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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科4巻9号

1976年09月発行

雑誌目次

大切なもの

著者: 佐藤修

ページ範囲:P.821 - P.822

 人がみな,それぞれ異なった人生を辿り,その人,その人にとって忘れ得ぬ想い出や,感銘を受けたいくつかの事柄を有しているように,各人にとって,何よりも大切なものと言ったものが,またあるに違いない.
 その‘大切なもの’は必ずしも高価なものとは限らないし,他人にとっては,それこそ,何の変哲もない,反古同然のものであることも,なかにはあるであろうと思われる.

総説

中枢神経の再生と可塑性

著者: 佐藤文明

ページ範囲:P.823 - P.830

 哺乳動物の中枢神経において神経線維の再生が見られることは一般に認められている.しかし再生神経線維の伸長は微弱で限定されており,機能回復の主役をなしているとは思われない.
 中枢神経が部分的に破壊されても,機能的回復が見られることを,われわれは日常経験している.たとえば脳・脊髄損傷や血管障害で後遺神経症候が出現しても,数カ月—数年の間にかなり回復する.コルドトミーのような除痛手術後においても,痛みの再発はほとんど必発である.

手術手技

後頭蓋窩血腫の手術

著者: 平井秀幸

ページ範囲:P.831 - P.838

緒言
 頭蓋内血腫の治療に当たっては迅速適確な診断治療が行われることが重要であることはいうまでもない.とくに後頭蓋窩血腫に対しては天幕上のものに比して発生頻度が低く,診断も困難であり,さらに解剖学的特殊性からみて障害が急速に脳幹におよび症状の進展が著しく致命的となるので,日常,救急頭部外傷患者の治療に際して,その存在を念頭におき,疑のあるものには直ちに診断,手術が可能な態勢と心がまえをもっていないと患者の救命を図かることは不可能である.
 われわれの施設で10年間に経験した後頭蓋窩硬膜外血腫手術8症例,後頭蓋窩水腫手術8症例について概要を報告し,その診断,経過の問題点を中心に解説する.さらに診断をすすめていく時点より手術までの処置に関して留意すべき点を述べ,その手術方法につきわれわれの経験した症例に基づいて説明を行うこととする.

診断セミナー

眼底出血

著者: 筒井純

ページ範囲:P.839 - P.841

Ⅰ.眼底検査の器械と手技
 眼底検査が眼科以外の科でも日常の診察に広く活用されるようになったことは,はなはだ結構なことと考える.そこで知っておかなければならないことは,検眼鏡で見ている眼底はどの程度の範囲であるかということである.
 今日眼科で行っている全眼底の検査法は,必ず散瞳薬により極大散瞳させ,双眼倒像検眼鏡またはボンノスコープと,+20Dのレンズを用いた倒像眼底検査法である.そして鋸状縁まで見るために,強膜圧迫子や3面鏡を用いる.このような方法によらなければ,眼底のすべてを見たとはいえないのである.

研究

脳神経外科的見地から見たRadio Isotope Myelographyの検討

著者: 青柳訓夫 ,   佐々木皎 ,   石井喬 ,   土田富穂 ,   早川勲

ページ範囲:P.843 - P.852

Ⅰ.序文
 近年radio isotopeを利用する診断法は急速な発展を見せており,1948年Mooreが131I-fluoresceinによる脳スキャンニングを紹介して以来,次々と新核種tracerが紹介され(1953 Bauerの131I-HSA,1959 Blauの203Hg-neohydrin, 1964 Harperの99mTc-pertechnetate,1969 Wagnerの169Yb-DTPA,1969 Edwardの67Ga-citrate etc.)また一方ではスキャナー,γ-カメラの改良と相ともない現在脳神経外科領域でもradio isotope脳スキャンは不可欠の検査法の1つとなってきている,最近の脳スキャンの頭蓋内占拠性病変の診断率は約85%以上に達し,場合によっては脳血管撮影法を凌駕する時もある.
 かように利用価値のあるradio isotopeを脊髄病変に応用する時,2-3の問題につきあたる.第1は脳スキャンにおいてもback groundによるmaskingのため側頭窩,頭蓋底,特に後頭窩での診断率は低下しγ-カメラのTowne撮影やスキャナーのtransverse section scanを行っても,高々60%程度である.1966年のKuhl6)の報告でもtransverse section scanで天膜上の92%の診断率に対し,天膜下では62%であった.

粒状脳動脈瘤—くも膜下出血における意義

著者: 宮崎雄二 ,   安藤英征

ページ範囲:P.853 - P.860

Ⅰ.はじめに
 くも膜下出血の原因巣としての脳動脈瘤の発見率は4-vessels angiographyの施行によって著しく上昇し,多発性脳動脈瘤の発見頻度もまた上昇している.他方脳血管撮影を中心とした各種補助検査の施行によっても出血原因巣を頭蓋内および脊椎管内に証明しえない症例が存在し,その頻度はMarini and Maspes10)は38%,Yasargil19)は20-25%であったと述べている.しかし,このような原因不明の特発性くも膜下出血例についてBjorkesten & Troupp1)は脳血管撮影の面から検討を行い,脳動脈瘤像を看過した症例,微小脳動脈瘤であって,しかも脳動脈瘤内に血栓が形成された症例,血管撮影像上には証明されない微小血管腫の症例が含まれている可能性を示唆した.他方Hassler5)はくも膜下出血による死亡例の剖検によって直径が2mm以下の微小な脳動脈瘤が存在することを明らかにした.このような微小な脳動脈瘤の存在についてはもっぱら病理学的見地から興味が持たれているが,臨床的見地特に脳動脈瘤外科の見地からはいまだ注目されていない.
 著者らはくも膜下出血例に対しては中枢神経系に出血原因巣が必ず存在するという信念をもって患者の状態の許す限り徹底的に脳血管撮影およびその他の補助検査法を駆使して中枢神経系内の出血原因巣を探索するようにしている14).

Eosinophilic GranulomaにおけるBone Scintigraphyの意義

著者: 村田高穂 ,   渋谷倢 ,   佐藤日出男 ,   三輪佳宏 ,   徳力康彦 ,   福光太郎 ,   松村忠範 ,   堀井広志

ページ範囲:P.861 - P.866

Ⅰ.はじめに
 Bone scintigraphyにおけるRIの集積状態は局所の骨代謝をよく反映し,またその集積度は骨の破壊,修復による局所の骨変化に密接に関係していると考えられる.これまで整形外科領域においてはその診断,治療上X線写真同様に重要な手段として用いられてきたことはすでによく知られているが,脳神経外科領域においてもbone scintigraphyの利用範囲は拡大されつつある.すなわち,X線写真上の骨異常の範囲以上に軟部組織にまで広く異常集積像が描出され,その結果腫瘍性のみならず非腫瘍性病変においてもその増殖,浸潤範囲の判断に役立つからである5,6)
 ここでは私たちが経験したeosinophilic granulomaの頭蓋骨侵襲例4例についてbone scintigraphyが頭部X線上の骨欠損部のみならずその周辺部の範囲を正確に示し,その診断,治療上重要な情報を提供した事実を報告し考察を加え,更に今後の類似疾患に対するbone scintigraphyの意義について述べてみたいと思う.

症例

小脳血管芽細胞腫に後頭動脈椎骨動脈吻合,頸椎潜在性二分脊椎,前頭縫合遺残,甲状腺癌および赤血球増多症を合併した1症例について

著者: 露無松平 ,   鈴木健一 ,   大野喜久郎 ,   小松清秀 ,   平塚秀雄 ,   稲葉穣 ,   竹村民子 ,   石井善一郎

ページ範囲:P.867 - P.872

Ⅰ.緒言
 一般に脳の血管芽細胞腫と他疾患との合併についての論文は数多く見られるが,われわれは頸椎のC5,C6における潜在性二分脊椎,前頭縫合遺残,甲状腺癌,後頭動脈椎骨動脈吻合,赤血球増多症を合併した血管芽細胞腫の1例を経験したので報告し,若干の考察を加えた.

第3脳室Colloid Cystについて—1手術例と1剖検例の報告

著者: 馬場元毅 ,   石森彰次 ,   吉田滋 ,   喜多村孝一 ,   小林直紀

ページ範囲:P.873 - P.881

Ⅰ.はじめに
 第3脳室colloid cystは比較的稀な疾患であるが,諸外国においてはDandyら8)の手術例を含めて現在までに約300例近くが報告されている.一方,本邦での報告はきわめて少なく,現在までに数例を数えるにすぎず1,14,22,23),特に手術成功例の報告は坂田ら22),景山ら14)の2例をみるのみである.我々は最近,種々の検査により本症と診断し,手術的に全摘出し治癒せしめた1例と,急激な発症後数目で死亡し,剖検にて本症と認めた1例を経験したので,文献的考察を加えて報告する.

クモ膜下出血を初発症状としたAngioblastic meningiomaとVascular hamartomaの2治験例

著者: 新村富士夫 ,   山本征夫 ,   古場群已 ,   三輪哲郎

ページ範囲:P.883 - P.888

Ⅰ.はじめに
 クモ膜下出血の原因としては高血圧症,脳動脈瘤ならびに脳動静脈奇形などが代表的なものであるが,脳腫瘍あるいはcryptic vascular malformationからのものは比較的稀とされている12,14,21,22).著者らはクモ膜下出血を初発症状としたangioblastic meningiomaと組織奇形的性格をもつvascular hamartomaの2例を経験したのでこれを報告し,若干の文献的考察を加えてみる.

脳底動脈partial fenestrationの1例

著者: 古和田正悦 ,   高橋睦正 ,   後藤勝彌 ,   金子義宏

ページ範囲:P.889 - P.891

Ⅰ.はじめに
 椎骨動脈造影が普及するにつれて,脳底および椎骨動脈領野の血管性奇形に関する報告が増加しており,その1つに窓形成(Foramentbildung, Inselbildung, Diastematoarteria, window formation, fenestration)があげられる.血管造影で証明された椎骨動脈の頭側および環椎部の窓形成は,本邦でも35例6,13)報告されているが,これに対して脳底動脈の窓形成例は,現在のところ文献的にはわずか6例を数えるにすぎない2,3,10,11)
 窓形成自体は臨床的意義にとぼしいと言っても,椎骨動脈造影を詳細に検討する臨床医の立場では形態的に副次的所見として見出されるべき性質のものである.最近,脳動静脈奇形例の血管造影で,たまたま脳底動脈のpartial fenestrationが証明されたので,若干の文献的考察を行い報告する.

肺動静脈奇形に起因したと思われる脳膿瘍の1例

著者: 金子満雄 ,   有賀直文 ,   横山徹夫 ,   下山一郎

ページ範囲:P.893 - P.896

Ⅰ.はじめに
 脳膿瘍の原因としては種々のものがあるが,肺動静脈奇形に起因するものは稀で,これまでにも散発的な報告がみられるのみである1,3,5,6,8,9).本症例は脳膿瘍の、診断の下に病巣治療後,原因究明の過程で心臓陰影にかくれた肺動静脈奇形が発見された稀有な例である.
 左同側性半盲を主訴とした27歳男子で,右後頭葉に鶏卵大の脳膿瘍が見出された.これに対する外科治療後,その原因究明中に右肺下葉に肺動静脈奇形が発見され,これも外科的に別出され,治癒せしめることができた.

脊髄髄内神経鞘腫の1症例

著者: 井須豊彦 ,   田代邦雄 ,   三森研自 ,   佐藤正治 ,   都留美都雄 ,   柏葉武

ページ範囲:P.897 - P.901

Ⅰ.はじめに
 脊髄神経鞘腫は硬膜内髄外,あるいは唖鈴状に硬膜外に発生するのが一般的であり,髄内神経鞘腫は非常に稀れなものとされ,本邦ではいまだその報告はみられていない,最近,私達は30歳女性で空気脊髄写で確定診断し,手術により組織学的に確認された第1頸髄髄内神経鞘腫を経験したので,文献的考察を加えてここに報告する.

ガレン大静脈瘤

著者: 端和夫 ,   藤谷健 ,   ,   阪口正和 ,   西村周郎 ,   松岡収 ,   北村豊

ページ範囲:P.903 - P.910

Ⅰ.はじめに
 ガレン大静脈部の動静脈奇形(AVM)のうち,本静脈が動脈瘤様に拡張したものは,ガレン大静脈瘤と呼ばれ,類似の症例は古くより記載されているが38,43),1937年,Jaegerら20)により報告された症例が第1例とされている.以来,多くの症例がこの名称のもとに報告されて来た1-18,20-22,26,27,29-36,40-42,44).しかし,これらの症例のなかには脳深部のAVMで,導出静脈が拡張したガレン大静脈,あるいはその附近の静脈である例1,4,9,11,16,41)が雑然と含まれており,Litvakら24)はそれらのうち,「内頸動脈あるいは脳底動脈の分枝により,直接血流を受けている1個の拡張した大静脈がガレン大静脈部にあり,拡大した直洞あるいは静脈交会に注ぐもの」を挙げ,それを典型的なガレン大静脈瘤とした.この定義に合致するものをこれまでの文献より集めると,剖検例,手術例およびレ線学的報告を含めて46例を数えることができる2,3,5-8,10-18,20,22,26,27,29-36,40,42,44).しかし,本邦においてはいまだ報告がなく,2,3のそれらしき症例を地方会の発表記録に見るに過ぎない28,39).最近,著者らは典型的な本疾患と思われる症例に遭遇し治療する機会を得たので,文献的考察を加えて報告する.

追悼文

荒木千里先生を偲んで

著者: 半田肇

ページ範囲:P.912 - P.914

 荒木千里先生が逝かれてから1カ月が過ぎた.明るい陽ざしを通して,研究室の私の部屋から,先生が入院しておられた部屋は,いつも向いあって見えた,あの日は,夏にしては,珍しく薄曇りの静かな朝で,先生が40年間過された思い出多い外科北病舎跡に建てられた脳神経外科病棟の一室で,7月2日,朝9時5分,先生の呼吸は停止した.先生の死という厳然たる現実を迎えた時,もはやどうすることもできない無力感と,働哭の中で,私は一人の王者の終焉を思った.──「明治34年5月18日,九州熊本県鹿本郡来民町で,荒木竹次郎氏(中学校長)の次男として生れ,5歳の時父を亡くし,火傷,左下腿急性化膿性筋炎,虫垂炎,白内障など,病弱で不遇な幼少年時代を過した小柄な青年が,大正15年京大医学部を卒業後,鳥潟門下に入局し,その後アメリカ合衆国に留学,シカゴ大学でパーシバル・ベーレイ教授の許で学び,生来の稀有な頭脳と豊かな資質をもって,わが国脳神経外科の礎をきついた.そして今,数多くの業績と,濃縮された数々の思い出をそれぞれの人の心に残し,その75年の生涯を閉じた」という万感の思いが,烈しく奏でる葬送の嵐の中でこみあげてくるのを制止することはできなかった.
 私が先生の講義をはじめて聞いたのは,大学3回生の外科臨床講義の時であった.その講義は,従来の学説にとらわれることなく,実に簡明で,論理的でジョークを混えながら進められた.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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