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オスラー博士の生涯・7
英国への留学と欧州の見学旅行—1872-1874
著者: 日野原重明1
所属機関: 1聖路加国際病院内科
ページ範囲:P.390 - P.393
文献購入ページに移動ロンドンに留学―大学職を目指して
当時カナダで医学校を卒業してM. D. を得たものは,さらに英本国に渡って仕上げをするのが普通であった.当時オスラー家は,上の子ども達は既に結婚して家を出てしまっており,子どもの生活費がそれ程かからないようにはなっていたが,しかしウィリアムの父には息子の希望通り2カ年間も英国に留学させるだけの経済的余裕はなかった.ところが幸い,ウィリアムのすぐ上の兄のエドムンドが,その長期の留学のための必要経費として千弗を工面してくれることになった,喜びにあふれたウィリアムは,たまたま英国にいる許嫁を訪問しようとしていたエドムンドと一緒に,1872年7月3日に乗船して英国に赴いた.
彼は先ずロンドンに落ち着き,方々の病院を見学し,その夏はダブリンやグラスゴーやエジンバラなどの街を見物した.彼の遺した手帳には,その頃の旅の支出が細かく書き込まれていた.これによると,相当節約した旅のようすがうかがわれる.
当時カナダで医学校を卒業してM. D. を得たものは,さらに英本国に渡って仕上げをするのが普通であった.当時オスラー家は,上の子ども達は既に結婚して家を出てしまっており,子どもの生活費がそれ程かからないようにはなっていたが,しかしウィリアムの父には息子の希望通り2カ年間も英国に留学させるだけの経済的余裕はなかった.ところが幸い,ウィリアムのすぐ上の兄のエドムンドが,その長期の留学のための必要経費として千弗を工面してくれることになった,喜びにあふれたウィリアムは,たまたま英国にいる許嫁を訪問しようとしていたエドムンドと一緒に,1872年7月3日に乗船して英国に赴いた.
彼は先ずロンドンに落ち着き,方々の病院を見学し,その夏はダブリンやグラスゴーやエジンバラなどの街を見物した.彼の遺した手帳には,その頃の旅の支出が細かく書き込まれていた.これによると,相当節約した旅のようすがうかがわれる.
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