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扉
或る墓碑銘
著者: 古和田正悦1
所属機関: 1秋田大学脳神経外科
ページ範囲:P.5 - P.6
文献購入ページに移動彼は幼少から画を学び,のちに秋田藩主佐竹義敦(曙山)の信任を得て,ともに洋画法の研究に励んだ.曙山は日本洋画史上で著名な人物であるという.安永2年平賀源内が秋田藩に招かれた折,当時25歳の直武は源内から洋画を教えられ,その年の12月,江戸に出ている.源内の推薦でまもなく杉田玄白より西洋医学諸書の解剖図を模写する仕事を依頼された.直武は江戸に着いて早々に歴史的な大事業に遭遇したことになる.付図の最後の頁には絵がなく,直武が玄白に頼まれてやむなく筆をとったということを漢文で記している.彼はその後,藩主の勘気を蒙って謹慎の身となり,その翌年32歳の若さで生涯を閉じた.数奇な運命であった.
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