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文献詳細

雑誌文献

臨床皮膚科52巻2号

1998年02月発行

文献概要

印象記

「国際皮膚リンフォーマ学会」印象記

著者: 戸倉新樹1

所属機関: 1浜松医科大学皮膚科学教室

ページ範囲:P.188 - P.190

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 犬の糞があちこちに落ちている.前夜遅く,ベルリン・テーゲル空港に到着し,すぐタクシーで旧東ベルリンにあるホテルに着いた.ホテルまでのタクシーに乗っている間,車窓からは建築中の建物,古い空きビルがあちこちに見え,工事中の道路も多く,旧東ベルリンはまだ荒れていることはある程度気がついていた.しかし,翌朝起き,こうして道路を歩いていると,犬の糞が落泄され,建物は半ば荒廃し,その一画だけが何の脈絡もなくモダンなオフィスとして使われ,旧東独の部分と近代的な部分がまだらに存在することがはっきりした.それにしても,前夜到着後,瀧川雅浩教授と白ワインを飲んだホテル近くの野外レストランの雰囲気も尋常ではなく,誇張して言えば廃虚の中のリラックスムードのレストランと言った感じであった.
 我々がホテルから歩きながら向かっているところはCharité(シャリテ)という病院である.この病院は歴史的にはペスト患者の治療のために建てられたが,その後紆余曲折を経て,現在,事実上フンボルト大学の医学部および附属病院となっている.ところでここ数年来のベルリンにある大学皮膚科の再編は少々複雑である.筆者の理解では,そもそも西ベルリンにベルリン自由大学とその附属病院的存在であるVirchow病院があり,東ベルリンにはフンボルト大学とCharité病院があった.数年前Charité病院の皮膚科の長となったWolfram Sterry教授は,統廃合政策に基づきVirchow病院の皮膚科をCharité病院に吸収させた.よってベルリン自由大学所属でVirchow病院にて診療,研究に携わっていた皮膚科医のかなりの部分は,Charité所属となり自動的にフンボルト大学に移った.Charitéでの皮膚科の病床数は約80で,当然皮膚科医の数も多い.筆者の友人であるtricholo—gistのRalf Pausも,この再編に伴いCharitéに移った.ちなみに彼は我々の教室にCharitéから2人短期留学生を送り込んだため,筆者は彼らからCharitéの話はよく聞き馴染んではいた.しかし周囲の景観のなかでのその建物を実際この眼でみるのは初めてである.敷地内には,Koch, Virchowをはじめ,医学史上著名な研究者の記念碑があり,Charitéの歴史的重要性を誇示していた.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1324

印刷版ISSN:0021-4973

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