 - P.51

はじめに
 脂腺母斑に合併した基底細胞上皮腫の報告は欧米では20数例を数えるが(Michalowski1),Meh-regan & Pinkus2)),本邦では山崎3),安原4)等の記載をみるにすぎない。
 著者らは最近,脂腺母斑上に多発し,色素沈着を伴なう基底細胞上皮腫の症例を経験したが,これらは毛漏斗腫様構造を含め毛嚢性腫瘍から発生している点,特長があると考えられるのでつぎに述べる。

皮膚癌の外科的治療

著者: 石原和之 ,   柳田英夫

ページ範囲:P.53 - P.57

はじめに
 皮膚癌の治療に関しては,その治療を行なう医師により異なる。しかし,一般に放射線治療,外科的治療あるいは抗癌剤による治療と大別できよう。勿論しばしば上記3者の併用療法も行なわれる。そのいずれかがより優れているかについては多くの論議があらうが,放射線治療に関しては,上野の限界線治療が知られ,また著者も,しばしば電子線治療について報告している。外科的治療に関しては池田の報告が知られ,抗癌剤に関しては最近Bleomycinが登場している。これらについての詳細は,各識者の文献あるいは報告にゆずるとして,ここでは自験例を中心として,いわゆる基底細胞癌と有棘細胞癌を対象とする皮膚癌の外科的治療について記載する。なお,外科的治療と放射線治療(特に電子線)との併用についても言及し,その経過について記述する。
 最近6年弱において,国立がんセンターに来院した皮膚悪性腫瘍患者は259例に及び,その内訳は有棘細胞癌156例,基底細胞癌41例,パージエット病9例,ボーエン病3例,悪性黒色腫22例,腺癌4例,カポジー肉腫1例,悪性淋巴腫19例である。

再び再発性女子顔面皮膚炎について

著者: 皆見省吾

ページ範囲:P.59 - P.63

まえがき
 本症については臨床皮泌に執筆してわたしの考えを述べた。それには本症の由来その他を記してある故繰返さないことにする。この名称はあいまいであるゆえやめたらよいという人もあるが,やめたい人はやめて構わないし,使用したい人はそれでもよいと述べておいた。皮膚病の原因は明確なものもあるし,判然としないものも多く,また諸種の原因に基くものもある。この名称はかなりよく使われておるように思われ,ただ大原氏以後化粧品に関係するものが多いゆえ化粧品皮膚炎とした方がよいとの説が多いが,化粧品に関係しないものもそれに含めるべきか否や,その点が明瞭でない。ここには化粧品に確かな関係がないと思われる例を示してみる。

検査法

癩菌の検査法

著者: 佐藤三郎

ページ範囲:P.69 - P.76

 およそ伝染病で最も大切なことは病原体の検出にある。衆知のように癩にはこれが極めて容易なもの(癩腫癩"L"および境界症候群"B"),やや困難なもの(類結核癩"T"および未定症候群"I"の一部)の他,極めて困難または実際上不能な症例("T"の鎮静期と"I"の一部)とがある。近年化学療法の進歩は病巣中の癩菌を崩壊消滅せしめるほどになりL型やB群症例ですら菌検出が困難になつた例が増しつつあつて本邦療養所収容者の半数以上は通常の方法で菌が検出できなくなつたといわれる。今では癩菌の検出は診断の樹立というより患者の軽快状態や過程を正しく把握し,薬剤の効果判定に資する意味で欠くべからざる手段となつた。以下には癩菌検出法の一般を述べ,あわせて近来の斯学の発展との関連にも触れてみたい。

印象記

第33回日本皮膚科学会東日本連合地方会印象記

著者: 安田利顕

ページ範囲:P.86 - P.88

 8月下旬にホノルルで開かれた太平洋皮膚科学会に出席したあと,アメリカとカナダの西海岸を訪ねて9月29日に帰国してみると,束日本連合地方会の印象記をかけと原稿紙が送つてきていた。何の連絡もない。これでは学生がゲバ棒をふるうのも当り前とふんがいして,数日を経たら編輯部からはじめて電話がかかつてきた。10月10日も近いので,ことわつては,かえつて迷惑と思つて,何となく引受けることにした。そうして,汽車の切符の都合にかかると,連休であつて,行楽客が紅葉の青森を訪ねるので,なかなか手に入らないとのことであつた。事実,そのために,弘前行きをあきらめた,東京の人々も少くないのではないかと考える。しかし,私は次の第34回を引受けさせられているので,何とか行かなければならない。今回の会長である弘前大学の帷子康雄教授といろいろ話したいこともあつて,9日の午前中に弘前についた。訪ねると,会場の弘前市の市民会館に行つておられるとのことであつた。そこは弘前城趾にあつた。松林にかこまれて,岩木山が前にみえる美しいところであつた,東京のスモッグのなかからきてみると,夢のような世界である。ちようど教室の人々が明日の準備にいろいろのプラカードを書いておられるところであつた。弘前大学も数週前に機動隊を入れて封鎖を解除したあとのことで万一のことも心配されるので,夕方に機動隊の人がきて,警備の必要があるときの打合せにくるので教授もそれをまつておられるとのことであつた。しかし,幸に何もなく2日間を運営することができた。といつでも学校紛争で出席できなかつた方々も少くなかつたようであつた。
 そうして,私に思い出されるのは故杉山万喜蔵教授が開催された昭和28年の第17回東日本連合地方会である。このときは「シビ,ガツチヤキ症」のシンポジウムが行なわれて,私も演者の1人であつたが,この病気も今はほとんどないとのことであつた。事実演題でも横浜赤十字からペラグラの1例があるだけでこの地方からの報告はみられなかつた,16年間にこうも変つたかと思うが,それは病気ばかりではなかつた。その当時,夜には三味線がひびき,「がんなべ」の女性が右往左往していた大鰐の町も,静かな夜に変つていた。若い人々の失望をかつたのではないかと思つている。そうして,今度はじめて弘前に行つた若い人々に16年前の夜の賑やかさは話してもわからないものになつてしまつた。

皮膚科学の流れ 人と業績・1

Ferdinand von Hebra

著者: 高橋吉定

ページ範囲:P.89 - P.91

はじめに
 皮膚疾患には,その病名がいつの頃から学術的名称として使われているか,普通には知るひとの少ないものが多い。ただ皮膚病の病名には,命名者の名の付記されていることが少なくないので,その人の生きていた年代から推して,かなり古くからであろうと想像されるものがある。したがつて,そんな古くから現在までの長い間には,同じ病名でも,その内容は定めしいろいろと変遷を重ねたものもあるのではないかと臆測される。それで,古くから使われて今に至つた疾患名が,始めて設定された当時にはどんな内容をもつていたかそれを読者諸氏に紹介しようという計画が本誌の編集会議において企てられた。なお,ある疾患を創定した学者の略伝をも書き添えるならば,その皮膚病名のつくられた当時の事情を多少なりとも知るよすがになるだろうというので,それぞれの学者の小伝を付け加えることになつた。
 この企画を実行するに当たつて,まずその露払いの役を仰せ付けられたのはわたしであるが,わたし自身何もその適役の者でなく,一体どういう構想をもつて書き出したらよいのか,思案にくれたのである。

海外見聞記

ラテンアメリカ便り(9)—ブラジル

著者: 大城戸宗男

ページ範囲:P.92 - P.92

 ラテンアメリカを簡単にあらわせといわれたら,人によつてそのいだいているイメージが異るから,例えば人種差別のない移民国で日系人が70万人もいるとか,発展途上中で21世紀の国々とか,軍事革命が日常茶飯時で情熱的な中南米音楽の国,更には密林の中に裸族や人喰い人種がいて探検隊が行方不明になつたりと,その人の趣味がそのまま現われてくるに違いない。
 夢を大きくしてくれるのは確かで日本の約60倍もあるブラジルでも世界最大のアマゾン河を含む周辺の緑の地獄ときたら,スクリジュー(水蛇)の大きなのは馬や牛を呑み込み,ある時には幅40mもある河を,この水蛇がせき止めたので殺すのに200人の兵隊が出動して500発の弾丸を打ち込んだ。この死骸は長さ55mあつたので運ぶのに70人の兵隊が縦に並んでしよわねばならなかつたと云う愉快な話もある。小生にラテンアメリカを定義せよと云うなら簡単で,皮膚型及び皮膚粘膜型リーシユマニア症,フランベシア,ピンタ,Fogo salvagem,南アメリカブラストミセス症の大陸としよう。このうちフランベシアは保健省が患者発生地区の住民全員に疾患の有無に拘らずペニシリンの大量投与を行ない,例えば1957年から1960年迄に1600万人以上をコントロールするなどして現在は著しく減少している1)。小生の定義は不完全で既に紹介ずみの蝿蛆症を初め砂蚤,ムクイン(ダニ)等の動物寄生性疾患を落している。

外国文献

外国文献—専門誌から

ページ範囲:P.93 - P.94

ARCHIVES OF DERMATOLOGY 100 : 2, August, 1969
Gluten-Free Diet and Reintroduction of Gluten in Dermatitis Herpetiformis : L. Fry, J.D. Wowan and A.V. Hoffbrand 129
Small Intestinal Mucosa in Pemphigoid and Subcorneal Pustular Dermatosis : J. Marks and S. Shuster 136

〈原著論文抄録〉

新生児皮下脂肪壊死症,他

著者: 松岡滋美

ページ範囲:P.97 - P.97

 1カ月男児の臀部を中心に腰部,大腿後面にほぼ対称性の広範囲な硬結性局面,また右耳下部,両上肢伸側,両下腿後面にくるみ大ないし鵞卵大の硬結を生じ,5カ月後に自然治癒をみた新生児皮下脂肪壊死症の1例を報告した。患児は生下時体重4,760g,仮死状態で出産し,頭血腫を伴つていた。
 本邦報告例27例を総括し,特に発症機序として外的局所要因を重視した。

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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