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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科27巻12号

1973年12月発行

雑誌目次

図譜・373

マンソン孤虫症

著者: 最上晋 ,   吉村裕之

ページ範囲:P.1014 - P.1015

患者 38歳,男子,教員,秋田県仙北地方出身
初診 昭和47年9月12日

綜説

粘膜疹

著者: 西山茂夫

ページ範囲:P.1017 - P.1025

 人体の可視粘膜の病変を皮膚科で扱うのは当然であるが,いわゆるGrenzgebietとして,これに関するわれわれの知識は意外に乏しい.ここでは粘膜疹のうち,主として口腔粘膜病変について,現在の時点における臨床的問題点のいくつかを挙げるにとどめ,将来の検討に期待したい.

一頁講座

Rosette Forming Cell(RFC)

著者: 設楽篤幸

ページ範囲:P.1026 - P.1026

 1956年Glickら1)はトリのFabricius嚢を新生期に摘除すると体液性免疫不全の起ることを,また1962年Jankovicら2)は新生期ラットの胸腺除去が細胞伝達性免疫の発達を著明に抑制することを観察した.その後Cooperら3)はトリにおいてcell mediated immunityとhumoral immunityとは明確な分離があり,前者は胸腺が,後者はFabricius嚢がそれぞれ中枢的役割を果していることを明瞭に証明した.これらのことから特異的免疫反応を演ずる免疫担当細胞には2種類の細胞集団があることがわかってきた.その1つはFabricius嚢の影響下に幹細胞から分化を遂げた細胞集団でbone marrowderived cell(B-cell)と呼ばれ,抗体や免疫グロブリンを合成,分泌する能力をもつている.もう1つは胸腺の影響下で幹細胞から分化を遂げる細胞集団でthymusderived cell(T-cell)と呼ばれ,移植免疫,癌免疫,遅延型過敏症などのいわゆる細胞伝達性免疫の主役を演じるものである.
 しかしこれらB-cell,T-cellがまつたく独立して免疫機構に関与しているのではなく,ある場合には協同作用が営まれていると考えられている.

原著

Prurigo melanotica—肝障害の一皮膚表現型

著者: 長島正治 ,   原田敬之 ,   真海文雄 ,   加茂紘一郎

ページ範囲:P.1027 - P.1033

 躯幹上部・項頸・顔面などにびまん性に分布する暗褐色色素沈着とそれに混在する萎縮性脱色素斑,掻痒性紅色小結節また掻痕を示す30歳女性のPrurigo melanoticaの1例を経験し,諸検査の結果バンチ症候群の併存を発見することができた.治療としてまず脾摘を施行,ついでコルチコステロイド剤を内服せしめて,紅色小結節の発生を抑制せしめ得た.
 症例の記載と共に,主としてPieriniらの記述に従い,また自験例の経験をこれに加えて,本症の臨床・組織・合併症などを述べ,かつ本症が肝疾患の一皮膚表現として重要であることを強調した.

Mycobacterium kansasiiによるスポロトリコージス様皮膚感染症の1例

著者: 滝野長平 ,   所祥子 ,   美誉志康

ページ範囲:P.1035 - P.1040

 37歳男子の右手背及び前腕に生じた一見リンパ管型スポロトリコージスを思わせる皮膚非定型抗酸菌感染症の1例を報告した.
 皮疹は熱帯魚の水槽を掃除中に受けた外傷部に初発し,漸次大きさを増すと共に求心性に散布疹を生じて来た.自覚症はなかつた.
 生検材料を組織学的ならびに菌学的に検索したが,組織学的には比較的特徴の乏しい慢性肉芽腫の像を呈した.菌学的には真菌は検出出来なかつたが,1%小川培地にて光発色性抗酸菌が検出され,生化学的性状からMycobacterium kansasiiと同定された.またマウスへの接種実験では肺・腎・肝・脾などに病巣の形成を認めた.
 治療は試みに使用したdemethyl chlortetracyclineで散布疹は消失し,治療に抗した原発巣は完全に切除した.
 本菌による皮膚感染症は比較的珍らしいものと思われるので,若干の文献的考察を加えた.

成人の陰部,臀部および下肢に発生した単純疱疹

著者: 谷垣武彦

ページ範囲:P.1043 - P.1049

 成人の陰部,臀部および下肢に発生した皮疹からウイルスを分離して,その性状を検討し,細胞変性効果,ブラック形成の点から単純疱疹ウイルス2型と確認した12例の患者を経験した.その臨床像は,好発年齢43〜47歳で女より男に多く,皮疹は集籏した水疱からなり時に紅暈を有するものもあり,いわゆる再感染型の像であつた.皮疹の数は陰部は単発,臀部は多発で,罹患年月は数年から10数年にわたつて出没をくりかえしているもにのがほとんどで,夏期に悪化傾向がみられた.治療については短期間に頻回にくりかえすものにのみ低濃度のIdoxuridine含有軟膏を使用した.12例のうち陰茎癌を合併していたのは1例であつたが,本ウイルスの抗体が子宮頸癌の患者に高いのと関連して興味ある問題である.

ケラトアカントーマ

著者: 増谷衛

ページ範囲:P.1051 - P.1055

 33歳女子,事務員.2ケ月前より右下眼瞼内側に10×8×4mmの隆起せる腫瘤を認め,一部試験切除を行いケラトアカントーマと診断した.経過観察により自然治癒を見た.
 著者の収集し得た本邦でのケラトアカントーマの報告例は111例の多きに達する.そのうち自然治癒を観察したものは12例で平均13週で治癒にいたる.

講座

梅毒の最近の治療

著者: 小野田洋一

ページ範囲:P.1057 - P.1066

梅毒の判定
 梅毒という診断のもとにその治療を開始する場合に,最初の検査結果が正確でなければ治療の進展状況がつかめないばかりでなく,治療中止の時期の判定にも苦しむ.ことに最近は顕症梅毒が減少しているので,血清検査結果だけで梅毒であるかどうかを考えなければならないことが多くなつてきた.梅毒血清検査法の結果の見方については,治療のためにも十分な知識をもつておく必要がある.

連載 皮膚科学に貢献した医学者たち・8

色素性蕁麻疹(その1)

著者: 高橋吉定

ページ範囲:P.1067 - P.1071

1.初めての記載者
 Edward Nettleshipはノーサンプトン州(Northamptonshire)のケタリング(Kettering)で,1845年3月3日に生まれた.彼の勉学したのはロンドンのキングス・カレッジ病院(Kings College Hospital)・ロンドン病院(London Hospita1)・ロンドン獣医学校(London Veter-inary College)においてであつた.1873年にムーアフィールド眼科病院(Moorfield Ophthalmologic Hosp-ital),その後セント・トマス病院(St.Thomas's Hospital)で重要な地位を歴任した.色素性蕁麻疹の症例を発表したのは,彼の経歴の早いうちで,まだ眼科専門医にならないときであつた.
 ネットルシップは,"眼科疾患の学生指針(The Student's Guide toDiseases of the Eye)"という広く用いられた教本を書いた(1879年).彼は眼科学の研究方面にはなはだ身を入れ,それに専念するために1902年には開業をやめた.彼の死去は1913年10月30日サリー(Surrey)州のバインドにおいてであつた.

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臨床皮膚科 第27巻 総索引

ページ範囲:P. - P.

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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