文献詳細
マイオピニオン
文献概要
1. 産業医科大学卒業生として
私は,平成14年(2002年)に産業医科大学医学部を卒業した.産業医科大学は産業医を養成する目的大学で,その点,特色ある医学部と言える.私は,入学間もない医学部1年次に確か講義だったと思うが,そこで言われたことを今でも鮮明に覚えている.それは,「産業医は感謝されない医者」だということである.入学当時,医者は患者を診て病気を治すわけだから,それは患者や家族にとって幸せなことであり,感謝されるのではないか?と思っていた.そのため,当時の記憶は今でも鮮明に覚えているのだ.産業医科大学皮膚科に入局後,戸倉新樹先生にご指導いただき,皮膚科の臨床を存分に学ぶ機会に恵まれた.当時医員だった私と戸倉先生の様子は,16年前に私が本誌に執筆したコラムに詳しく書いてあるが,皮膚科の奥深さに魅力を感じていた時期でもある1).その後,皮膚科医として経験を積みながら,産業医として勤務する機会をいただいた.
私は,平成14年(2002年)に産業医科大学医学部を卒業した.産業医科大学は産業医を養成する目的大学で,その点,特色ある医学部と言える.私は,入学間もない医学部1年次に確か講義だったと思うが,そこで言われたことを今でも鮮明に覚えている.それは,「産業医は感謝されない医者」だということである.入学当時,医者は患者を診て病気を治すわけだから,それは患者や家族にとって幸せなことであり,感謝されるのではないか?と思っていた.そのため,当時の記憶は今でも鮮明に覚えているのだ.産業医科大学皮膚科に入局後,戸倉新樹先生にご指導いただき,皮膚科の臨床を存分に学ぶ機会に恵まれた.当時医員だった私と戸倉先生の様子は,16年前に私が本誌に執筆したコラムに詳しく書いてあるが,皮膚科の奥深さに魅力を感じていた時期でもある1).その後,皮膚科医として経験を積みながら,産業医として勤務する機会をいただいた.
参考文献
1) 杉田和成:臨皮 60(増刊):172,2006
2) Ikenouchi-Sugita A, et al:J UOEH 35:1, 2013
掲載誌情報