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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科37巻7号

2009年07月発行

雑誌目次

今日のグローバルな社会環境と医療に関する雑感

著者: 大野喜久郎

ページ範囲:P.629 - P.630

 新しい年を迎えて,米国では1月20日,オバマ新大統領の就任式があった.前任のブッシュの負の遺産とも言うべき問題が山積しており,これからいろいろと解決すべきことが多いと思われるが,それにしても弁舌巧みなアフリカ系米国人の大統領の誕生は米国を熱狂させた.私が米国留学した30年前にはこのようなことが起こるとは全く考えられなかったので,米国の人々の興奮はよく理解できる.翻って,日本はどうだろう.ノーベル賞受賞者が4人も出たのは画期的なたいへん明るいニュースだった.しかし,それ以外に明るい材料が見当たらないのが残念である.多くの国民にほとんど支持されていない定額給付金が先ごろ支給されたが,一部でも社会保障費や国民医療費などのような福祉に回すならば,首相は100年に1人の名宰相として国民に記憶される良い機会であったろうし,われわれ国民もさぞかし政治に期待できたであろうとたいへん残念に思う.また,米国に端を発した世界不況の影響を受けて,米国頼みであった輸出も低迷し,意外なほど国内の景気が冷え込む中で,右肩上がりの経済至上主義の観点からは日本の屋台骨そのものが厳しい状況に陥っている.しかし,こういう時こそ,票や金にはならなくとも,好景気志向から脱し,低成長安定志向へと舵を切り,本格的に社会福祉の場などに雇用を創出してはどうだろう.ついでに,日本も経済大国と謳うことはほどほどにして,世界一流の科学研究立国を目指してはどうだろうか.物としての資源がないのだから,人を育てる目的で科学教育に力を注いでもらいたいと願う.武田信玄ではないが,人は国の宝である.さらに,日本の科学研究の社会ではまだまだ女性研究者が少なく,世界に伍した科学研究立国にするには,日本をあるいは世界をリードする女性研究者を育てることが1つの目標となろう.

 米国がオバマ大統領就任に湧く同じ時期,中東世界に目を転じると,イスラエルのハマスに対するガザ地区への無差別爆撃が毎日のように報じられていた.どちらにも言い分はあるだろう.イスラエルとパレスチナには,エルサレムというキリスト教,ユダヤ教そしてイスラム教共通の聖地があるが,そこに神は存在しないのだろうか.国家は過去から学べず,人類もいつまでたってもそれほど進歩しない存在であることを証明しているかのようだ.イスラエルの過剰とも言える反応は,羹に懲りて膾を吹くといった必要以上の用心からのものではないと信じたい.

解剖を中心とした脳神経手術手技

内頚─後交通動脈瘤の手術

著者: 清水宏明 ,   冨永悌二

ページ範囲:P.633 - P.642

Ⅰ.はじめに

 内頚─後交通動脈瘤は脳動脈瘤の20%前後を占め,手術機会の多いものの1つである19,25).本動脈瘤の一般的注意点としては,①親動脈である内頚動脈が前床突起との関係で頭蓋内で捉えにくい場合がある,②瘤は後交通動脈と前脈絡叢動脈の間に存在し,これらおよび内頚動脈─後交通動脈の穿通枝が近接している,③動眼神経が近接している,などが挙げられる.親動脈が太いため万一の術中出血は一瞬にしてhazardな結果を招く可能性を秘めており,開頭clipping手術にあたってはフェイルセーフを含んだ手術戦略を考えておくべきである.

 本稿では本手術を修練中の脳神経外科医を主な対象にして,上記の観点から微小解剖の知識と実際の手術の手順や留意点について整理したい.

研究

75歳以上の後期高齢者におけるくも膜下出血後の脳血管攣縮期を中心とした周術期管理について(経胸壁心エコーの重要性)

著者: 引地堅太郎 ,   石川達哉 ,   師井淳太 ,   羽入紀朋 ,   玉川紀之 ,   小林紀方 ,   河合秀哉 ,   吉岡正太郎 ,   大中洋平 ,   武藤達士 ,   安井信之 ,   鈴木明文 ,   泉学 ,   藤原理佐子 ,   小野幸彦

ページ範囲:P.645 - P.650

Ⅰ.はじめに

 日本は超高齢社会を迎え,2008年には65歳以上の高齢者比率は21.8%にも達し,75歳以上の比率も10.2%と高率である13).現在もなお高齢者比率は年間0.5~0.7%の割合で増加しており13),とりわけ秋田県では高齢化の比率が高い.社会的には75歳以上が後期高齢者と分類され,保険診療の上での区別も行われている.このような状況下で高齢者脳卒中患者は当然増加し,比較的若い患者が多いくも膜下出血(SAH)においても高齢者の比率が高くなっている.高齢者SAHは一般的に若年者と比較して発症時のWFNS gradeが悪く,さらに入院中の合併症率も高いことから予後は悪いと言われている6).これまでにSAH後の高血糖3),不整脈4),心筋トロポニンTの上昇10)が症候性脳血管攣縮や予後を増悪させるとの報告はあるが,心機能と合併症・予後に関して検討した報告は数少ない.この研究では当施設で経験したSAH患者に関し後ろ向きに検討し,特に75歳以上における後期高齢者に関して,脳血管攣縮期の管理を難しくすると思われる心機能と,心肺合併症を中心とした合併症の関連につき検討した.

多孔性ゼラチン粒ジェルパートを用いた頭頚部腫瘍塞栓術

著者: 林健太郎 ,   北川直毅 ,   森川実 ,   諸藤陽一 ,   宗剛平 ,   陶山一彦 ,   永田泉

ページ範囲:P.651 - P.656

Ⅰ.はじめに

 腫瘍塞栓術は摘出術時の出血を軽減したり,組織が軟化することにより摘出しやすくなるといった効果があり,頭頚部領域で広く行われているが3,5,9),本邦においては塞栓物質としてはコイルが認可されているのみである.多孔性ゼラチンスポンジ粒ジェルパート(日本化薬,東京;Fig. 1A)は本邦で開発され,2005年に肝細胞癌に対する塞栓物質として保険承認された.われわれは頭頚部腫瘍に対してジェルパートを用いた塞栓術を行っており,初期使用経験について報告する.

脳腫瘍におけるフルオロチミジンPET

著者: 河井信行 ,   香川昌弘 ,   三宅啓介 ,   西山佳宏 ,   山本由佳 ,   白石浩利 ,   市川智継 ,   田宮隆

ページ範囲:P.657 - P.664

Ⅰ.はじめに

 PET(positron emission tomography:陽電子放出断層シンチグラフィ)は,ポジトロン(陽電子)を放出する放射性核種を検出して断層撮影を行うもので,生体の生理・化学的情報を定量的に描出することが可能である.脳腫瘍,特に悪性脳腫瘍の診断における18F-FDG(2-deoxy-2-[18F]fluoro-D-glucose:以下FDG)と11C-MET(L-[methyl-11C]methionine:以下MET)は広く研究されており,その有用性はすでに確立している.

 一般に脳腫瘍では,悪性度が高い腫瘍ほど腫瘍細胞が密で糖代謝も活発なため,FDGは強い集積を示し,悪性度の評価や治療効果判定,予後の推測などに有用であるとされている.一方,脳腫瘍患者に対するMET-PETは,腫瘍のアミノ酸代謝(蛋白質合成能)の指標として広く用いられている.神経膠腫では,MET-PETによる代謝情報をもとに術前に腫瘍の悪性度や進展状態を正確に把握し,定位的生検術のtargetの設定や摘出すべき腫瘍範囲の設定を正確に行うことが可能である8).またMETの集積は,腫瘍の増殖能や血管新生とも良く相関することが報告されている8).術後にも,MET-PETは残存腫瘍の確認や治療効果の判定,予後予測などに応用されている.さらに神経膠腫と転移性脳腫瘍における腫瘍再発と放射線壊死の鑑別に,METの集積状態の違いが有用であることも示されている15).このように現在,METは悪性脳腫瘍の核医学診断における最も信頼できるtracerの1つと考えられているが,最大の問題点は,METを標識する11Cはその物理的半減期が20分と非常に短いため,サイクロトロンを有する施設でのみ使用可能であり,その利用が限られていることである.

 近年,分裂細胞は細胞周期のS期にさかんにDNAを合成することを利用し,細胞の増殖能をDNAレベルで評価可能なヌクレオシド誘導体標識薬剤が開発され臨床応用されている14).その中でチミジン誘導体である18F-FLT([18F]-fluoro-3’-deoxy-3’-L-fluorothymidine:以下FLT)は最も研究が進められており,脳腫瘍,特に神経膠腫での有用性が報告されている.チミジンはピリミジンデオキシヌクレオチシドに属し,細胞分裂の際DNAに取り込まれる.その誘導体であるFLTは,受動的拡散とヌクレオチシド移送体による能動的移送により細胞に取り込まれ,thymidine kinase 1(TK1)によりリン酸化されFLT-monophosphateとなり,以後の代謝を受けず細胞内にとどまる(Fig. 1).TK1活性は細胞周期で厳密に調節されており,S期に強く発現する.また悪性細胞におけるTK1活性は正常細胞の3~4倍高いことが知られており,そのため悪性脳腫瘍では,リン酸化活性の亢進とその後の細胞内への停留により強いFLT集積を示す.TK1活性はDNA合成活性を反映するため,FLT-PETは腫瘍のDNA合成を評価し,その集積は腫瘍の細胞増殖能を反映すると考えられている1,14)

 われわれは,2006年6月より倫理委員会の承認の下,FLTの臨床応用を行っている.検査の目的と意義,合併症などを記載した書面によるインフォームドコンセントを行い,承諾が得られた症例に検査を施行している.本研究では,脳腫瘍,特に神経膠腫の悪性度や増殖能診断におけるFLT-PETの有用性を,自験例を提示しながら概説する.

症例

くも膜下出血で発症した椎骨動静脈瘻の1例

著者: 日宇健 ,   吉岡努 ,   北川直毅 ,   出雲剛 ,   奥永知宏 ,   陶山一彦 ,   横山博明 ,   永田泉

ページ範囲:P.667 - P.671

Ⅰ.はじめに

 椎骨動静脈瘻は頭蓋外の椎骨動脈,またはその分枝とそれに近接する静脈との異常な交通を本態とする稀な疾患である15).拍動性耳鳴やめまいを呈することが多く4,10),出血発症は極めて稀とされる.今回われわれは,くも膜下出血で発症した椎骨動静脈瘻の1例を経験したので,その文献的考察を加え報告する.

抗生物質,とくに炎症反応の軽快に塩酸ミノサイクリンが有効であった肥厚性硬膜炎の1例

著者: 金井真 ,   清水洋

ページ範囲:P.673 - P.679

Ⅰ.はじめに

 眼球結膜の充血を主訴とし,抗生物質,特に塩酸ミノサイクリンの静脈内投与が有効であったと思われる肥厚性硬膜炎の1例を経験したので報告する.

水頭症を来した血管周囲腔拡張の1例

著者: 森迫拓貴 ,   露口尚弘 ,   永田崇 ,   長久功 ,   一ノ瀬努 ,   石橋謙一 ,   大畑建治

ページ範囲:P.681 - P.686

Ⅰ.はじめに

 血管周囲腔(Virchow-Robin腔)は,くも膜下腔と直接の交通のない穿通枝の周囲を囲む軟膜に覆われた間質液を容れた間隙である10,11,15).この腔の拡張が,脳への圧迫や水頭症の原因となることが知られ,enlarged perivascular space(EPVS),giant tumefactive perivascular spaceなどと記載されている2,4,6,13,14).EPVSは囊胞様に拡大したり,多発的に集族することがあり,あらゆる年齢でさまざまな部位にみられる.今回われわれは,中脳,大脳基底核の血管周囲腔の拡張が閉塞性水頭症を来し,第三脳室開窓術を行った1例を経験したので報告する.

手術およびカルバマゼピン内服療法が著効した松果体細胞腫による脳脚幻覚症(peduncular hallucinosis)の1例

著者: 川堀真人 ,   澤村豊 ,   岩﨑喜信

ページ範囲:P.687 - P.691

Ⅰ.はじめに

 脳脚幻覚症(Peduncular hallucinosis)は色鮮やかな人物・動物・幾何学的模様が出現する視覚性幻覚で1,5),脳幹や視床の出血・梗塞の患者において稀に認められるが,脳幹部の腫瘍によって生じた報告は少ない2,3,6-8,10-12)

 今回われわれは,動物や植物,文字が出現する視覚性幻覚で発症した松果体細胞腫の1例を経験した.幻覚は腫瘍摘出術後に著明に改善し,その後カルバマゼピン内服にてほぼ完全に消失した.中脳被蓋や脳梁膨大部の圧迫による網様体賦活系の障害が原因と考えられる.その発生機序や治療方法などについて文献的考察を加えて報告する.

補足運動野失語を初発症状とした特異なくも膜下出血の1例

著者: 加藤正仁 ,   大槻美佳 ,   吉野雅美 ,   青樹毅 ,   鐙谷武雄 ,   今村博幸 ,   緒方昭彦 ,   会田敏光

ページ範囲:P.693 - P.696

Ⅰ.はじめに

 補足運動野失語は,優位半球前頭葉内側の帯状回,補足運動野の障害によって惹起される.われわれは,補足運動野失語を初発症状とした特殊なくも膜下出血の1例を経験した.

 若干の文献的考察を加え,報告する.

血小板増多症に伴った脳静脈洞血栓症の1例

著者: 竹内誠 ,   高里良男 ,   正岡博幸 ,   早川隆宣 ,   大谷直樹 ,   吉野義一 ,   八ツ繁寛 ,   菅原貴志

ページ範囲:P.697 - P.702

Ⅰ.はじめに

 脳静脈洞血栓症は,頭痛,痙攣,意識障害,うっ血乳頭などで発症し,上矢状静脈洞血栓症が多いとされている6,7).原因として,特発性のほか,感染,外傷,悪性腫瘍,血液疾患,膠原病,妊娠,経口避妊薬などが挙げられているが血小板増多症に伴うことは極めて稀である1,4,6,7,10,11,13).われわれは,再発性脳静脈洞血栓症に,抗血小板療法,抗凝固療法,機械的血栓破砕術,バルビツレート療法,および腰椎ドレナージを併用することにより良好な転帰が得られ,精査の結果,血小板増多症が原因と考えられた症例を経験したので文献的考察を加え報告する.

読者からの手紙

「小脳虫部原発卵黄囊腫の1例」の論文について

著者: 宇津木聡

ページ範囲:P.704 - P.705

 貴誌に掲載の中村太源先生らの症例報告「小脳虫部原発卵黄囊腫の1例」5)を興味深く拝読いたしました.小脳原発の卵黄囊腫は大変珍しく,また卵黄囊腫に対するADC value, 1H-MR spectroscopyなど新たな知見についても記載され,とても意義のある報告となっております.中村らも述べているとおり,卵黄囊腫を含めた胚細胞腫は後頭蓋窩に発生することは稀でありますが,中村らが述べているより多くの報告があります.中村らは,“後頭蓋窩原発の胚細胞腫については,15例の胚腫,および5例の卵黄囊腫,1例の胎児性癌が報告されているにすぎない”と述べていますが,中村らが指摘していない2008年以前に報告された症例でも,中脳原発胚腫3例1,3,7),延髄原発胚種2例6,8),第4脳室原発卵黄囊腫1例4)の報告があります.中村らの報告と合わせると,後頭蓋窩原発の胚細胞腫については,20例の胚腫,および6例の卵黄囊腫,1例の胎児性癌が報告されているということになります.これらの症例には腫瘍の発生部位と性差に興味深い関係があります.渉猟し得た範囲では,後頭蓋窩原発の女性の胚腫は5例あり,すべてが延髄原発です.延髄原発の胚腫の残りの1例はKlinefelter syndromeに伴う症例であり2),この症例を含め延髄原発の胚腫すべてでXX染色体をもつ症例ということになります.残りの中脳,小脳橋角部,小脳半球,小脳虫部の原発を合わせた16例はすべて男性です.中村らの報告と合わせ,後頭蓋窩原発の卵黄囊腫6例もすべて男性であることを考え合わせると,後頭蓋窩の胚細胞腫は,発生部位によりほぼ性が決まっていると言えます.これらのことは,Koizumiら3)が指摘するように,男女でneural tubeの発生過程で起こる差と胚細胞腫の発生部位とが関係することを示唆していると思われます.このように稀な症例の報告では,その症例の発生機序を推測することも肝要なことと思われます.

連載 脳神経外科疾患治療のスタンダード

8.もの忘れ

著者: 本田和弘 ,   湯浅龍彦

ページ範囲:P.707 - P.713

Ⅰ.はじめに

 高齢化社会を迎えているわが国では,Alzheimer型認知症をはじめとする認知症患者数は増加の一途を辿っている.認知症の病態生理に則した治療法はまだ開発されてはいないが,海外ではさまざまな治験が進行中である.Alzheimer型認知症をはじめとする神経変性疾患では,シナプスの機能障害・神経細胞死が惹起されると考えられており,治療介入は神経細胞死が起こる以前,可能な限り早期であることが望ましい.こうした意味において,認知機能低下を来す患者群を予測することが,早期治療介入に重要となる.本稿では認知症の前段階と考えられる患者群をいかに早く診断できるのか,最近の知見を紹介する.

コラム:医事法の扉

第39回 「チーム医療における説明義務」

著者: 福永篤志 ,   河瀬斌

ページ範囲:P.714 - P.714

 チーム医療は,患者に対し効率と質の良い医療を提供する点で極めて有用ですが,複数の医療関係者が1人の患者の治療行為に関わるため,時に法的問題が発生することがあります.第29回のコラムでは,手術における患者の同一性確認について,「信頼の原則」の適用が否定された判決(最高裁平成19年3月26日判決)をご紹介しました1)

 今回は,説明義務について検討します.脳神経外科,心臓外科などのチーム医療を行う診療科においては,しばしば誰が患者に対し手術等に関する詳細な説明を行うべきかが問題となります.もちろん,外来で当該患者を診察し,入院手続きを行った医師が「主治医」となって説明することが多いと思われますが,説明義務は,患者と病院との診療契約(民法656条)に基づくものなので,理屈では病院の履行補助者となる当該診療科の医師であれば,誰でも説明することが可能となります.実際,特に日常診療業務に関する事項については,病棟担当の専門医前後の若い医師による説明が医療慣行となっています.

書評

『脳科学のコスモロジー』幹細胞,ニューロン,グリア―藤田 晢也,浅野 孝雄●著

著者: 兼本浩祐

ページ範囲:P.666 - P.666

 本書にも引用されている偉大な心理学者,ウィリアム・ジェームズは,その人がもともと楽観的な心“cheerful soul”を持っているか悲観的な心“sick soul”を持っているかといった研究者間の気質の相違によって,そうした個人的資質とは本来は無関係なはずの科学的学問の質も違ってくるのだといったことを書いている.『脳科学のコスモロジー』は,自らの手で何百,何千のプレパラートを切り出し,染色したであろう第一線の研究者にしか書き得ないと思われる重厚な手触りのグリア論をその前半の内容としている.そして後半では圧倒的な情報量とともに,脳科学が今や哲学の領域に侵攻し,科学的に蓄積可能な解答をその領域でも提出しつつある様子を克明にレポートしている.フッサール,フロイト,メルロ・ポンティ…哲学と科学は決して対立するものではなく,脳科学の進歩において統合され,私達はきっと前人未到の未来へと進んでいくという楽観が全編ににおい立つ.本書には科学を志す者,そして科学において粘り強い営みを続けて新たな領域を切り開く者にとって極めて重要な資質の一つである“cheerful soul”が躍動している.

 前半ではグリア論の展開におけるドラマチックな歴史が,その歴史の形成に実際に立ち会った当事者の立場から極めて生き生きとした臨場感を持って活写されている.神経細胞発生学の父,偉大な解剖学者,ウィルヘルム・ヒスは,神経組織の発生は初めからグリアおよびニューロンのいずれに分化するかが前もって決定されている二種類の異なった母細胞から成り立っているという二元論を展開したという.しかし,ヒス自身はさすがに慧眼であり,自説の矛盾を指摘する反論にも耳を傾け,自説を修正しようと試みる懐の深さを死の直前まで示していたが,ヒス亡き後,機械的に早い時期のヒスの説をそのまま金科玉条としてしまった後世のエピゴーネン達は,単一の母細胞からグリアの原基もニューロンの原基も生ずるというグリアの一元的マトリックス起源説を長期間にわたり圧殺してしまう.

『続 アメリカ医療の光と影』バースコントロール・終末期医療の倫理と患者の権利―李 啓充●著

著者: 向井万起男

ページ範囲:P.679 - P.679

 李啓充氏は『週刊文春』で大リーグに関する素晴らしいコラムを6年間連載されていた.その後,見事な大リーグ本も出されている.で,世間には,氏のことを稀有な大リーグ通としてしか知らない人が多いようだ.それが悪いというわけではないけれど.

 だが,医療界で働く私たちは違う.氏が大リーグ通として広く知られるようになる前に書かれた『市場原理に揺れるアメリカの医療』(1998年,医学書院)を忘れることなどできない.その分析の鋭さ,読む者を引きずり込む圧倒的な筆力,随所に散りばめられた粋な大リーグ関連ネタ.氏の鮮烈のデビューだった.この本を読んで氏のファンになった医療人が多いはずだ.その後も,氏はアメリカ医療の光と影を描きつつ日本の医療に厳しい問題提起をするという本を出し続けてきた.そして,本書.

『臨床神経生理学』―柳澤 信夫/柴﨑 浩●著

著者: 金澤一郎

ページ範囲:P.696 - P.696

 昨年11月に『臨床神経生理学』という本が上梓されたが,これは19年前に出版された『神経生理を学ぶ人のために』という題の本が進化したものである.執筆者は,神経生理学の領域において現在わが国で考えられる最強のペアである柳澤信夫先生と柴﨑浩先生である.しかも,19年前と同様にこのお二人がすべてご自分たちでお書きになっている.だから内容の統一性は見事である.

 前書は,例えば筋電図,表面筋電図,末梢神経伝導速度,誘発筋電図,脳波,体性感覚誘発電位,事象関連電位,などという神経生理学的検査の一つひとつを取り上げて解説しているのに対して,本書は一部にそれを残しながらも,「運動神経伝導検査」という項目を設けてその中でMCV,インチング法,F波などを説明したり,「中枢性運動機能とその障害の検査」という項目を作ってその中で錐体路伝導検査,H反射,T波,表面筋電図,重心動揺計測,歩行検査などを解説したりしている.つまり,一つひとつの検査が何を知るための検査であるのかを明示することにより,その意義を理解しやすくする構成になっているのである.検査法をそれぞれ独立に説明するよりも,このほうがはるかに「検査の持つ意義と限界」は理解しやすい.その他には「神経筋伝達の検査」「体性感覚機能の生理学的検査」「視覚機能の生理学的検査」「聴覚機能の生理学的検査」「眼球運動検査」「自律神経系の検査」「随意運動に伴う脳電位」「不随意運動に伴う脳電位」などという項目がある.そうした中に,「高次脳機能の生理学的検査」という項目があり,これは前書にはほとんど痕跡もなかったほどの新しい部分である.注目されている機能画像も含めて本書の目玉の一つと言って良いだろう.そして,後半1/3には,前書にはない疾患別あるいは病態別の解説があるのがうれしい.ここに例えば睡眠時無呼吸症候群やチャネル病なども取り上げられている.

文献抄録

Assessing the significance of chromosomal aberrations in cancer: Methodology and application to glioma

著者: 溝口昌弘

ページ範囲:P.715 - P.715

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編集後記

著者: 新井一

ページ範囲:P.722 - P.722

 本号の「扉」には,大野喜久郎教授から「今日のグローバルな社会環境と医療に関する雑感」と題する大変示唆に富む文章が寄せられている.大野教授はこのなかで,経済危機や地域紛争など現代社会の抱えるさまざまな問題の背景には,近年の科学技術の急速な進歩にわれわれ人類の精神構造が十分に対応できていないことがあると述べられている.果たして脳神経外科においては,どうなのだろうか?

 脳神経外科領域における科学技術の進歩といえば,CTの臨床への導入が極めて印象深い.私が大学を卒業し脳神経外科医への道を歩みはじめた頃は,全国のほとんどすべての大学病院にCTが導入された時期であり,それまで相応の診断的価値を有していたPEG(気脳写)が,それ以降全く行われなくなってしまったことを今でも憶えている.当時,CTの出現はまさに革命的な出来事であり,血管障害,腫瘍,外傷など脳神経外科医が扱うあらゆる疾患の診断と治療に,飛躍的な進歩をもたらしたことは論を俟たない.その後,MRI,ガンマナイフ,術中navigation systemとうとう新しい機器が脳神経外科領域に導入され,さらに脳血管内治療,神経生理学的モニタリング,脊椎instrumentationなどの進歩があって,この四半世紀の間に脳神経外科は大きく変容した.果たしてこれらの技術進歩に,脳神経外科医は適正に対応してきたのであろうか?「より低侵襲により効率的かつ安全に疾患の診断と治療を行い,患者によりよい結果をもたらす」をスローガンに,脳神経外科医は良識をもってまじめにこの「科学技術の進歩」と格闘し,十分な成果をあげてきたのだと思う.しかし,最近米国では,脊椎instrumentationの過剰使用をはじめとして経済的側面ばかりが重視され,医療機材が必ずしも適正に使用されていないのではないかとの批判があると聞く.さまざまな技術進歩に派生する利益相反に対して,それがたとえ法的には問題なくとも,われわれは襟を正して対処する必要があると痛感している.また,今後さらなる発展が予測される再生医療については,その開発に莫大な費用を要することから,これが脳神経外科領域に応用されるようになれば,倫理的な問題も含めわれわれの医療人としての質が問われる局面に必ずや立たされることになるであろう.「すべては患者のために」という,極めてシンプルな原理原則を忘れてはならないと思う.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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