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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科10巻5号

1982年05月発行

雑誌目次

お年寄りの患者さん

著者: 神野哲夫

ページ範囲:P.461 - P.462

 なんとまあ,お年寄りの患者さんが多いことであろうか.社会の老年人口の増加を身にしみて感じる昨今である.救命救急センターの脳卒中の患者の7割は60歳以上であるし,外来では老人患者の多くは脳動脈硬化症あるいは脳卒中後遺症で,それだけで6割になる.時折お世話をさせていただく関連病院の入院患者のこれまた7割が老人である.これらの患者さんは実に不定愁訴が多い.外来でも病室でも,話し始めると,いつ話を途中で切り上げるかを考えながら,ニコニコと笑顔で問いに答えていることが多い.
 「おばあちゃん,どこが悪いの?」と聞くと,「うんや,最近は調子いいよ」と答える.(それじゃ,何をしに病院に来たの?)と心の中で思いながらも,「先生の顔をみると,何となく安心する」などと言われると,俺もモテるかなあ,などと思い,心の中ではついニヤついてしまう.「今朝,何時に来たの?」「朝4時に起きて,病院には6時に着いたよ」「寒かっただらあ(名古屋弁)」「うんや」などと会話しているうちに,おばあちゃんは,さっさと診察台の上に乗り胸を開く.聴心器を当てろという意味である.心臓のほうは大丈夫だよと思いながらも聴心器を当ててきく.脳卒中後遺症で通っているのだから,そう心臓が悪いわけでもない。俺はいったい何をしているのだろうなどと心の中でまた思う.これでも大学病院の脳外科の教授か?

総説

悪性脳腫瘍に対するインターフェロン治療の現状と将来

著者: 永井政勝 ,   新井紀元

ページ範囲:P.463 - P.476

I.緒論
 1.腫瘍一般に対するインターフェロンの臨床応用 ウイルスの増殖を抑制する一種の蛋白質として1957年Isaacs31,32)によって発見,命名されたインターフェロン(以下IFNと略す)が細胞増殖抑制の作用をももつことは,早くも5年後の1961年Pauckerら52)によって指摘された.その後1970年前後からGresser16-20)の精力的な研究はIFNの抗腫瘍作用を確実に裏附けていった.一方Cantellによる白血球IFNの量産をバックにして1972年より始められたStrander63-68)による骨肉腫に対する臨床応用はその有効性が認められて注目を集め,悪性腫瘍全般に対するIFN治療の火付け役となったのである.1970年代後半にこの白血球IFN(α型,比活性106I.U./mg protein)を用いて欧米で行われた臨床応用の対象疾患は,骨肉腫のほか,悪性リンパ腫,多発性骨髄腫,白血病,黒色腫,乳癌などが主たるものである(一部,他のタイプのIFNの使用を含む)3,4,11,22,27,43,45,54)
 わが国では純度の高い線維芽細胞IFN(β型,比活性107I.U./mg protein)が東レによって量産されはじめた1979年から厚生省の班研究として本格的な臨床応用が開始された81)

解剖を中心とした脳神経手術手技

ガレン静脈近傍腫瘍の顕微鏡手術手技と解剖

著者: 玉木紀彦 ,   松本悟

ページ範囲:P.479 - P.487

I.はじめに
 ガレン静脈近傍腫瘍に対して古くからその摘出手術が試みられたが,その結果は悲観的なものが多く3,8,11,12),この部位の腫瘍は頭蓋内手術のうち最も摘出手術が困難であるとされてきた.
 しかし最近の顕微鏡手術解剖の研究5,20,27,30),ならびに顕微鏡手術手技の普及と向上により,ガレン静脈近傍の良性腫瘍に対して全摘出手術の成功例が増加しつつある.

特別寄稿

The Pioneers of Neurology and Neurosurgery in the world and Their Contributions:A Lecture for Young Japanese Neurosurgeons

著者:

ページ範囲:P.490 - P.498

 A boy was born in Macedonia over two thou-sands years ago.And in a short time he became a great leader, a great general, a greatsoldier.This man who died when he was onlythirty two, conquered all of Greece, the Balkans,the Middle East, Egypt, Persia, India.He thencried as he sat down on a rough and wet rock.Why? Because there were no more worlds toconquer.This man was a fool.Why? Because he could see only the dirt under his feet.He had no vision of the future.It is importantthat you have a vision of the future.Becauseonly by research and work can we increase thefield of neurological surgery. Many years agoa philosopher remarked that those who wereignorant of the mistakes of the past are condemned to repeat them. We must not do that.We must go ahead but not make the samemistakes as those who went before us. Neurological surgery is now just over onehundred years old. In 1879 a young man atabout thirty removed the first brain tumor.His name was William MacEwen. And he livedin a small, unimportant city in Scotland, Glasgow. This was not at that time a medicalcenter and yet this man began neurological surgery there and continued to do neurologicalsurgery both on the brain and on the spinalcord. He became one of the most successfulsurgeons ever in the treatment of brain abscesses. Five years later, another surgeon removed a brain tumor in England, in London.His name was Rickman Godlee. But we neverhear of Rickman Godlee again. He removedone tumor and quit. A short time later, another man who was not a surgeon but a physiologist began doing brain surgery and surgeryfor spinal cord tumors. His name was VictorHorsley. Victor Horsley was not a good surgeon. When Harvey Cushing decided to become a neurological surgeon he went to London to learn neurolcgical surgery from Horsley.He watched Horsley operate. But Horsley wassuch a poor surgeon that Cushing became discouraged and decided not to do neurologicalsurgery and left England. He went to Switzerland and worked in physiology and while theredeveloped the knowledge, which we now have, of the symptoms of increased intracranial pressure, the effects on the pulse, the respiration andthe blood pressure. On his way home HarveyCushing stopped again in England but not tovisit Horsley. This time he visited Sherrington, another physiologist. Sherrington was operatingupon monkeys and apes. He asked Cusing toexpose the brains of these experimental animals. And it was this experience with Sherringtonwhich changed Cusing's mind to become a neurological surgeon. I told you that Horsley wasnot a good surgeon. His results were poor. One of his friends once asked him, "Victor, with such bad results as you have, why do you continue to operate ?" And Horsley answered, "If I don't continue, those who conie after mewill do no better." and he was right. Theearly surgeons in the 1800's had such bad results that neurological surgery was about to disappear. Fedor Krause, working in Germany hada post operative mortality of 65%. As a result, neurologists, physicians in general did not continue to refer their patients for neurosurgicaloperations. The change in the risks of neurosurgical operations was brought about by Harvey Cushing. He had an excellent training insurgery. He was trained by one of the mostfamous surgeons that we ever had in the UnitedStates, William Halsted at the Johns HopkinsUniversity. His technique was meticulous, verycareful. He took great pains with tissues andhad good results. Cushing learned this technique from Halsted and adopted it for neurological surgery. For the first 12 years from1900 to 1912 Harvey Cuhsing trained one neurological surgeon. His name was Harvey Cushing. He trained himself.

研究

小脳Astrocytomaの脳血管造影—特に濃染像,血行動態の所見および脳血管造影とCTとの所見の対比

著者: 北岡憲一 ,   伊藤輝史 ,   田代邦雄 ,   阿部弘 ,   都留美都雄 ,   宮坂和男

ページ範囲:P.501 - P.509

I.はじめに
 小脳astrocytomaが特異な臨床および病理像を呈することはすでに報告されている19).われわれはこれまでに小脳astrocytomaの遠隔成績を中心にその臨床像を検討した7,9).今同は小脳astrocytomaの神経放射線学的検討,特に脳血管造影における濃染像,血行動態の所見を中心に検討したので報告したい.

Metrizamide(Amipaque)の副作用—Amipaque cervical myelographyから

著者: 岡田慶一 ,   西松輝高 ,   和田裕千代 ,   小松俊一

ページ範囲:P.511 - P.518

I.はじめに
 従来のイオン化水溶性造影剤は脳室または腰椎くも膜下腔造影のみ適応とされていた.metrizamide(Amipa-que)はdeoxyminoglucose誘導体でイオン化せず,低い浸透圧濃度を保つことで神経毒性や局所耐容性に大幅な改善がなされ,頭蓋内くも膜下腔への造影剤流入を可能2,6,16,19,26,42,46,47)とし,その有用性は高く評価されている4,34,40).しかし,われわれは文献上安全とされている3,000mgI以下13,36,46)のAmipaqueによるcollven-tional cervical myelography45,47)で高頻度に多彩な一過性副作用を認めた.したがってAmipaqueは,その使用方法によっては,かなり高率に神経毒性を発揮する可能性があると考えられるので,若干の考察を加えて報告する.

髄膜腫のヒアリン様封入体の電顕像

著者: 久保田紀彦 ,   平野朝雄 ,   山本信二郎

ページ範囲:P.521 - P.528

I.はじめに
 髄膜腫は頭蓋内腫瘍のなかで最も一般的な腫瘍である.この腫瘍は組織学的に多彩な像を呈することがよく知られている.そのなかの1つとして,Cushing3)が最初に報告し,Kepes6)が電顕で検索した特殊な封入体をもった髄膜腫がある.この封入体はhyaline inclusions in me-ningioma3)とか,pseudopsammoma bodyin meningioma5)とかの名称で呼ばれている.これについての本邦における電顕像の記載は,1975年,久保田7)がその一端を記載したほかにはYagishitaら13)と倉津ら8)による報告があるのみである.われわれは3例の電顕像を調べたので,ここに報告する.

症例

33年間の経過で死亡した"モヤモヤ"病の1剖検例

著者: 花北順哉 ,   近藤明悳 ,   小山素麿 ,   石川純一郎 ,   挾間章忠

ページ範囲:P.531 - P.539

I.はじめに
 現在までに本邦では文献上約36例の"モヤモヤ"病の剖検例が報告されている.その閉塞脳血管の病理所見はほぼ同一のものである.これの病因は不明であり,1つの疾患単位であるのか,症候群であるのかについても議論されており,現在のところ脳血管撮影で脳底動脈の両側性の閉塞を来たし,その付近に異常血管網がみられるもののうち,腫瘍,炎症などのはっきりした基礎疾患を有しないものが,いわゆるモヤモヤ病に属するとされている6,20)
 今回われわれは,6歳の時に脳虚血発作を呈し,その後著変なく過していたが,38歳の時,脳出血発作を起こし,3日後に死亡した"モヤモヤ"病の1症例について剖検を含めて詳細に検討する機会を得たのでここに報告し,あわせて現在までに本邦で報告された"モヤモヤ"病の剖検例を文献的に考察してみた.

神経芽細胞腫の頭蓋骨および頭蓋内転移の3例—CT所見を中心に

著者: 黒木瑞雄 ,   亀山茂樹 ,   外山孚 ,   渡辺正雄 ,   黒川和泉

ページ範囲:P.541 - P.546

I.はじめに
 神経芽細胞腫は,広範囲に全身転移を起こしやすい腫瘍として広く知られているが,頭蓋骨および頭蓋内転移を来たし,多彩な神経症状を呈することも稀ではない.しかしながら,そのCT所見に関しては,これまで充分な検討がなされていない.
 最近われわれは,1例のesthesioneuroblastomaを含む3例の神経芽細胞腫の頭蓋骨および頭蓋内転移を経験し,特にそのCT所見につき興味ある知見を得たので,その臨床所見とともに報告する.

妊娠後期に頭蓋内出血を来たした硬膜動静脈奇形の1例

著者: 陳茂楠 ,   中沢省三 ,   池田幸穂 ,   田崎寿人 ,   志村俊郎 ,   矢嶋浩三

ページ範囲:P.549 - P.555

I.はじめに
 硬膜動静脈奇形は,血管撮影の普及と相まって知られるようになってきた疾患であり,横・S状静脈洞部,海綿静脈洞部に多く発生する24).その成因や治療法に関し種々の検討がなされているが,いまだ一定した結論は得られていない.
 また妊娠中における頭蓋内出血も脳神経外科の発達に伴い注目されるようになり,現在では非妊娠中の頭蓋内出血と同様に治療してよいとされている1,3,10,21,27)

血小板減少症を伴った大脳縦裂間硬膜下血腫の1例

著者: 井沢正博 ,   高橋研二 ,   仙頭茂

ページ範囲:P.557 - P.560

I.はじめに
 大脳縦裂間硬膜下血腫は,Jacobsen8)が報告して以来1,5,8,17,20),比較的稀なものとして報告されていた.
 これらの大多数は脳血管撮影の特徴的な所見から診断されていたが,最近ではCT scanにより,比較的容易に診断が可能となってきた.

CT cisternographyにて興味ある所見を呈した外傷性脳内気脳症の1例

著者: 山本祐司 ,   佐藤透 ,   桜井勝 ,   浅利正二

ページ範囲:P.563 - P.569

I.はじめに
 外傷性気脳症は頭部外傷の0.5-1.5%に発生するといわれ,比較的稀な疾患である6).気体の存在部位により,硬膜外,硬膜下,くも膜下,脳内,脳内脳室内の5型に分類されるが,脳神経外科的に問題となるのは,これらに合併する髄液鼻漏と髄膜炎予防に対する処置であろう.
 一方,髄液循環動態からみた気脳症の病態についての報告は少なく,ことに合併する髄液鼻漏との関係については興味がもたれるところである13,14).最近われわれは繰返す髄液鼻漏を合併した脳内気脳症を手術的に治療したが,この例の臨床経過および術前術後のCT cisterno-graphyを検討することにより,興味ある知見を得たので,若干の文献的考察を加えて報告する.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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