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わきがの話
著者: 野北通夫1
所属機関: 1長崎大
ページ範囲:P.766 - P.766
文献購入ページに移動 「小児等草者勿苅八穂蓼乎穂積乃阿曽我腋草乎可禮」──平群朝臣が穂積朝臣を嗤つた歌で,この歌に対しては逆に穂積朝臣が平群朝臣の赤鼻をやじつた歌もあるが,歌の意味は,「子供らよ,わざわざ遠くへ行つて草は刈るなよ,それよりも穂積朝臣の腋の臭さを苅れ」といつたものである.
「わきが」は中国隋の頃の「病源候論」にも,「胡臭」,「狐臭」の名で記載され,「その臭気は葱鼓の如く,また狐狸の臭いに似る」と書かれているというが,本邦でも,上述のように,「わきくさ」または「わきくそ」の名で,王朝時代から歌にまで詠まれている程,昔も今も変らず,人にきらわれたものであつたようであるが,東洋に比べ欧米ではさほど問題にもならず,また臭い自体も日本人のものほど強烈でなく,香水などで適当に胡麻化して,結構うまくやつているとのことである.
「わきが」は中国隋の頃の「病源候論」にも,「胡臭」,「狐臭」の名で記載され,「その臭気は葱鼓の如く,また狐狸の臭いに似る」と書かれているというが,本邦でも,上述のように,「わきくさ」または「わきくそ」の名で,王朝時代から歌にまで詠まれている程,昔も今も変らず,人にきらわれたものであつたようであるが,東洋に比べ欧米ではさほど問題にもならず,また臭い自体も日本人のものほど強烈でなく,香水などで適当に胡麻化して,結構うまくやつているとのことである.
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