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文献詳細

雑誌文献

臨床皮膚科56巻8号

2002年07月発行

文献概要

連載

海外生活16年—出会った人・学んだこと・19

著者: 神保孝一1

所属機関: 1札幌医科大学皮膚科

ページ範囲:P.667 - P.668

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ハーバード大学医学部皮膚科における外国からの研究者・フェローの研究活動と支援体制
 ハーバード大学には日本から多くのポスト・ドクトラールフェローが訪れ,研究のトレーニングを受けている.私自身もリサーチフェローとして,1970年に札幌医科大学大学院生の途中から渡米したわけであるが,既にハーバード大学医学部皮膚科学研究室には東京逓信病院から戸田浄先生が来ておられ,私に対して米国と日本との生活環境の違いやフェローとしての心構えなど親身なアドバイスをしてくださった.彼は,よくジョークとして「自分はリサーチフェローではなく,リサーチスレイブ(奴隷)である」と言っていた.多くの米国人はこれを聞くと顔をしかめたが,私はあながちこの発言が間違いではないと思った.実際,当時日本から米国に来てフェローとして働いていた多くの人々は,安サラリーで多大な苦労を自分自身と家族に強いながら苦しい環境で働いていた.しかし,当時の日本はまだ米国と比較し生活・研究のレベルが極めて低く,そういった意味では米国での新しい環境は若い人々にとって先進文化に接するという意味で魅力的であり,多くのことを学ぶことができ,苦労することは決して無駄ではなかった.
 当時のハーバード大学医学部皮膚科の研究活動を支えていた研究者は大きく分けて2つのグループより成っていた.その一つは外国(ヨーロッパ,中近東,アジア,日本など)から研究のトレーニングを受けに来ているフェローかまたは外国(ヨーロッパ,中近東,アジアなど)での生活が不安定なので新転地の米国へと移住し,研究業績を通じ生活の糧を得,生活基盤を得ようとしているPhD研究者である.もう一つは,ネイティブの米国人であり,MDまたはPhDの学位を既に持っている人々である.これら2群の人々のうち最も将来への飛躍が期待されているエリート集団は,ネイティブのMDである.1970年私がハーバード大学医学部皮膚科に在籍していた当時,このグループの中で研究活動を行っていた多くのMDは,現在世界的なリーダーとして活躍している.多分一番惨めな思いをしたのはnon-MD,non-PhDのヨーロッパ(主として中近東,東欧)およびアジアから来た移住者であろう.このような人々の中で当時私の身近にいた研究者はM.A. Pathak,G.Szaboである.G.SzaboはB.Gilchrest(現,ボストン大学医学部皮膚科主任教授)が最初に皮膚科で研究活動を行った時に実験手技の基礎を教えた人であるが,メラノサイト生物学において世界的な第一人者でもあった.同様M.A. PathakはJ.Parrish(現,ハーバード大学医学部皮膚科主任教授)にPUVAを含む光生物学研究の糸口を教えた師であり,また,Fitzpatrick教授の光生物学に関する研究のほとんどを行っていた研究者であった.しかし,彼らは一様に私との個人的な会話の端々に自分自身の恵まれない環境に対する不満を述べていた.一方,日本人フェローはこれらの人々とは少し異なっていた.これは,帰る国を持っていたこと,帰国すると多くの人々は日本でのエリートコースの道を歩む可能性があることがあり,さらに滞米期間自体が3年以内と限定されていたので,十分自分自身の置かれていた環境を割り切って考えることができたためであろう.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1324

印刷版ISSN:0021-4973

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