icon fsr

文献詳細

雑誌文献

臨床皮膚科51巻5号

1997年04月発行

文献概要

Derm.'97

ショック療法

著者: 辛島正志1

所属機関: 1久留米大学皮膚科

ページ範囲:P.173 - P.173

文献購入ページに移動
 折にふれて想い出す症例がある.そのかたは43歳の女性で,重症の類天疱瘡であった.睡眠すら全くとれないほど痒みは強く,ステロイド内服しても,紅斑と水疱は日増しに増えていく.抗体価も数万倍のオーダーで推移する.当時入局6年目で病棟医長をしていた私は,健保で認可されたばかりの血漿交換療法を併用することにした.早速,透析室と交渉してベッドを確保し,業者に連絡して器材を揃えた.ICU研修医時代,透析は数多くこなしていたが,今回は業者の方で回路の組み立てをしてくれ,医者はカテーテルの挿入くらいをすればよいので,楽である.初回の血漿交換を無事に終え,患者さんも痒みが減ったと喜んだ.血漿交換を続けたが,症状は一進一退であった.免疫抑制剤もすでに併用している.パルスもした.それでも水疱はまだ出来る.抗体価もまだ高い.考え悩んだが,他に治療は思いつかない.ならば,血漿交換とともに突き進むしかない,と私は考えた.幸い患者さんに合併症もなく,血漿交換は続けられた.1か月たった頃,それは起こった.その日の血漿交換も終りかけた時である.患者さんが急に「痒くなった!」と叫び,四肢にみるみる蕁麻疹が広がった.血圧は下がり,アナフィラキシー・ショックである.落ち着いて対処して事なきを得たが,なぜショックを起こしたのか解らなかった.使用した器材や点滴はいつもと同じである.いつもと違うのはこの日に限って,朝のプレドニゾロンを内服していなかったことぐらいである.それよりも,もう血漿交換はできないかもしれない,これからどうやって治療すればいいのかという思いで一杯であった.ところが,翌日から皮疹が消え始めたのである.抗体価もどんどん下がった.まるでショックの時に抗体産生細胞が消滅したかのように.もしくは体のリセットボタンが押されたかのように.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1324

印刷版ISSN:0021-4973

雑誌購入ページに移動
icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら