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歴史探訪
明治期ドイツ医学の導入とスクリバ博士の遺産
著者: 永井政勝12
所属機関: 1獨協医科大学 2栃木県赤十字血液センター
ページ範囲:P.859 - P.863
文献購入ページに移動明治期のいわゆるお雇い外国人による医学教育は,明治4年にミュラー(Müller,外科医)およびホフマン(Hoffmann,内科医)の二人が新政府のはじめての正式招聘によって来日したことに始まるが9),その後内科医ベルツ(Erwin von Baeltz)が明治9年から26年間の永きにわたって東京大学で教鞭を取り,やや遅れて(明治14年)来日した外科医のスクリバ(Julius Karl Scriba)も20年間医学教育にたずさわったことによってドイツ医学の真の導入と定着が行われたことは広く知られており,両ドイツ人教師の功績が高く評価されているところである.この中ベルツについては多くの研究がなされ,業績に関する報告や伝記なども多数見られる.これに対してスクリバに関してはある程度の記録は見られるものの6,12)未だ知られていない部分も多く,詳細な研究は少ないと言わざるを得ない.ベルツは多くの学術論文を自ら発表し,さらに有名な日記を遺しているのに対して,スクリバについては学術論文は弟子が記述したものが多く,また手紙・日記のたぐいも残されていないことによると思われる.筆者はたまたまスクリバの蔵書が日本医科大学図書館に保存されていることを知り,これを手がかりとして東京大学在任中のスクリバの業績,ひいては明治期におけるドイツ医学導入に果たした役割,さらには後世への遺産について考え,評価することを試みた.
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