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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科29巻9号

1975年09月発行

雑誌目次

図譜・395

初期のPrimary Systemic Amyloidosis

著者: 田上八朗 ,   中尾一和 ,   小谷宏行 ,   恒松徳五郎

ページ範囲:P.732 - P.733

患者 49歳,女子
初診 昭和49年9月19日

綜説

皮膚腫瘍に対する局所化学療法(I)—ブレオマイシン軟膏の臨床を中心として

著者: 池田重雄 ,   川村太郎 ,   浜松輝美 ,   宮里肇 ,   今井清治 ,   関真佐忠 ,   中山担子 ,   森喜紀 ,   水谷ひろみ

ページ範囲:P.734 - P.748

 1962年,梅沢らによりBleomycin (以下BLMと略す)がStreptomyces verticillusから分離された.1965年から市川らの臨床的研究(当時は含銅BLM)が開始され,1967年から我々もBLM研究会(会長・市川篤二)に参加して,約8年の歳月が経過した.この間BLMの臨床的適応も漸次確立されて来た感があり,1974年9月,東日本連合地方会(盛岡)で,現在の皮膚科におけるBLMのまとめの意味で「BLMの適応と評価」と題して特別講演を行なつた(表1).一方BLMの基礎的研究の進歩はめざましいものがあり,BLM発見当初の頃とはかなり異なつた立場での認識と理解が必要とされて来ている.BLMの臨床的治験,殊に筋注を中心とする全身投与法に関しては既に詳述してあるため,ここではBLM軟膏による皮膚腫瘍の局所化学療法の実際とその理論について述べ,更に最近の基礎研究の進歩について言及してみたい.

原著

糖尿病患者にみられたLichen MyxedematosusとReactive Perforating Collagenosis

著者: 設楽篤幸 ,   日戸平太 ,   中島寛

ページ範囲:P.749 - P.754

 64歳,男子の糖尿病患者にみられたlichen myxedematosusとrcactive perfor—ating collagenosisについて記載した.臨床的に一見膨疹様にみえる丘疹は組織学的にli—chen myxcdematosusであり,臍窩性皮疹はreactive perforating collagenosisであつた.また,スコッチテープにより角層剥離を繰り返し施行し,さらに,サランラップで密封を行なつて生じせしめた皮疹は組織学的にreactive perforating collagenosisに一致するものであつた.血清学的にはM—成分は認められなかつた.骨髄所見でも形質細胞の増殖は認められなかつた.剖検所見では,1)糖尿病性変化,2)全身性敗血症性変化,3)網内系組織の反応性増殖が認められた.

Cutaneous Myxoid Cystについて

著者: 辻口喜明 ,   石川豊祥 ,   山口全一 ,   森嶋隆文

ページ範囲:P.755 - P.759

 両膝変形性関節症の診断のもとに医治をうけていた76歳,男子の左第1趾背面に生じた本症の定型例を記載するとともに本症の臨床的ならびに病理組織学的所見について概説した.本症の病態が線維芽細胞の増殖とヒアルロン酸の過剰産生に基づくことを確認するとともに,病因として機械的刺激あるいは関節運動による組織の伸展や圧迫が未分化間葉系細胞を刺激し,ヒアルロン酸の産生を促進したのではあるまいかと推論した.

キダチアロエによる接触皮膚炎の1例

著者: 庄司昭伸

ページ範囲:P.761 - P.763

要約 アロエは一般に"医者いらず","薬サボテン"の名で知られている植物で,民間ではこの汁液を内服して下剤に,外用して熱傷や擦過傷などの小さな外傷の治療薬として用いている.患者は66歳,男,初診,昭和48年3月26日.約7カ月来,右肩に瘙痒性皮疹が発生し,医治に抗し治癒しなかつたため,20日前からキダチアロエの汁液を塗布したが,かえつて増悪した.初診時,右肩,腰腹部,四肢に丘疹および落屑性紅色面を紹めた.パッチテストの結果,キダチアロエの汁液で陽性所見をえた.しかし,著者を含めた人の正常人皮膚では全例においてパッチテスト陰性であつたので,キダチアロエの汁液は一次刺激性は弱いと判断した.したがつて,本症例はキダチアロエによるアレルギー性の接触皮膚炎と考えた.

Microsporum canis感染症の母子例

著者: 岩津都希雄 ,   苅谷英郎

ページ範囲:P.765 - P.768

 Microsporum canis感染症の,千葉県下における最初の報告例と思われる母子例を報じ,併せて文献による若干の統計的考察をこころみた.

隆起性皮膚線維肉腫—特に形態的観察とマクロファージ遊走阻止試験

著者: 堀嘉昭 ,   宮沢七郎 ,   斉藤隆三 ,   新井春枝 ,   鎌田直子

ページ範囲:P.769 - P.776

 隆起性皮膚線維肉腫は皮膚に限局性に生じ,局所的に悪性の腫瘍である.この腫瘍の腫瘍細胞の起源については未だ議論もあるが,3例の隆起性皮膚線維肉腫の形態学的観察で悪性線維芽細胞の増殖とみられる.3例の中1例では,腫瘍の一部より軟い球状の突出をみた.この部分の腫瘍細胞は特に異型性が著しく,他の部分の腫瘍細胞で線維形成が認められるのに対して,線維形成は殆んど認められなかつた.また,これら3例でマクロファージ遊走阻止試験(MIT)を行つたところ,2例では切除時陽性であつたマクロファージ遊走阻止現象が,切除後陰性となつた.
 悪性腫瘍の診断,予後の判定に,このMlTを応用することの可能性について論じた.

著明な石灰沈着ならびに下腿潰瘍を伴つた全身性エリテマトーデスの1例

著者: 種田明生 ,   増谷衛 ,   小川秀興

ページ範囲:P.777 - P.781

 32歳,女子.下腿に血管炎が先行し,著明な皮膚の石灰沈着を生じ,次いで当該部に多発性,深達性の潰瘍の発生を繰り返した全身性エリテマトーデスの1例を報告した.本症例の潰瘍及び石灰沈着について文献的考察を行い,併せて私見を述べた.

下肢に生じたスポロトリコーシスの3例

著者: 岩津都希雄 ,   苅谷英郎

ページ範囲:P.783 - P.787

 スポロトリコーシスの好発部位は,周知のごとく,上肢および顔面であり,その他の部位を侵す例は稀である.今回,下肢に生じた症例を3例経験したので報告し,併せて下肢に生じた本邦報告例を集計した.また本症の臨床病型分類について従来いわれているリンパ管型と限局型に加えて,これらの中間に位置する病型を新たに設定し("中間型"と名づけた)新しい病型分類を行つた.

丹毒様癌の3例

著者: 熊切正信 ,   大河原章

ページ範囲:P.789 - P.793

 1.内臓癌からの皮膚転移病変のなかでは少ないとされる丹毒様癌の3例を報告した.
 2.3例のうち2例は乳癌からの皮膚転移で,Taylorらの分類によるとsecondary typeに相当する症例であつた.他の1例は,消化器癌からの転移が推測された.
 3.内臓癌からの皮膚転移,特に丹毒様癌について文献的考察をおこなつた.

血管肉腫

著者: 赤井昭 ,   追手比佐子

ページ範囲:P.795 - P.801

 42歳女子の頭皮に原発したと考える血管肉腫について報告した.全経過約11カ月.剖検により肺・肝に転移巣があり,そこからの出血が死亡の主な原因と思われた.原発巣は拡大している辺縁部に僅かの紅斑性浮腫を持つた浸潤硬化性局面で,中心部は壊死に陥つていた.再発皮膚病巣ならびに肺・肝の転移巣は強く出血性で血管系の腫瘍らしい外観を示していた.光顕組織学的に細胞の悪性像は生検時から明瞭であつたが,組織構成は原発巣ではいわゆる紡錘形細胞肉腫様の像が主体をなし,再発および転移病巣では脈管様構造が明瞭に認められた.電顕的に腫瘍細胞の主体は血管内皮細胞と思われた.病巣は放射線に感受性を示すが,ことに患部が被髪頭皮の場合には早期発見および病巣範囲の判定が困難であり,これが本症の予後を不良ならしめている一因と考える.

汗孔角化症の臨床疫学的検討(I)

著者: 筏淳二

ページ範囲:P.803 - P.807

要約 本邦人例を文献から集め,散布型,列序型,単発型に,散布型をさらに分布範囲から全身型,不全型,局部型に分類した.列序型では5歳までに好発し,家族内発症はまれであつた.全身型では10歳代後半に初発することが多く,約半教で家族に同症をみた.散布型の3亜型間では疹の分布範囲により性比,家族内発症率,潮紅・瘙痒出現率は秩序をもち減少した.家族内発症を伴う例の発症年齢は全身型より不全型で早かつた.そこで散布疹の分布範囲は宿主感受性因子の強弱に基づくと類推した.ツ反応は高率に抑制され,梅毒血清反応陽性率が高く,BFPを疑つた.これら異常反応,特異な疹分布などから病因としてポックスウイルスを想定した.本症と痘瘡との間に組織学的類似性があり,また散布疹と感受性因子との関連は痘瘡における同様の知見に対応すると考えた.

連載 皮膚科学に貢献した医学者たち・27

光沢苔癬

著者: 高橋吉定

ページ範囲:P.808 - P.812

1.初めて記載した人
 本症を初めて記述して,皮膚科学専門誌に掲載したのはフェーリクス・ピンクス(Felix Pinkus)である.彼は1869年4月4日ベルリンで生まれた.医学教育はフライブルク大学で受け,1893年に卒業した.数年間の研鑽ののち,ブレスラウでウンナの助手となった.この時期にこそ,彼は皮膚科学の基礎的知識を獲得したのであり,また同時にその研究能力を皮膚の解剖学の探求に注いだのであつた.さらに彼はベルンでヤダソーンの弟子となって皮膚科学の研修を行ない,その後パリのサンールイ病院において卒後の勉学にいそしんだ.
 1898年から1938年まで,彼はベルリンで皮膚科の開業をした.しかし1915年には,ベルリン大学皮膚科学准教授の地位を得ていた.1939年に彼はドイツを離れ,しばらくノルウェーのオスロに滞在したが,やがて合衆国に渡って,ミシガン州のモンローにいた,同じく皮膚科学者の子息ヘルマン(Hermann)と同居することになった.このヘルマンは現在,デトロイトにあるウェイン大学(Wayne State University)の皮膚科学教授である.モンローに移った彼は,ここで1947年11月19日の死去に至るまで組織学的研究に没頭した.

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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