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オスラー博士の生涯・9
病理学から内科臨床へ—1872-1883
著者: 日野原重明1
所属機関: 1聖路加国際病院内科
ページ範囲:P.658 - P.661
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その頃一即ち今から約百年近い前までのモントリオール総合病院では,入院患者が死ぬとその主治医が剖検を引き受けるならわしであったが,1876年5月からはオスラーが専門に死体の病理解剖をひきうけることになった.つまり病院における病理医(pathologist)としての地位づけを彼は自らの努力で打ち立てたので,この制度が英米では今日までも続いているわけである.それから以後,彼がペンシルヴァニア大学に転任するまでの8年間,この大学の病理の方面の検査と研究を引き受け,病理解剖が臨床家にとってどんな意義があるかということ,またよい臨床家となろうとするものには,どうしても病理学の基礎がなければならないことを,オスラーは自分の経験を通して多くの人に訴えたようである.後になって内科臨床医としての輝かしい地位を得たオスラーの成功の鍵は,彼が病理学の深い知識をもっていたためといえよう.
今日アメリカ医学の一つの特徴は,臨床病理(clinicalpathology)が普及し,高く評価され,それが能率的に機能していることである.このことがドイツ医学との大きな違いであった.オスラーは狭い意味の病理学に自らを限定せず,一般臨床検査なども広く取り入れて,それを医学生や臨床家が診断や治療のための武器とすべきことを強調している.
その頃一即ち今から約百年近い前までのモントリオール総合病院では,入院患者が死ぬとその主治医が剖検を引き受けるならわしであったが,1876年5月からはオスラーが専門に死体の病理解剖をひきうけることになった.つまり病院における病理医(pathologist)としての地位づけを彼は自らの努力で打ち立てたので,この制度が英米では今日までも続いているわけである.それから以後,彼がペンシルヴァニア大学に転任するまでの8年間,この大学の病理の方面の検査と研究を引き受け,病理解剖が臨床家にとってどんな意義があるかということ,またよい臨床家となろうとするものには,どうしても病理学の基礎がなければならないことを,オスラーは自分の経験を通して多くの人に訴えたようである.後になって内科臨床医としての輝かしい地位を得たオスラーの成功の鍵は,彼が病理学の深い知識をもっていたためといえよう.
今日アメリカ医学の一つの特徴は,臨床病理(clinicalpathology)が普及し,高く評価され,それが能率的に機能していることである.このことがドイツ医学との大きな違いであった.オスラーは狭い意味の病理学に自らを限定せず,一般臨床検査なども広く取り入れて,それを医学生や臨床家が診断や治療のための武器とすべきことを強調している.
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