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痛み
人は痛みとどうたたかつてきたか(その2)
著者: 清原迪夫1
所属機関: 1東大麻酔科
ページ範囲:P.371 - P.374
文献購入ページに移動17世紀の終わりには「悩める人を救うために,全能の神が与える薬物のなかでも,阿片ほどすべての用途に適し,かつ有効なものはない」と英国の名医Sydenhamが記している。しかし,19世紀にはいると,目にあまる阿片やモルフィンの濫用が多くの語りぐさとして残されている。De Quinsyもホーマーを引用した手紙で,阿片は悲嘆や痛みから解放してくれる,といつているが,阿片をつづければ早晩死ぬはめになることを知りながらも,讃美歌の福音のむなしさよりは,現存する痛みにうち勝ち,恍惚の境にひとり遊ぶことのできる嗜癖のほうが,好まれたのである。かように不法に用いられると,薬という言葉は,よく毒と同等にいいかえることができる。
東洋では,阿片の喫煙はありふれたものであつたが,成分の大部分は熱で壊されてしまうから,副作用はより緩和されたものであつて,この点タバコのニコチンとは違うのである。マホメッドがアルコール飲料を禁じていたためだろうか,極端な嗜癖は,東洋まではおよばなかつたようである。西洋での嗜癖は,通常laudanumの飲用からなる阿片食の型で起こつており,アルコールとの混合型である。さきのDe Quinsyは1日量8000滴を消費したという。ボードレールは,laudanumの大量をのんだ後に,幻視,恍惚感が起こると書いている。
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