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活物窮理
著者: 中尾直之1
所属機関: 1和歌山県立医科大学脳神経外科
ページ範囲:P.699 - P.700
文献購入ページに移動華岡青洲は紀州平山(現在の和歌山県紀の川市)で外科医として診療を行いつつ,春林軒(しゅんりんけん)と呼ばれる医塾を主宰して全国から集まった多くの若手医師たちの指導を行った.青洲が没する1835年までの間,和歌山の片田舎にある春林軒を訪れた門弟はなんと1,000人以上を数え,身分や家格などを問わず,能力のある人材を幅広く受け入れたそうである.1774年に人体解剖学書「ターヘル・アナトミア」が前野良沢・杉田玄白らによって翻訳され,時はちょうど日本の医学が旧来の経験と勘によるものから実験と検証を重視する科学的なオランダ医学へと変わりつつあった時期でもある.このような時代背景のもと,青洲は麻酔薬の開発に着手する.そのきっかけは,青洲がまだ二十代前半で京都に遊学していた頃の経験に由来する.当時の外科手術はもちろん麻酔薬などなく,焼酎のような強い酒で患者を酔わせた状態で行っていた.外科手術はまさに死ぬような苦痛を伴ったであろう.このような状況をみて,青洲は「手術中の患者の苦しみをなんとかして和らげたい,どうすれば苦痛なしに多くの人の生命を救うことができるのだろうか」と思い悩んでいたに違いない.
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