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雑誌目次

雑誌文献

臨床皮膚科31巻3号

1977年03月発行

雑誌目次

図譜・413

膿疱性梅毒疹

著者: 荻野篤彦

ページ範囲:P.176 - P.177

患者 44歳,男子,会社員.ブラジル・サンパウロ市在住の日本人
初診 昭和50年9月26日

原著

Pringle病の葉形白斑

著者: 舘懌二 ,   広根孝衛

ページ範囲:P.179 - P.184

 42歳,女のPringle病患者の葉形白斑を組織学的ならびに電顕的に観察した.白斑の組織像では,表皮基底層に反応性の減弱したドーパ陽性メラノサイトと不規則に減少したメラニン色素がみられた.電顕像では,メラノサイトにおけるメラノソームの減少・小形化および不完全なメラニン化とケラチノサイトにおけるメラノソーム複合体の圧倒的な形成がみられた.電顕像におけるこれらの特徴は白人や黒人の場合と同様であることが確認された.

Papillomatosis Cutis Carcinoides Gottron—症例報告ならびに電顕像

著者: 上田恵一 ,   中安清 ,   前田基彰 ,   松木正義 ,   外松茂太郎

ページ範囲:P.185 - P.193

 40歳,男.3歳時に火傷を受けた右足縁の瘢痕部に生じたPapillomatosis cutiscarcinoides Gottron腫瘤型の1例を報告した.特に腫瘤の電顕像では,有棘層の細胞に2種あり,トノフィブリルの形成が悪くリボゾームの豊富な電子密度の高い細胞と,トノフィブリルの形成が極めてよい細胞とが混在してみられ,悪性像は認められなかつた.顆粒層ではトノフィブリルと関係せず,周囲にリボゾームが附着した円形と楕円形のケラトヒアリンが多数みられた.角層は完全角化または不全角化を示した.真皮では血管の内皮細胞の断裂を示す像がみられた.以上より本症は一種特有なsquamous cell papillomaであると考えられた.

Acrodermatitis Enteropathica様皮疹の1例—後天的亜鉛欠乏症

著者: 丸山光雄 ,   亀田洋 ,   北村和子 ,   福島恒男

ページ範囲:P.195 - P.198

 長期経静脈栄養中にみられたA.E.様皮疹の1例を報告し,Znの役割を中心に考察を加えた.
 本症の発症にはA.E.と同様Zn欠乏が重要な役割を占めていると思われる.

Adams-Stokes症候群を伴つたサルコイドーシスの2例

著者: 辻口喜明 ,   藤沢重樹 ,   森嶋隆文

ページ範囲:P.199 - P.204

 サルコイドーシスの死因として心筋サルコイドーシスが重視され,fatal myocar—dial sarcoidosisとも呼ばれている.我々は最近,サルコイドーシス病変に基因すると推察されるAdams-Stokes症候群を伴つたサルコイドーシスの2症例に遭遇した.第1例は49歳の女性で皮膚科でサルコイドーシスの診断のもとにステロイド軟膏のみで加療していたところ,その経過中にAdams-Stokes発作を来した興味深い症例であり,第2例は57歳の女性で心症状を主訴として内科へ緊急入院し,皮膚症状およびその病理組織学的所見から初めてサルコイドーシスと確定診断しえた例である.治療は第1例においてはステロイドの全身投与に加えてペースメーカーの装着を行ない,第2例ではステロイドの全身投与にて救命しえた.
 以上の経験からサルコイドーシスの患者では心筋病変にも留意しつつ,経過観察することが重要であることを再認識させられた.

Nevoid Basal Cell Epithelioma Syndrome(第2報)—母斑性基底細胞上皮腫のHistopathogenesis

著者: 新井春枝

ページ範囲:P.205 - P.211

 母斑性基底細胞上皮腫症候群の症例に多発した母斑性基底綿胞上皮腫を病理組織学的に検討した.
 母斑性基底細胞上皮腫の病理組織学上の病型は,1)keratotic pattern,2)solid and trichoepitheliomatous pattern,3)solid pattern,4)adenoid patternの4型であつた.
 約60%以上の毛嚢は正常な形態を示さず,基底細胞様細胞から構成され,異常な増殖をし,一部の毛嚢は病理組織学的に基底細胞上皮腫の所見であつた.

低補体価血清を伴つたHyperkeratosis Lenticularis Perstans(Flegel)の1例

著者: 河野禮子 ,   河島敏夫 ,   高木靖信

ページ範囲:P.213 - P.217

 68歳,男子で,臨床及び組織所見よりhyperkeratosis lenticularis perstansの典型と思われる1例を報告した.家族内には同症を発見できなかつた.本症例では各種検査のうち,血清補体価が著しく低く(多くは10単位以下),補体成分ではC4,C3の低下がみられた.なお健康な2人の子供にも軽度の血清補体価の低下がみられた(27歳,男,25 CH50,32歳,女,29 CH50).また末梢血リンパ球のうちT-cellの減少がみられるなど免疫機構の異常を窺わせる所見が得られた.

Microsporum canis感染症の3同胞例

著者: 伊藤雅章 ,   佐藤良夫 ,   真保謙一

ページ範囲:P.219 - P.223

 新潟県における最初のMicrosporum canis感染症として,3同胞例を報告した.
 症例1は5歳の女児,症例2は7歳の女児でいずれもケルスス禿瘡,症例3は3歳の男児で頭部浅在性白癬である.小動物は飼育しておらず,感染経路は不明である.また3例とも外用ステロイド剤が使用されていた.

四国地方のスポロトリコーシス—自験2例を追加

著者: 窪美規子 ,   吉原丘二子

ページ範囲:P.225 - P.229

 スポロトリコーシスの2例(69歳,香川県人,75歳,高知県人いずれも女子,上肢限局型)を追加報告するとともに,アンケート資料により四国地方の本症(総計108例)について若干の統計的観察を行つた.

ビスフェノールスルホンによるアレルギー性光接触皮膚炎の1例

著者: 川津友子 ,   三木吉治 ,   田部和久 ,   門林宗男

ページ範囲:P.231 - P.236

要約 41歳男性.フェノール誘導体のビスフェノールスルホン製造研究に従事して約2カ月後,顔面にはじまり,両手背に軽度瘙痒のある紅色皮疹を発生.以後再発をくり返し慢性に経過し,光パッチテストで0.001%(1×10−5)の低濃度まで陽性を呈したため,ビスフェノールスルホンによるアレルギー性光接触皮膚炎と診断した.患者は原因物質との接触を絶つた後も,数年に亘り日光照射により再発しpersistent light reactorと考えられた.またo-アミノベンスルホン酸,p-ハイドロキシベンゼンスルホン酸,ビチオノールに光交叉感作を示した.

第2肋間神経より発生した悪性神経鞘腫(Malignant Schwannoma)を伴つたvon Recklinghausen病の1例

著者: 立花久大 ,   関隆郎 ,   奈良昌治 ,   吉沢繁男 ,   小野康平 ,   鈴木慶二

ページ範囲:P.237 - P.240

 von Recklinghausen病は比較的良性の疾患とされているが,時には悪性化を示す例もある.症例は51歳の男性で,20歳頃皮膚腫瘤,褐色の色素斑出現.昭和50年8月頃より体動時左胸部,左背部に疼痛出現.同年12月11日本院内科受診し,胸部レ線写真にて,基底部を胸壁に接する半球状の異常陰影を指摘され入院となつた.胸壁腫瘤の一部摘出にて,腫瘤は左側胸壁第2肋間神経より発生し,胸腔内へ突出したものと考えられ,組織学的には悪性神経鞘腫(Malignant Schwannoma)の像を呈していた.von Recklinghausen病腫瘤の多くは神経線維腫であり,神経鞘腫の場合は少ない.従つて悪性化を示す場合は神経線維肉腫(Neurofibrosarcoma)になることが多く悪性神経鞘腫を伴つたとの報告は稀である.さらにvon Recklinghausen病の部分症として,このような部位に発生した悪性神経鞘腫は文献上きわめて稀であるので報告した.

印象記

第28回西日本連合地方会に参加して

著者: 森岡貞雄

ページ範囲:P.242 - P.243

 去る11月20日,21日の両日にわたり九州大学温泉治療学研究所中溝慶生教授会長のもとに第28回日本皮膚科学会西日本連合地方会が別府市において挙行された.本年掉尾を飾る大会であり,場所も風光明媚な別府市で行なわれたことと,実はそれ以上に中溝会長の絶大な人気に拠る所が大であつたためと考えるが,きわめて盛大且つ学問的に収穫の多い学会であつた.
 学会は会長のプレジデンシャル・アドレス,招請講演,それに教育的意味をもつ検査法に関する3つの分野にわたる一種のシンポジウムのほか94題にのぼる一般演題,スライド供覧が2日間,2会場に分れて催され,終始真摯な討論が行なわれた.第1日午前にもたれた招請講演はTaiwanのC.K. Wong教授がcutaneous amyloidosisについて多数のスライドを用いて各タイプの症例を示され,またアミロイドの組織化学的同定法について触れられ,BBU (2)で染色,螢光顕微鏡にて観察することがもつとも確実であり,また保存の点からも秀れていることを述べられたが,このことは実際診療にたずさわる者にとつて大変貴重なsuggestionであつた.招請講演者に東南アジアに属する国の皮膚科学者が選ばれたのは今回がはじめてのことと思うが,膚皮科学の分野において東南アジア諸国との交流がこのような形で行なわれることは大変喜ばしいことであり,今後益々こうした交流がさかんになることを望んで止まない.今回こうした企画をされた中溝会長ならびに学会の運営に当られた方々に敬意を表する次第である.

アメリカ各大学の皮膚科教室を訪ねて(最終回)

著者: 山田瑞穂

ページ範囲:P.244 - P.246

 Boston大学はStrauss教授が(休日だが)土曜がよいということで,約束の午前8時きつかりにフォルクスワーゲンでホテルに迎えに来てくれた.この病院はスラム街の中にあるので,のこのこと歩いて行くというわけには行かない.入口のホールに,前の学長の奥さんでレントゲンのDr.でもある人の作つた医学者の大きなレリーフがずらりと並んでいた.ラボの無人の研究室を1つ1つ鍵をあけて案内してくれ,脂質を分画したたくさんの資料を説明してくれた.別の建物の診察室で約束してある2人の患者(1人は1時間余り待たせた)の前額にチエンバーをのせて脂質をとり,細菌をとるという診察に同席した.看護婦もおらず,独りで,慣れた手つきでピペットを操作していた.1分間をはかるストップウォッチつきの腕時計はセイコーのデジタルであつた.患者を待つている間中,例によつて彼の得意とするacneの話をした.日本人はなぜacneに興味を持たないのか,お前はどうかといつたことから始まつて,acneの治療は抗生物質に限るというところまで続いた.数年間続けているということはその治療法では治らないということになると思うのだが,その答えは得られなかつた.
 MinnesotaのRochesterに着いてすぐにWinkelmann教授に電話すると,明朝7時半にEast 5—Bに来いということで,様子がわからなくておくれたりしてはいけないと思い,ホテルからMayo Clinic行きの無料のリムジンに乗ると,すぐ近くのビルであつた.翌早朝,指定の時間に行くと,外来患者の供覧で,scleroderma, lymphomaなど数例の供覧があり,PhiladelphiaやBostonと同じであるが,その後のdiscussi—onはむしろ臨床講義といつたもので,台湾出身のDr.Suが司会して,residentsを誘導して発言させて,黒板に症状を書きあげて行く.私にもsclerodermaには日本ではどんな治療をしているか,lymphocytomacutisに対してはどうかと聞いた.Atlantic Cityの学会S.I.D.で会つたスウェーデンのかなりの年配の小柄の女医さん(California大学に半年ほどいたという)も私と同じようにあちこち廻つているようで,ここで再会,私の隣に座つていたが,マデカゾールをずい分使つたが効かなかつたといい,私も同感だが効くという人もあると答えておいた.

基本情報

臨床皮膚科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1324

印刷版ISSN 0021-4973

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