文献詳細
文献概要
扉
若さには可能性がある
著者: 鈴木二郎1
所属機関: 1東北大学脳研脳神経外科
ページ範囲:P.273 - P.274
文献購入ページに移動 私は勿論若い,一声強がりをいわせて頂いてから筆を執ることにする.
脳神経外科の父,Harvey W.Cushingは,1900年の6月23日,父からの銀行信用状と,師の同僚Johns Hopkinsの初代病理学教授W.H.WelchからのHorsleyへの紹介状を持ってヨーロッパの旅に出発した.32歳の血気に盗れた青年外科医であった.彼はその頃,脳神経外科に興味を持ってはいたものの,師A.E.Halsteadの反対もあり,脳神経外科だけを専門にこれからの医学の道を進むという決心はまだついてはいなかった.
脳神経外科の父,Harvey W.Cushingは,1900年の6月23日,父からの銀行信用状と,師の同僚Johns Hopkinsの初代病理学教授W.H.WelchからのHorsleyへの紹介状を持ってヨーロッパの旅に出発した.32歳の血気に盗れた青年外科医であった.彼はその頃,脳神経外科に興味を持ってはいたものの,師A.E.Halsteadの反対もあり,脳神経外科だけを専門にこれからの医学の道を進むという決心はまだついてはいなかった.
掲載誌情報