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医道そぞろ歩き—医学史の視点から・18
ボローニヤ大学のモンディーノ
著者: 二宮陸雄1
所属機関: 1二宮内科
ページ範囲:P.1990 - P.1991
文献購入ページに移動 パドヴァから急行で1時間,丘の間を緩やかに下るとボローニヤの駅に着く.ネプチューン(海神)の像の立つ広場の教会の横に,欧州最古の大学ボローニヤ大学がある.10世紀にはすでに法律学の講義が行われており,これに付属する法医学施設として医学校もあったらしい.その頃,十字軍で死んだ兵士の骨を煮て故郷に持ち帰る習慣があったが,教皇ボニファキウス8世は解剖を含めてこれを禁じた.しかし,この布告に反して,医学校では人体解剖も行われたらしい.
ボローニヤ大学の中庭は,パドヴァ大学と同じ回廊が取り巻いている.壁にはここで学んだ学生たちの名楯(スティグマタ)がたくさん掲げられている.2階にある解剖示説室は大戦中に破壊され,修復再現されたものである.ヒポクラテス,ガレノスら古代の医師たちの像と並んで,モンディーノ・デ・ルッチの像が解剖台を見下ろしている.ルッチ出身のモンディーノ(1265年頃〜1326年)はボローニヤの薬剤師の息子で,ボローニヤ大学を出て1306年に解剖学の教授になり,60歳前後で死亡するまでその職にあった.モンペリエのモンデビユと同じ頃ボローニヤで学び,ギュイ・ド・シヨーリアクがボローニヤに留学したときには50歳を越えていて,すでに『解剖学』(アノトミア)を書き上げていた.
ボローニヤ大学の中庭は,パドヴァ大学と同じ回廊が取り巻いている.壁にはここで学んだ学生たちの名楯(スティグマタ)がたくさん掲げられている.2階にある解剖示説室は大戦中に破壊され,修復再現されたものである.ヒポクラテス,ガレノスら古代の医師たちの像と並んで,モンディーノ・デ・ルッチの像が解剖台を見下ろしている.ルッチ出身のモンディーノ(1265年頃〜1326年)はボローニヤの薬剤師の息子で,ボローニヤ大学を出て1306年に解剖学の教授になり,60歳前後で死亡するまでその職にあった.モンペリエのモンデビユと同じ頃ボローニヤで学び,ギュイ・ド・シヨーリアクがボローニヤに留学したときには50歳を越えていて,すでに『解剖学』(アノトミア)を書き上げていた.
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