文献詳細
文献概要
--------------------
あとがき
著者: 瀧川雅浩
所属機関:
ページ範囲:P.928 - P.928
文献購入ページに移動 2020年夏季オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることになりました.国を挙げての誘致活動のなかで,最も印象的だったのは国際オリンピック委員会(IOC)総会での日本招致チームのプレゼンテーションではなかったかと思います.老い(失礼!)も若きも,英語でのすばらしい招致演説が,IOC委員のこころをつかんだのだと思います.昨今,グローバル人材の育成が声高に叫ばれています.文科省は,「若い世代の内向き志向を克服し,国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として,グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる人材の育成を図るため,大学教育のグローバル化のための体制整備を推進する」と,うたっています.グローバル人材の育成は国が推進するものでしょうか? IOC委員会での若い方々の演説を聞いていると,グローバリゼーションはもう既に終わっているのではないかと思います.私の友人にFさんというベトナム人がいます.ベトナム戦争の末期に日本留学中でしたが,1975年4月のサイゴン陥落によりベトナムへの帰国ができなくなり,そのまま日本に滞在しました.おそらく,いわゆる“難民”になったのだと思います.その後,日本女性と結婚して,医療機器会社を日本で起業しました.業績も伸びて,米国にも子会社を設立しました.昨年は,天皇陛下が会社視察に来られたということで,話題にもなりました.Fさん曰く,「日本ではグローバリゼーションはとっくの昔に終わっていますよ.これからは,日本のグローバル人材が何をするかです」.国際的な皮膚科学会でも,日本の多くの若い皮膚科医たちがすばらしい英語で堂々と発表しています.私が若かった頃とは様相が全く異なってきています.英語をしゃべることはグローバリゼーションの基本ですが,すべてではありません.自分が持っている基盤を支える文化を十分に自分自身で理解すること,そして,その文化を含めたプレゼン内容を相手に理解してもらうこと,それがグローバリゼーションではないかと思います.グローバリゼーションは自分自身で作っていくもの,国から与えられるものではないと思います.
掲載誌情報