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海外だより
A. Schweitzer病院の診療
著者: 高橋功1
所属機関: 1シュワイツァー病院
ページ範囲:P.742 - P.744
文献購入ページに移動知られていない病院の実情
Albert Schweitzer(以下A. Sと記す)とガボン共和国のランバレネにある病院については,すでに多くの人びとによっていろいろに書かれている。A. Sは黒いアフリカの医聖だとか,ランバレネは医学の聖地だとかいういかにもセンチメンタルな記事から,その病院はたいへん旧式できたない,それは新興ガボンの近代化をはばむ壁だといつたふうな非難や誹謗の記事まで,いろいろさまざまである。なかにはその医術まで時代遅れだと書いた記事も私の目にはいつている。しかしその多くは部外者の筆になるもので,いままで勤務員がこれに書きおよんだのはあまりないのである。昨年外科主任Dr. Rolf MüllerがMünchener Medizinische Wochenschriftに50 Jahre Albert-Schweitzer-Spital in Lambareneと題して書いたものが,勤務員のペンになる稀少なものである。
A. Sがランバレネに黒人救済のための病院を開設したのは1913年4月だから,それからすでに51年を経過している。もちろん当時の病院は現在地からオゴエ河を下だること3キロのアンデンデというプロテスタント伝導所のある地点にあつたので,現在地アドリナノンゴに移つてきたのは1927年1月だつた。それからもう37年もたつているのである。
Albert Schweitzer(以下A. Sと記す)とガボン共和国のランバレネにある病院については,すでに多くの人びとによっていろいろに書かれている。A. Sは黒いアフリカの医聖だとか,ランバレネは医学の聖地だとかいういかにもセンチメンタルな記事から,その病院はたいへん旧式できたない,それは新興ガボンの近代化をはばむ壁だといつたふうな非難や誹謗の記事まで,いろいろさまざまである。なかにはその医術まで時代遅れだと書いた記事も私の目にはいつている。しかしその多くは部外者の筆になるもので,いままで勤務員がこれに書きおよんだのはあまりないのである。昨年外科主任Dr. Rolf MüllerがMünchener Medizinische Wochenschriftに50 Jahre Albert-Schweitzer-Spital in Lambareneと題して書いたものが,勤務員のペンになる稀少なものである。
A. Sがランバレネに黒人救済のための病院を開設したのは1913年4月だから,それからすでに51年を経過している。もちろん当時の病院は現在地からオゴエ河を下だること3キロのアンデンデというプロテスタント伝導所のある地点にあつたので,現在地アドリナノンゴに移つてきたのは1927年1月だつた。それからもう37年もたつているのである。
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