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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科27巻8号

1973年08月発行

雑誌目次

図譜・369

Morphealike基底細胞上皮腫の1例

著者: 鏑木公夫

ページ範囲:P.642 - P.643

症例 53歳,女性.初診,昭和47年7月21日
現病歴 約30年前から気になつていたが自覚症状がないので放置しておいた.特に拡大して来たようなことはない.

綜説

石灰化上皮腫—その組織由来に関する考察

著者: 久保縁

ページ範囲:P.645 - P.659

 石灰化上皮腫は,毛嚢起源性腫瘍として今日知られているが,それを首肯させるような病理組織学的報告はきわめて少ない.著者は本腫瘍の2例における連続標本について,明らかに毛嚢性由来であることを示す組織学的所見をえた.第1例においては好塩基性細胞が半環状に腫瘍の外廓をなし,その上端が毛嚢上皮に移行してメラニン色素がここに層状に分布している所見.第2例では定型的組織像のほかに毛嚢原基を示唆する上皮索,毛嚢への分化傾向をみせる基底細胞上皮腫様増殖像および嚢腫様増殖像,毛嚢様構造,等が多中心性にみられ,本腫瘍の発生病理の推移を示しているものと考えられる所見である.毛嚢起源説に示唆ないしは根拠を与えると思われる以上の自験例を報告するとともに,本腫瘍の組織由来説の変遷,毛嚢起源説の見解の概略,腫瘍の特性および発生病理,等について文献的考察を行なつた.

原著

表在性基底細胞上皮腫—症例報告並びに既報本邦人症例について

著者: 南光弘子 ,   古谷達孝

ページ範囲:P.661 - P.669

 54歳,女子の右胸部に発症した単発性表在性基底細胞上皮腫の1例を報告するとともに既報本邦人17例に関する統計的観察を行なつた.本邦人では単発型12例,多発型5例で,単発型は中老年者の躯幹に好発し,多発型は,単発型にくらべ,やや薪年発症傾向が認められ,発症部位も躯幹ばかりでなくそれ以外にも及んでいる.組織学的所見では単発型では典型的所見を示したが,多発型では定型的所見を呈するもの以外に,基底細胞上皮腫のsolid type,cystic type或いはadenoid type,またbasal squamous cell epith-elioma等々があり,この点に問題点があると思われた.最後に本症の組織発生につき言及した.

Atrichia with Papular Lesions

著者: 田中治久 ,   浜口次生

ページ範囲:P.671 - P.677

 無毛症とほぼ全身に多数の丘疹様皮疹を合併する31歳,男子について報告した.生下時に頭部の胎毛は豊富に存在していたが,生後3カ月頃より脱毛が生じ2年後にはほぼ完全な無毛症となつた.毳毛も完全に欠如する.また,25歳頃より両肩甲部から両上腕にかけて丘疹様皮疹が生じ,3年後には頭部,肘窩を除いて全身に拡がつた.諸検査成績のうち,末梢血の好酸球増多症,血清PBIの軽度低下,血漿Testosterone,Androstero-neの軽度低下,尿中Estrogenの著明な上昇がみられた.染色体正常.発汗検査正常,無毛頭皮と丘疹様皮疹の組織像は真皮全層にわたつて角化性物質で満たされた上皮性のう胞が存在し,のう胞壁を構成する細胞は毛包類似であつた,本症例では外胚葉形成不全の症候として高度な無毛症が唯一の表現となつていることと,多数の丘疹様皮疹を合併している点が従来の外胚葉形成不全にみられない特徴的所見であると思われた.

列序性結節状結合織母斑—症例報告

著者: 川島愛雄 ,   塚田貞夫 ,   小西喜朗

ページ範囲:P.679 - P.684

 17歳の少女に見られた結合織母斑と思われる1例を述べた.それは右臀部から右大腿内側にかけて列序性に配列した10個ばかりの広基性腫瘤から成つていた.結合織母斑の臨床像に関する文献を調べたところ,類似例が2例見出された.われわれの症例を含めたこれら3例は森嶋・横川のいう列序性結節状結合織母斑に該当すると思われる.

ペニシラミン服用中に生じた表皮水疱症様病変について

著者: 森嶋隆文 ,   今川一郎 ,   松崎孝子 ,   遠山国彦

ページ範囲:P.685 - P.690

 Wilson病治療剤であるペニシラミンは種々の副作用を呈し,その毒性作用の1つとして栄養障害型表皮水疱症類似の病変を惹起することが知られている.最近,われわれはWilson病の診断のもとに,1日2gのD−ペニシラミンを7年間服用していたところ,両肘頭,膝蓋および臀部に,所により血疱ならびに黒色面皰および帯黄白色の小嚢腫を混ずる萎縮性病変をきたした17歳の男子例を経験した.病理組織学的には真皮網状層上層に多数の赤血球を入れた裂隙形成を,また,毛孔の角栓形成ならびに表皮嚢腫の像を認めた.文献的考察から,ペニシラミンによる皮膚病変はコラーゲンおよびエラスチンの架橋形成の障害に起因した皮膚の脆弱性に基くと憶測された.栄養障害型表皮水疱症の病因に関しても結合組織の代謝異常が重視されており,自験例は栄養障害型表皮水疱症の病態を解明するにあたり興味ある症例のように思われる.

急性白血病に併発した梅毒性乾癬の1例

著者: 居村洋 ,   白石聰 ,   武田克之

ページ範囲:P.691 - P.696

 コルチコステロイドの長期投与,6MP,エンドキサンらの抗悪性腫瘍剤の投与などで加療中の急性白血病患者で,新鮮血輸血に基づいて発症したと思われる梅毒性乾癬の1症例を報告し,若干の考察を試みた.
 症例は,59歳の男子.梅毒血清反応は緒方法320,凝集法64,ガラス板法16倍,TPHA陽性.ペニシリンG筋注を開始し総量1,800万単位終了時には皮疹はほとんど消失したが,食道,咽頭の感染巣から拡がつた敗血症が原因で死亡した.

皮膚臨床—病理カンファレンス(1)

Tubular hidradenoma

著者: 安原稔

ページ範囲:P.698 - P.701

症例 40歳 女子
現病歴と現症 約1年前に右下眼瞼下に半米粒大の硬結があるのに気付いた.最近,大きさを増し,表面やや発赤し,瘙痒を感じるようになつた.初診時の臨床所見は碗豆大の半球状に隆起する腫瘤が右下眼瞼外側直下に存在し,表面は軽く発赤し,弾性硬に触れ,下床とは可動性であつた(図1).

Eccrine poroma

著者: 安原稔

ページ範囲:P.702 - P.703

症例 31歳 男子
現病歴と現症 約4年前に左下腿中央部外側に疣贅様皮疹があるのに気付いた.自覚症状のないまま放置していたが,その間皮疹の増大する傾向はなかつた.初診時の臨床所見は左下腿中央部で脛骨縁の外側に長さ1cm,幅0.8cmの境界鮮明な赤褐色の皮膚面より隆起する病巣が存在する.これは赤褐色の粟粒大の小丘疹の集合から成り,表面は落屑状を示す.中央部では数個の丘疹が融合して隆まり,灰白色のやや厚い鱗屑を付着していた(図1).

Eccrine ductoadenoma

著者: 宇多弘次 ,   三島豊

ページ範囲:P.704 - P.705

症例 67歳 女子
現病歴と現症 7,8年前より右口角部より右頬部へかけて小指頭大の腫瘤を生じ,漸次腫大し現在小鶏卵大になつている(図1).痛みや食事時の不快感はない.手術所見は右口角斜上方の部に小鶏卵大の表皮下腫瘍あり.深部との癒着はない.肉眼上被膜を有し,軟骨様硬で割面は灰白色である.検査は赤血球372万,白血球3900(リンパ球60%)のほか異常はない.

Eruptive hidradenoma

著者: 宇多弘次 ,   三島豊

ページ範囲:P.706 - P.707

症例 19歳 男子
現病歴と現症 小学校6年頃より体幹に自覚症なき米粒大腫瘤が多発して来た.高校2年頃より胸部へ拡大,昨年夏頃より上胸部,ついで大腿部,臀部へ拡大し,最近一カ月の間にもまだ数が増しているように思う.腫瘤は暗褐紅色,米粒大ないし大豆大の隆起した弾性硬の丘疹で一般に境界は明瞭,孤立性であるが一部融合するものあり(図1).胸腹部で密であるが,大腿前面で特に密である.背部臀部にも多い(図2).

Pilomatricoma

著者: 安原稔

ページ範囲:P.708 - P.709

症例 64歳 男子
現病歴と現症 約7カ月前に,後頭部の小腫瘤に気付いた.その後次第に大きさを増してきたという.時に瘙痒がある以外,特に自覚症状はない.初診時の臨床所見は,後頭部に小指大の表面やや発赤のある半球状に隆起する腫瘤が1個存在する.この腫瘤は弾性硬で,圧痛なく,下床とは癒着する(図1).

Inverted follicular keratosis

著者: 宇多弘次 ,   三鳥豊

ページ範囲:P.710 - P.711

症例 66歳 男子
現病歴と現症 幼時より鼻稜部にホクロあり.2カ月前より拡大し表面がざらざらして来た.自覚症状はない,腫瘍は境界明瞭,大豆大,灰褐色で黒色の部あり,出血潰瘍なく表面は疣贅様に粗慥となつている.昨年肝障害の治療をした(図1).

Syringocystadenoma papilliferum

著者: 安原稔

ページ範囲:P.712 - P.713

症例5歳女子
 現病歴と現症生後8カ月頃,肛門の左側にイボ様の丘疹が集簇した小病巣に母親が気付いている.初診時の臨床所見は1cm×0.8cmの境界鮮明な淡褐色の病巣で,この病巣は粟粒大ないし帽針頭の丘疹が集簇し融合して存在する.個々の丘疹の多くは中心に小凹窩が存在した.Punch bio-psyにより真皮深層に多数のアポクリン腺を認める以外に他に著変はなかつた.その後10カ月間放置したがなんら変化なく,家族の希望により病巣を全て切除した(図1).

講座

皮膚癌の治療(3)—特に外科的治療

著者: 石原和之 ,   柳田英夫

ページ範囲:P.715 - P.721

 皮膚癌の治療にとつて外科的治療のしめる役割は大きい.しかしあくまでも皮膚癌という疾病を理解した上での外科的治療で,単純な切除やいわゆる形成外科的のものであつてはならない.われわれが診察を行なつた症例の中に,皮膚悪性腫瘍とは知らずに簡単に切除したり,火傷による潰瘍癌を単なる潰瘍として掻破の上植皮を施行したり,時に腫瘍そのものにメスを加えたり,ということが原因で増悪した症例にしばしば遭遇する.われわれが経験した既治療例(他院で治療を行ない再発または増悪したもの)の多くは,その初期に外科的治療を施行したものであることより,外科的治療は優れた方法であると同時に,一度誤れば最悪の状態を招来しかねないことを熟知すべきである.
 最近,外科的技術を応用した治療,例えば抗癌剤の動脈持続注入法がかなりの効果を示しているが,これらについては化学療法において記載したい.本文では,手術単独,放射線との併用,抗癌剤との併用,あるいは3者併用などについて自験例について記載する.

連載 皮膚科学に貢献した医学者たち・6

穿孔症

著者: 高橋吉定

ページ範囲:P.722 - P.725

1.初めて記載した学者
 ネラトンの名は,わが国においてはネラトン・カテーテルがよく使われるので,医家一般の熟知するところである.しかし人の名であることはよくわかつていても,どんな人であるか,その人物についてはほとんど知る人がない.実は彼は外科医であつたのである.
 Auguste Nélatonは1807年5月7日パリで生まれた.彼の父は軍医であつたが,ナポレオンのロシア遠征に従軍して戦死した.初期の教育を終了したのち,ネラトンはブルボン大学(Collège Bourbon)に入学し,主としてアシル・ルカン(AchilleRequin)の指導を受けた.ルカンはのちにパリ医界において有名になつた人である.ルカンは当時まだ医学生であつたが,その影響を受けてネラトンも医学の勉学に専念した.ネラトンの生涯の活動を特徴づけたと同じの,目的に対するまじめな,妥協を許さない着実さをももつて医学に自分自身を打ち込んだ.そしてまもなくわかつてきたことは,彼は生まれつき外科に対する才幹を持つていることであつた.当時の若い外科志望者の誰しもが将来の目標としていたのは偉大なジュピュイトラン(Dupuytren)であつたので,ネラトンもそのインターンになる申請を何回も行なつたが,許可がおりなかつた.1835年にやつとその希望がかなつたものの,彼が実際の教示を受ける前に,この偉大な師匠は死亡してしまつた.しかし1年後にネラトンは骨結核に関して"Sur l'affectiontuberculeuse des os"というドクトル論文を提出した.

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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