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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科36巻1号

2008年01月発行

雑誌目次

大人の責任

著者: 宮本享

ページ範囲:P.3 - P.4

 Bypassの有効性を示したJET studyを脳神経外科医として私は誇りに思っている.関係者の熱意を総結集した事業であり,kick off当時の「決してprotocol違反はしない」という血判状のような心意気を懐かしく思い出す.しかし,インフラが整備されていない本邦で多施設間共同臨床試験を行うのは難しい.班長になればまた別の悩みがある.研究費は小額の上に,細かな規定があり使いにくい.班員を東京に集めて5万円以下という規定の会場費で会議を開催できるかを考えてもらいたい.飛行機は北海道からは使用できても,秋田からは使えない.年度末には班長が有識者や官僚から採点される.研究期間は大抵3年以内で,ややもすれば追跡期間が完了しないまま終了することになる.「研究期間を何とか延長できないのか」との意見に対して「3年で完了するとの申請で認めた研究を,今になって研究期間が短いというのは契約違反ではないか」と答えた若い官僚がいた.その瞬間私は思わず心中でシュワルツェネッガーになりバズーカ砲を構えていた.

 私はそんな省の直轄病院に勤めている.出張でマイル登録してはならず,格安チケットが義務化され,それを利用しない場合にはその都度理由書の提出が求められる.時間あたりの講演料は国立大学の教官時代に認められていた金額の2割以下である.困り果てた主催者側が「一般の常識」額との差額分を原稿料として支払おうとしてくれる場合もあるが,これにも1字10円という規定があり相当な字数の原稿となる.ビデオ編集料として認めてもらえないかと照会したところ,前例がないと返答があった.これらは「何も悪いことはしていません」と批判されないための手続きである.一方レジデントがいくら休日・時間外勤務をしようと,規定以上はサービス残業である.「労働基準以上には働かせていません」ということであろうが,同じ厚労行政の労災医員としての立場から言えば,十分な過重労働である.医療サービスは過重労働として現場に押し付けられており,政策理念と現実には大きな乖離がある.

総説

胎児期水頭症―疫学調査20年の軌跡

著者: 森竹浩三 ,   山崎麻美 ,   森惟明 ,   菊池晴彦

ページ範囲:P.7 - P.24

Ⅰ.はじめに

 「“一人の人間の生命は地球より重い”とする絶対的生命権を倫理的観点から振りかざすものではないし,またこのような立場が現実の解決に役立つとも思わない.解決の糸口は,過酷な現実に迎合することなく,これまでの臨床的蓄積をふまえ合理的に,予後に希望のあるものまで葬られないよう,周産期医学の英知を駆使して果敢に新しい世界へ挑戦する以外ないと考える」(石川 薫・黒柳充男26)より).これは,1980年代初め超音波を用いた胎児中枢神経奇形の診断を手探りで始めたころ目にした一文である.

 厚生省特定疾患調査研究班として難治性水頭症班が新たに組織された1987年当時,超音波診断法の進歩・普及により中枢神経を含む各種臓器の先天奇形が出生前に診断されるようになり,臨床現場では医療側のみならず患者側にもさまざまな問題が生じつつあった26,79).出生前に診断される各種中枢神経奇形のなかで,水頭症は発生頻度が高く治療の可能性も高いことから,われわれ脳神経外科医にとり最も関わりの深い疾患である.このことから,胎児期水頭症の成因・病態解明と診断・治療の指針作りが研究班の重要課題の1つとなった.その第一歩として,わが国の胎児期水頭症の診療実態を把握する目的で疫学調査が企画され開始された46,47).途中,組織基盤,構成などは変わったがこの疫学研究は継続され,その成果は各年度の研究報告書のなかで,また一部は学会,論文等で報告してきた.2005年に刊行された「胎児期水頭症 診断と治療ガイドライン」80)の基盤資料にもなった.

 本稿では,まず疫学研究と出生前診断の基本的事項と趨勢について解説したのち,われわれの疫学調査の経緯と概要,そして解析結果のうち脳神経外科診療に関係が深いものを示し文献的考察を加える.そして最後に,水頭症発生予防にも繋がる葉酸投与の話題について触れてみた.

解剖を中心とした脳神経手術手技

前交通動脈瘤―解剖と手術手技

著者: 大熊洋揮 ,   棟方聡 ,   嶋村則人

ページ範囲:P.27 - P.43

Ⅰ.はじめに

 前交通動脈瘤は脳動脈瘤全体の約30%を占め,脳動脈瘤の中でも手術機会が最も多いものの1つである.したがってその手術法はほぼ確立した観があるにもかかわらず,アプローチ法の選択,pterional approach(以下PAと略す)における開頭側の決定,半球間裂到達法(interhemishpheric approach)(以下IHAと略す)における進入角度など,術者の経験と好みに依存する不確定要素も少なくはない.こうしたことに加え,本動脈瘤は前方循環動脈瘤のうちで最も深く,かつ関与する動脈が最も多いことなどから,これからクリッピングを習得しようとする脳神経外科医にとっては困難かつ難解なものの1つである.

 こうしたことを前提に,さらに本稿の読者層はクリッピングに関する比較的初級者が主体であると想定し,スタンダードな手術法とその背景となる基本的な考え方,および理解のために必要な解剖学を中心に解説を加える.さらに前述の不確定要素に関してはいずれを選択するかについて私見および文献的見解をもとに現在における標準的な考え方を示した.

研究

高齢者三叉神経痛症例に対する微小血管減圧術

著者: 小野田恵介 ,   上利崇 ,   伊達勲

ページ範囲:P.45 - P.49

Ⅰ.はじめに

 高齢者層の増加に伴い三叉神経痛症例も高齢化の傾向が指摘されている1,3,4,7,11,13,15,18).三叉神経痛は洗顔,食事,会話といった基本的生活動作を妨げるものであり,患者は高度のストレスに苛まれる.高齢者においては若年者に比べ,身体に対する影響は大きく,ADL(activities of daily living)に影響を与えることが予想される.治療法として服薬治療,神経ブロック13,18),ガンマナイフ8,10),微小血管減圧術が挙げられるが,手術は根本的治療法であり,ゴールドスタンダードである2,5,9).微小血管減圧術の良好な手術成績が多く報告されている2,5,9)が,高齢者に焦点を置き検討した報告は比較的少ない.今回われわれは高齢者三叉神経痛例の臨床的特徴,手術における注意点などを検討したので若干の文献的考察を加え報告する.

3テスラ頸部MRAにおける内頸動脈閉塞症例の検討―非閉塞例の存在とその診断について

著者: 眞野唯 ,   清水宏明 ,   井上敬 ,   冨永悌二

ページ範囲:P.51 - P.58

Ⅰ.はじめに

 Magnetic resonance angiography(MRA)は非侵襲的な脳血管検査として普及しているが,狭窄・閉塞病変を過大評価する傾向があることが知られている1, 11).その原因としては,狭窄が高度でMRAの解像度で検出できない場合や血流速度が低下しtime-of-flight(TOF)効果が十分でない場合などが考えられる.頸部頸動脈狭窄症においても,高度狭窄の場合MRA上は閉塞に見えることがあり,carotid endarterectomy(CEA)やcarotid artery stenting(CAS)の適応症例を見逃す可能性がある.今回MRA上の頸部頸動脈閉塞症例におけるMRA所見の精度をdigital subtraction angiography(DSA)所見との対応において検討した.

 また,MRAに加えて,造影剤を用いて血行動態を描出するtime-resolved imaging of contrast kinetics(TRICKS)12)や,流血を無信号化することで血管壁やプラークを詳細に描出するblack blood imaging(BBI)4)を併用することが診断能の向上に寄与するかどうかを検討した.

症例

Posterior-lateral transdural approachにて摘出したretro-odontoid disc herniationの1例

著者: 小泉寛之 ,   清水曉 ,   岡秀宏 ,   鷺内隆雄 ,   宇津木聡 ,   藤井清孝

ページ範囲:P.59 - P.63

Ⅰ.はじめに

 いわゆるretro-odontoid disc herniationは,病理組織学的に椎間板と一致する組織塊が歯突起後部に占拠する病変であり,頭蓋頸椎移行部の占拠性病変では稀なものである.しかし,その存在が知られるようになり,報告例も増加しつつある2,7,9,11-13).自験例を提示し,主に外科的治療方針についての考察を加える.

ガンマナイフ治療が奏効した側頭骨軟骨芽細胞腫の1例

著者: 水松真一郎 ,   坂井恭治 ,   西村卓士 ,   後藤正樹 ,   東徹 ,   高橋和也 ,   清水洋治 ,   中村成夫 ,   中田道広

ページ範囲:P.65 - P.69

Ⅰ.はじめに

 頭蓋骨原発軟骨芽細胞腫は稀な疾患であり,全摘出できれば予後は良好であるが,残存腫瘍に対する治療については意見が分かれている.放射線感受性は良好との記載が多いが,具体的な報告例は必ずしも多くない.今回われわれは側頭骨原発軟骨芽細胞腫の残存腫瘍増大例に対してガンマナイフ治療を行い,良好な結果が得られた1例を経験したので報告する.

前頭蓋底手術を施行した前頭洞癌の1例―眼窩切除の適応について

著者: 林裕史

ページ範囲:P.71 - P.74

本文献は都合により閲覧が許可されていません

コラム:医事法の扉

第21回 「証拠隠滅罪」

著者: 福永篤志 ,   河瀬斌

ページ範囲:P.75 - P.75

 刑法104条は,「他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し,偽造し,若しくは変造し,又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は,二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する」と,証拠隠滅罪を規定しています.まずここで,客体が「『他人』の刑事事件に関する証拠」となっていることに注意が必要です.「自分」の刑事事件に関する証拠を隠滅したり,偽造・変造したりしても,原則として,証拠隠滅罪には該当しません.というのも,犯人自ら証拠を隠そうとするのは,人間の自然な心情からする行為であって,それをあえて処罰したところで隠滅行為を減らせるわけではないからです.このような状況を,「期待可能性がない」といいます.

 それでは,共犯の1人が証拠を隠滅した場合にはどうでしょうか.その証拠が「自分」の刑事事件に関すると同時に「他人」の刑事事件にも関するので問題となります.この点,判例・通説は,もっぱら「他人」のためにする意思で隠滅等した場合にのみ証拠隠滅罪に該当するとしています.

海外留学記

アメリカ留学体験記

著者: 大森一美

ページ範囲:P.76 - P.79

 アメリカ合衆国West Virginia州にあるWest Virginia大学脳神経外科 福島孝徳教授のSkull Base Laboratory(写真1)に2年と少し留学させていただきました.

 West Virginia州は,アメリカ合衆国50州の中でもマイナーで,アメリカ人の中にも知らない人がいるくらいです.しかし,大学のフットボールチームは非常に有名で,コーチングスタッフをはじめ,設備も立派で,スタジアムはプロチーム顔負けです.

連載 悪性脳腫瘍治療の今とこれから

序文

著者: 若林俊彦

ページ範囲:P.81 - P.82

 近年の脳腫瘍の治療戦略には大きな変革が起こりつつあります.手術法では,神経内視鏡,ナビゲーションシステム,術中誘発電位などの技術の進歩は目ざましく,ここ数年間で精度が格段に上昇しました.また,ナビゲーションシステムの最大の課題であった術中のブレインシフトは,MRI装置の導入による術中補正が可能となり,大きな進歩を遂げました.今までは,脳の画像診断が先行する形で発展し,手術手技は遅れをとった感がありましたが,ここ数年でようやく大きな前進がみられました.その結果,術前の詳細な検討により,手術による合併症が最小限に抑えられ,術後のquality of life(QOL)に十分な配慮をしつつ,しかも手術による腫瘍摘出精度は飛躍的に向上することとなりました.一方,術後の補助療法にも数々の新しい試みが報告されてきております.放射線療法も定位的放射線治療法として,従来のガンマナイフ治療のほかに,ノバリス(ブレインラボ株式会社,東京)やTomo Therapy(R)(TomoTherapy Inc., WI, USA)など,より精度の高い局所放射線治療法が次々に開発されてきております.化学療法においても,temozolomideをはじめとし,分子標的薬などに新たな治療薬としての期待がかかる開発も相次いでおり,これらの治療法のなかには既に優れた治療成績が報告されているものもみられます.また,新規治療法として,現在臨床研究が進んでいるものとしては,遺伝子治療,細胞療法,ウイルス療法,分子標的療法,ワクチン療法など脳腫瘍治療法に今後も新たな展開が期待される手法も数多く報告されてきています.

 このようなここ数年の脳腫瘍の補助療法の急速な変革に伴い,脳腫瘍の最新治療の総括を切望する声が挙がってきました.その要望に応え,今回「悪性脳腫瘍」の連載を組むことになりました.本邦では原発性および転移性脳腫瘍と合わせますと,年間60,000件にも及ぶ脳腫瘍症例が発生していると推定されており,今回の情報を有効に活用することで,最新の脳腫瘍診断および治療を社会に還元できる効果は大きいものと期待されます.

1.悪性神経膠腫の遺伝子解析とその臨床応用

著者: 溝口昌弘 ,   庄野禎久

ページ範囲:P.83 - P.91

Ⅰ.はじめに

 悪性神経膠腫は原発性脳腫瘍において最も頻度の高い腫瘍の1つであり,近年の診断・治療技術の進歩にも関わらず,未だ十分な治療成績が得られていないのが現状である.特に最も悪性度の高いglioblastoma(GBM)に関しては,現在でも平均生存期間が1年前後とヒト悪性腫瘍のなかで最も難治性の腫瘍の1つである61,66).他臓器に発生する腫瘍と比べてもその増殖能,浸潤能は高く,発生母地である脳の機能温存,血液脳関門という大きな障壁があり,他臓器腫瘍とは一線を画した独自の治療戦略確立が必要である64).腫瘍が遺伝子の異常により発生することが認識され,悪性神経膠腫に関してもこれまで多くの遺伝子異常が報告されてきた44,45,54).悪性神経膠腫の治療戦略を立てるうえで,安全かつ可及的広範な腫瘍摘出に加え,正確な病理診断,遺伝子解析に基づく適正な補助療法を行うことが重要である.特に遺伝子異常に基づく個別化治療の開発には,正確で迅速な病理診断,遺伝子診断を随時臨床にフィードバックできるシステム構築が必要である.近年,第2世代のアルキル化剤であるtemozolomideやさまざまなシグナル伝達系を標的とした分子標的治療による悪性神経膠腫に対する治療効果が報告されているが,決して満足できるものではない66,68).現在,遺伝子プロファイルに基づき,これらの治療の有効性に差が認められることが報告され,遺伝子解析の重要性が明らかとなっている24,28,49).さらに治療抵抗性の機序を裏付ける概念として種々の腫瘍でcancer stem cell(CSC)の存在が証明され56),新たな遺伝子制御機序であるmicroRNA(miRNA)が発見されたことに伴い腫瘍の遺伝子解析,分子生物学的研究も新たな局面を迎えている.本稿では,悪性神経膠腫治療に対する遺伝子解析,遺伝子異常に基づく治療の現状と今後の展望について概説する.

書評

『メディカルポケットカードプライマリケア』―徳田 安春,岸本 暢将,森 雅紀●著

著者: 岩田健太郎

ページ範囲:P.24 - P.24

 アメリカの研修医はアンチョコが大好きである.サンフォードガイドやワシントンマニュアルに代表されるマニュアル類.VINDICATE-P,CAGE,PECOといったアクロニム(頭字語).「A型肝炎だけが,ウイルス性肝炎でspiking feverを起こす」,なんていう含蓄に満ちたメディカルパール(箴言).そしてpalm pilotなどのPDA.アメリカの研修医のポケットにはたくさんの知識の元が詰まっている.

 ポケットカードも,彼らのお気に入りのひとつである.1枚のカード,表裏にびっしりと情報.その科をローテートしているときにポケットに携えておけば,パッと取り出してさっと読める.破れないし,濡れても大丈夫.ちょっと長めで,少しポケットからはみ出すくらいのほうが取り出しやすい.

『これが私の手術法 脊椎脊髄手術 基本的手術手技からオリジナル手術まで』―井須 豊彦●編著

著者: 阿部俊昭

ページ範囲:P.43 - P.43

 この手術書は井須流で統一されているところが特徴です.

 これまで多くの手術書が発刊されていますが,1冊まるごと一個人の流儀で書かれたものは稀であります.

『グラント解剖学図譜』英語版CD-ROM付 第5版―坂井 建雄●監訳 小林 靖,小林 直人,市村浩一郎●訳

著者: 佐々木克典

ページ範囲:P.79 - P.79

 解剖学は古い学問で,すべてがわかってしまっており,新しさの加わることのない領域だと揶揄されることも少なくない.それにも関わらず教科書は改訂され,あるいは新しく書き下ろされ,世に受け入れられているのも事実である.この理由は,解剖の魅力は断片的な知識の集積ではなく,人体構造の“見方”にあるからである.“見方”は無限で,観察する人の個性が著しく反映するものであり,それゆえ数多くの解剖学書が書かれてきた.その中には歴史の中に埋もれたものも少なくないが,時代の変遷に関わらず,改訂を重ねながら永く多くの医学生に影響を与えてきたものもある.その1冊が『グラント解剖学図譜』である.最近,原書第11版を翻訳した日本語第5版が刊行された.

 『グラント解剖学図譜』の凄さは,描写された図のはっとするような斬新さにある.それまで見たことがない,しかし見てみたいと思う部位を憎いほどうまく描き出したリアルな図が数多く挿入されている.それぞれの図の説明は,人体の構造を深く洞察した人でなければ,決して書くことができないような示唆に富んだものが多い.例えば,“縦隔の右側面は,いわば「青色の面」であり,奇静脈弓や上大静脈といった太い静脈がみられる”という説明を最初に読んだ時,「青色の面」という表現に,電撃に打たれる思いがした.この図譜を描いたGrant JCBは,その前に“Grant's Method of Anatomy”という,読めば知らず微笑んでしまうような極めて面白い,しかしアカデミックな解剖書を書いている.グラントの人柄を同僚らは,“物静かな機知と限りない人間愛”と表現しているが,彼の人柄が滲んだこの本が土台となり図譜は作られた.当然その中には機知と人間愛がここかしこに溢れている.これが『グラント解剖学図譜』の個性であり,永く受け入れられてきた理由であろう.

文献抄録

Comparison of ruptured vs unruptured aneurysms in recanalization after coil embolization

著者: 大石英則

ページ範囲:P.93 - P.93

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編集後記

著者: 河瀬斌

ページ範囲:P.100 - P.100

 ある発展途上国の地方都市が突然強い地震に見舞われ,数多くの民家が倒壊し,数知れない死者と負傷者が病院に運ばれた.その病院の隣のホテルには,休暇を利用してその地方を訪れていた日本の国立病院に勤める若い脳神経外科医がいた.彼は手の足りない病院の現状を見かねて手伝いを買って出,負傷者の治療に奔走した.昼夜不休の治療により彼は言葉の通じない多くの異国の民を救った後,予定より3日遅れて帰国の途についた.彼の心には医師免許証をとって初めて独力で人の命を救ったという満足感があった.しかし帰国後彼を待ち受けていたものは思いもよらない仕打ちであった.他国の地方都市の地震災害はほとんど日本には報道されていなかった.また通信が一時途絶し,治療に奔走していた彼には休暇の延長を連絡する余裕はなかったために無断欠勤の烙印を押されていた.何故救助要請の書類ももらわないのに参加したのか.あるいは現地の病院の出勤証明書をなぜもらってこなかったのかと人事課の役人に質問され,遊んでいたのではないかという疑いがかけられた.命を救うことよりも自分の正当性を証明するほうが大切なのか?そんな証明書を発行できる余裕などあったろうか?彼は火事場を見たことのない役人達の態度に絶望し国立病院を去った.後日現地の病院から感謝の手紙が届いたが,それを役人に見せる気持ちも起きなかった.

 国立施設に勤務する医師は多かれ少なかれそのような経験をしていることと思う.本号の「扉」を書かれた宮本先生の気持ちは痛いほど理解できる.一見立派な計画書と報告書が重要視されるのは管理社会日本の特徴でもある.筆記されたものでなければ他人が評価することが困難だからである.しかしそれを評価する者が現実を知らない者であろうとなかろうとあまり重要視しないのも日本の特徴である.医療のような複雑多岐にわたる分野を管理するにはその専門分野の評価者の選択が最も重要である.しかるにその専門である学会の意見をあまり取り入れようとせず,官僚の狭い知人の中から評価者を選択しようとすることは現実的によく行われているが,これは裁判官がよく実情を知らない友人から意見を聞いて判決を下すことに等しい.冒頭にあげた若者のように,実情を知らぬ者が的はずれの評価をすれば,せっかくの心意気は挫折してしまうのである.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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