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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科47巻8号

2019年08月発行

雑誌目次

「65−18」

著者: 山本淳考

ページ範囲:P.823 - P.824

 さまざまな年齢層から構成される大学で業務をしていると,実にいろいろな声を耳にします.右耳からは「若い先生たちはエビデンスやガイドラインだけを重視してまったく応用が利かない」「海外留学を志す医師が少ない」「原著論文や英語の教科書を読まない」「手術は教わるものではなく見て覚えるもの」等々.一方,左耳からは「簡単な教科書が欲しい」「雑用ばかりで手術をさせてくれない」「何も教えてくれない」「給料が安い」等々.個人的には,いずれの意見も「中らずと雖(いえど)も遠からず」ですが,両者の立場からすれば,その意見は互いに受け入れられず,真っ向から対立することがしばしばあります.
 Evidence based medicine, informed consent(IC),guideline……少なくとも自分の研修医時代にはなかった言葉が,いつしか耳にするようになり,特にガイドラインは,今ではさまざまな治療方針を決定する上でその根幹となっています.いずれも,若い世代の先生方は当然のことのように受け入れています.情報量も膨大で,毎年のごとく,欧米を中心とした圧倒的なサンプル数による大規模臨床研究の結果がmajor journalに公表され,ガイドラインの改訂が行われています.現在では脳神経外科領域においても細分化され,それぞれの領域で専門医・認定医制度が準備されつつあります.Major journalの論文といえども,すべての領域を網羅することは不可能でしょうし,手術症例数も豊富でセンター化されている都心部の施設ならまだしも,経験できる症例が限られ,人員不足の地域医療を担う施設(たとえ大学であっても)においては,興味がある領域であっても,ガイドラインの基になる原著論文を精読して,さらにその内容を批判的に吟味するといった時間的余裕もなくなりつつあります.手術以外にも,さまざまな検査においてそのつどIC取得が義務化され,その業務だけでも膨大です.当然,電子カルテですべて記録をしっかり残すことも要求されます.若い世代の先生方に求められる業務は増加の一途をたどります.

総説

椎骨動脈を中心とした解離性脳動脈瘤の病態,病理と治療

著者: 水谷徹

ページ範囲:P.825 - P.843

Ⅰ.はじめに
 脳動脈解離は従来,比較的稀な疾患とされたが,最近は,MRI,MRA,CTAなどの発展により発生時の頭痛を契機として,あるいは比較的若い年齢の特に延髄梗塞の原因として未破裂の状態で診断される機会が増加し,一般的な疾患になった.
 本質的には,血管腔を流れる血液の動脈壁への進入により壁が解離し,動脈瘤化,狭窄・閉塞を生じる病態である.解離部位の穿通枝を含む分枝血管の閉塞や遠位塞栓を来せば脳梗塞となり,破裂すればくも膜下出血(subarachnoid hemorrhage:SAH)となる.解離によって生じた壁内の腔を偽腔あるいは解離腔と呼ぶ.発生時には頭痛を伴うことが多く,発生より2〜3週間以内の急性期は,病態が不安定で形状変化も生じやすい.診断には画像所見とともに,頭痛に関する詳細な病歴の聴取が欠かせない.画像所見の特徴と自然歴を理解し,適切な初期対応をとることが重要である.
 40〜50歳台で,普段経験しないような片側の後頭部痛,後頚部痛,めまいを訴える患者に対しては,常に椎骨動脈(vertebral artery:VA)の脳動脈解離も診断の念頭に置く姿勢が必要である.

研究

当院における鋼製器械の品質管理状況と洗浄用水の水質について

著者: 中山博文 ,   川口公悠樹 ,   加藤晶人 ,   森嶋啓之 ,   長島梧郎 ,   八木岡節子 ,   朝倉武士 ,   田中慎一 ,   田中雄一郎

ページ範囲:P.845 - P.850

Ⅰ.はじめに
 医療機器保全管理の最終目的が患者の安全確保であることは論を俟たない.手術器械の不具合は施術効率を落とし,施術側にもストレスがかかり,不意の臓器損傷,破損による体腔内への落下,付着物による感染といった周術期トラブルにも影響が起こりうる.
 現在,医療機関での医療機器保守は医療法第6条(平成18年6月公布)に定められた義務であるが,明確に示された基準がないのも現状である.鋼製器械の保守は洗浄滅菌といった再生処理が中心となるが,これら管理状態についての報告は,実験研究的な報告を除いて見当たらない.
 われわれは手術用鋼製器械につき,検視下での損傷状況の調査を実施した.鋼製小物の肉眼的な破損や変形のほかにも,金属腐食に影響するであろう処理水の水質検査についても併せて行ったので報告する.

下垂足にて発症した腰椎変性疾患の治療成績

著者: 髙石吉將 ,   岡田真幸 ,   藤原大悟 ,   鵜山淳 ,   近藤威 ,   荒井篤

ページ範囲:P.851 - P.857

Ⅰ.はじめに
 腰椎変性疾患の中で,下垂足(foot dropまたはdrop foot)にて発症する症例に時折遭遇する.早急な治療方針の決定を迫られることが多いが,治療方針,手術のタイミングについて,一定の見解は得られていない.
 今回,当院において経験した下垂足にて発症した腰椎変性疾患について,診断,手術成績,その成績に影響を与える因子について検討した.

症例

Primary intraventricular hemorrhageで発症した上矢状洞部硬膜動静脈廔の1例

著者: 大園恵介 ,   近松元気 ,   中村光流 ,   塩崎絵理 ,   日宇健 ,   堀江信貴 ,   川原一郎 ,   小野智憲 ,   原口渉 ,   牛島隆二郎 ,   堤圭介

ページ範囲:P.859 - P.867

Ⅰ.はじめに
 硬膜動静脈廔(dural arteriovenous fistula:DAVF)が純粋な脳室内出血(primary intraventricular hemorrhage:PIVH)で発症することは稀であり3,7),報告例の中では横-S状静脈洞部(transvers-sigmoid sinus:TSS)DAVFが多くを占める2).今回われわれは,PIVHで発症した上矢状洞部(superior sagittal sinus:SSS)DAVFの極めて稀な1例を経験したので,文献的考察を加えて報告する.

コイル塞栓術後に親水コーティングに関連する脳実質変化を認め,軽快と増悪を繰り返した1例

著者: 中溝聡 ,   三浦伸一 ,   中村直人 ,   岡田真幸 ,   阪上義雄

ページ範囲:P.869 - P.875

Ⅰ.はじめに
 脳動脈瘤コイル塞栓術の合併症として,血栓塞栓による脳梗塞や術中破裂などが挙げられるが,カテーテルやコイルとの関連が疑われる亜急性期以降の合併症の報告も散見される.
 今回われわれは,破裂動脈瘤に対するコイル塞栓術後に軽快と増悪を繰り返した脳実質内病変の1例を経験した.これまでの報告例を含め,文献的考察を加えて報告する.

開頭クリッピング術中に心室頻拍を来した内頚動脈-後交通動脈瘤切迫破裂の1例—ハイブリッド手術室を用いたリカバリー

著者: 細川雄慎 ,   福田仁 ,   福井直樹 ,   濱田史泰 ,   矢田部智昭 ,   青山文 ,   帆足裕 ,   樋口眞也 ,   上羽佑亮 ,   古島知樹 ,   上羽哲也

ページ範囲:P.877 - P.882

Ⅰ.はじめに
 内頚動脈-後交通動脈(internal carotid-posterior communicating artery:IC-PC)瘤が同側の動眼神経麻痺を呈した場合,既に破裂していたり,未破裂であっても早期に破裂したりする確率が高い5,6).そのため,この病態は切迫破裂と称され,緊急治療の対象となる.動眼神経麻痺を呈したIC-PC瘤に対しては,mass effectを減じることができる開頭クリッピング術が長らく行われてきたが,近年コイル塞栓術の有効性も多く報告されており,解剖学的条件や患者の全身状態により,効果的に使い分けることが可能になっている3)
 今回われわれは,動眼神経麻痺を呈したIC-PC瘤に対する開頭クリッピング中に心室頻拍を認め,ハイブリッド手術室でのコイル塞栓術に切り替えた症例を経験したので,文献的考察を加えて報告する.

パーキンソン病に伴う認知症患者にみられた脳アミロイド血管症関連くも膜下出血の1例

著者: 森永裕介 ,   新居浩平 ,   坂本王哉 ,   井上律郎 ,   光武尚史 ,   花田迅貫

ページ範囲:P.883 - P.892

Ⅰ.はじめに
 本邦においてレヴィ小体型認知症(dementia with Lewy bodies:DLB)は,アルツハイマー型認知症(dementia of Alzheimer type:DAT),血管性認知症(vascular dementia:VaD)と並んで3大認知症に位置づけられ,有病率は認知症高齢者の4.3%(疫学)6)〜41.1%(剖検)16)と複数の報告があるが,高齢化の進展に伴い近年,患者数は増加傾向にある.また,DLBと類似した疾患として,パーキンソン病(Parkinson disease:PD)発症後に認知症に至る病態(PD dementia[PDD])9)もある.DLBとPDDの間に本質的な違いはなく,両者はレヴィ小体病(Lewy body disease:LBD)という,1つの疾患スペクトラムの中での認知障害や運動障害の時間的な出現順序や程度の違い,すなわち同じ疾患の表現型のバリエーションと理解されている6).病理学的には,両者はαシヌクレイン封入体という共通の病変を有することから,単一のLBDモデルと考えられている5).近年,アミロイドPETなどの画像診断の発達に伴い,DAT,DLB,PDDの患者の脳アミロイド血管症(cerebral amyloid angiopathy:CAA)の程度が評価され,LBDであるDLB/PDDの患者にCAAがみられた場合,DAT同様の脳萎縮と関連することが示唆されている13).また,DAT病理を伴うLBD患者では,認知機能低下に重度のCAAが関連しているとの報告がある4)
 一方で,非外傷性くも膜下出血(subarachnoid hemorrhage:SAH)の原因は,多くは脳動脈瘤の破裂(約80%)によるもので,脳動静脈奇形,脳腫瘍,もやもや病,脳動脈解離の破裂のほか12),CAAに関連したSAH2)や原因不明のものも存在する.
 今回われわれは,PDD患者にみられたCAA関連SAHの1例を経験したため,その臨床経過を提示し,CAAの臨床診断のポイントやPDD/CAA関連脳卒中(CAA関連SAHを含む)と認知機能との関連性に関して,文献的考察を加えて報告する.

第四脳室出口閉塞症候群に対するシャント術後遅発性合併症における緊急シャントクランプシステムの有用性—2症例報告

著者: 蒲原明宏 ,   池田直廉 ,   井畑知大 ,   小坂拓也 ,   朴陽太 ,   大村直己 ,   古瀬元雅 ,   野々口直助 ,   川端信司 ,   梶本宜永 ,   黒岩敏彦

ページ範囲:P.893 - P.900

Ⅰ.はじめに
 第四脳室出口閉塞(fourth ventricle outlet obstruction:FVOO)は,小脳出血後,脳腫瘍,キアリ奇形など種々の原因により,ルシュカ孔,マジャンディー孔の部分—完全閉塞を来し水頭症を併発する.FVOOによる水頭症に対しては内視鏡的第三脳室開窓術(endoscopic third ventriculostomy:ETV)が第一選択である.しかし,急性期にはFVOOの確定診断は容易でなく,さらに,病因によっては水頭症の発生機序に髄液吸収障害が関与すると予測されることも多く,脳室腹腔シャント術も選択されることがある.今回われわれは,FVOOの関与があったと思われる二次性水頭症に対して急性期に脳室腹腔シャント術を行い,遅発性に髄液排出過多,slit ventricle syndrome(SVS)に至った症例を経験したので報告し,FVOOが関与する二次性水頭症に対する治療方針について考察する.

原発性トルコ鞍内軟骨様脊索腫の1例

著者: 榊原陽太郎 ,   田口芳雄 ,   中村歩希 ,   小野寺英孝 ,   和久井大輔 ,   池田哲也 ,   相田芳夫

ページ範囲:P.901 - P.907

Ⅰ.はじめに
 脊索腫は,胎生期の脊索組織の遺残から発生する腫瘍と考えられ7,11,13),約35%は頭蓋内,特に斜台先端部に発生する1,3,8,9,11,13)
 われわれは,過去2回の手術で下垂体腺腫と診断したトルコ鞍内原発軟骨様脊索腫の1例を経験した.初期診断の誤りを再考し,かつトルコ鞍内原発脊索腫について考察を加え報告する.

特別寄稿

AI時代における脳と心①

著者: 浅野孝雄

ページ範囲:P.908 - P.914

はじめに
 私は,大学紛争さなかの昭和43年に医学部を卒業し,普通の脳神経外科医として臨床と研究に励んできたが,50歳に至った頃から,次のような疑問が私の心を占めるようになった.それは,一口で言えば,脳と心の関係,すなわち心脳問題である.脳手術において,意識と局所脳機能の保全は最優先の課題であるから,脳神経外科医がそれらについて,最低限の基礎医学的知識を有すべきことは言うまでもない.しかし脳神経外科学において,Japan Coma Scale(JCS)を中心とする神経診断学の主目的は,刺激に対する反応性の変化と脳病変との局所的対応を明らかにすることである.また,近年著しい発展を遂げている認知神経科学も,特定の心的現象と機能的画像診断法で示される脳の活性化部位との局所的相関(neural correlates of consciousness:NCC)を主たる課題とする20).そのようなアプローチの重要性に疑いの余地はないにしても,それが「心とは何か」「脳と心はいかなる関係を有するか」という大問題の解明に直接には結びつかないことも事実である.
 意識の成立に脳幹上部の網様体賦活系(reticular activating system:RAS)が関与していることは既に確立されている3).また,近年の大脳生理学は,意識の内容である心は,局在する脳機能の全体的統合によって生まれることを示している7,21,24,35).そうでなければ,人格などというものは存在し得ないであろう.意識発生のメカニズムに関しては,グローバル・ワークスペース説6,7)やダイナミック・コア説などが学会の主流となっている13).これらにおいては,局在機能の統合(結合)の機序として,異なる皮質部位におけるニューロンの同期発射というメカニズムが想定されている.それは意識(気づき)の発生における,複数の脳局所領域における脳波活動コヒーレンス(協調)の増大,および局所脳代謝の同時的賦活などの知見によって間接的に支持されているが13),同期発射自体がいかなるメカニズムによって引き起こされるのかは不明のままである.また,同期発射に意識発生の原因を求める考え方は,次に述べるような原理的な問題を孕んでいる.
 同期発射と意識を結びつける考えは,脳の働きのすべてが,神経回路網におけるパルス系列の処理と統合に依存するとするパラダイム,すなわち物理記号仮説を土台としている16).このパラダイムから,脳とコンピュータの働きが機能的に同一であるとする見解(機能主義と呼ばれる)が生まれた11,34).コンピュータ工学は過去数十年の間に飛躍的な進歩を遂げ,現在では,計算・記憶・推論能力などに関する限りは,ヒト脳をはるかに凌駕する人工知能(artificial intelligence:AI)が作成されている.そのことから,AIの普及がヒト脳を不要にする18),あるいは人類がその心を通じて築き上げてきた常識心理学(folk psychology)に基づく言語は,あまりに誤謬に満ちているから廃棄すべきである(消去的唯物論)11)などの主張がなされるようになった.それらの説の妥当性はさておき,世界中でAIが急速に普及していることは事実であり,それに伴って人類の思考・生活様式が大きく変化することは避け得ないであろう33).それと並行して,われわれの心に対する考え方自体も,より唯物論的あるいは数学至上主義的な見方42)へと変化していくと思われる.とすると,一時喧伝された「不確実性の時代」は過去のものであり,われわれは今や,人間の思考と行動がAIのアルゴリズムによって決定される「マトリックスの時代」,あるいは「ホモデウスの時代」18)へと突入しているのだろう.「それでいいのだ」と思う人もいるかもしれないが,私はそうは思わない.その理由を次に述べる.
 私は,過去における脳虚血病態についての研究を通じて,脳体積の約半分を占めるグリア細胞がニューロンとシナプスの働きに大きな影響を与えること,また“tripartite synapse”と呼ばれるように,アストロサイトのフィロポディア(filopodia)と微小血管とシナプスが構造的および機能的な三位一体を成していることを学んだ2,4).シナプスの伝達効率や新生は,アストロサイト・フィロポディア(アストロサイト以外の多種類のグリア細胞も含む)と微小血管の働きに大きく依存しており,それは必ずしも電気的現象を介さない,化学的および力学的なプロセスである23).つまり,神経回路網における情報処理は,その外部に存在する化学的・力学的なシステムの働きに依存し,それらから多大な影響を受けている.脳の神経回路網をコンピュータと同じものと見なす物理記号仮説および機能主義は,37億年にわたる生命の進化によって創り出された脳構造の,途方もない複雑性の一面しか見ていないのである.
 さらに,知覚・認知の本質にかかわる問題がある.感覚を引き起こすあらゆる外的刺激は感覚受容器においてスパイク系列へと変換されることによって「情報」へと変化するが,スパイク系列としての「情報」は何の「意味」ももたない.人間が知覚に付与する「意味」は,生物がその37億年の進化の歴史における個体と環境との相互作用を介して獲得してきたものに淵源するから,人間・動物の知覚から「意味」を分離することはできない.つまり,米国の哲学者であるトーマス・ネーゲルが,『コウモリであるとはどのようなことか』32)で述べているように,パルス系列から成る情報を,個体と環境の具体的な関係から切り離し,一般化・抽象化して考えることには「意味がない」のである.物理記号はどれほど複雑であろうともデジタルな記号列に過ぎず,その内に意味やクオリアを含むことはできない.したがって,物理記号仮説と計算論に依拠して脳とコンピュータを同一視する「機能主義」的な考えは,脳がその進化の歴史における無数の創発を通じて獲得した構造と機能を無視した一方的な見解にすぎないのである11,15,16,33,34,44)
 マトゥラーナとヴァレーラは,1980年に出版された“Autopoiesis and Cognition:The Realization of the Living”28)において,生命体の神経システムにおいては,外部刺激と内部変化が直線的因果関係で結ばれているのではなく,神経システムは自己に準拠して自己を創り出していくという主張を展開し,その後の心脳問題の展開に大きな影響を与えた.シャノンの情報理論に基づく意識理論27)は,神経回路網におけるパルス処理についての分析を可能ならしめるとしても,その本質は結局のところ数学や論理学と同じトートロジー(同語反復)にすぎないから,人間が知覚を通じて構成していく「意味」とは無関係である15,16,39,42).「知る」ということは,ただ情報を受け取ることではなく,その「意味を知る」こと,および新たな意味を「発見すること」である15,28,39,44).宇宙における人間の独自性と尊厳性は,人間が外的刺激の「意味」を,意識を介して自ら構築していく,自律的かつ発展的な存在であることに依拠する.パスカルは,「人間は,知ることにおいて,何も知らない宇宙よりも尊い」と述べたが,皮肉なことにその言葉は,「意味」を欠いた「知」であるAIの進歩が「特異点」に達しようとしている現代において,新たな問題をわれわれに突きつけているのである.
 そのような理由から私は,電気的・化学的・力学的システムの三者が統合された複雑系として脳を捉える見方に立脚した意識理論を探し求めてきた.そして遂に私は,米国の脳科学者であるフリーマンの“How Brains Make Up Their Minds”15)という著作に巡り合ったのである.彼は,神経回路網の働きについての従来の知見を取り入れつつも,20世紀半ばにイリヤ・プリゴジンが確立した散逸系(複雑系)理論38),およびヘルマン・ハーケンのシナジェティクス(synergetics)17)の基本的な考え方に立脚し,まったく新たな見地から,生きている動物脳を用いた実験的研究を開始した.上掲書は,彼の生涯をかけた研究成果を,一般読者を対象としてわかりやすく解説したものである.フリーマンが私からの頻回のメールに懇切丁寧に答えてくださったこと,また,日本における代表的なカオス理論研究者である津田一郎教授が訳文を監修してくださったことにより,私はその書の邦訳15)を完成することができた.現代日本においても,複雑系理論に基づく生物学的研究が既に開始されているが,脳科学領域においては,その重要性がようやく認められ始めたにすぎない22,40,41).したがって,本稿においてフリーマン理論の大要を紹介することには,今なお十分な意義が存すると思われる.
 一方私は,この翻訳を進めている間に,フリーマン理論における物理学的言説と仏教心理学における心的言説との間に著しい類似性が存在することに気づいた.そのことから私は,両者の対応を明確にすることが,東洋思想と西洋思想,ひいては脳と心についての一元的理解を深めることに役立つのではないかと考えるようになった.フリーマン教授はそのような私の考えに強い興味を示され,本として出版するよう勧めてくださったので,私はその後,数年間をかけて『古代インド仏教と現代脳科学における心の発見』5)という一書を書き上げた.それは予想以上の反響を呼び,NHK Eテレの「こころの時代〜宗教・人生〜」という教養番組で取り上げられたほか,第77回 日本脳神経学会学術総会での文化講演に招聘されるという栄に浴した.講演の目的は,私と同じ脳神経外科医に脳と心の関係についての注意を喚起することにあったが,1時間程度の講演で私の考えを十分に伝えることはもとより無理であった.そこであらためて,『脳神経外科』に論文として発表する機会をいただき,寄稿としてまとめた.
 本稿の目的は,現代意識理論とブッダの教説が本質的な共通点を有することを明らかにすることにある.全5回に分けて,第Ⅰ部では,フリーマン理論の大略について解説し,第Ⅱ部では,ブッダの教説を中心とする仏教心理学の要点を述べ,それとフリーマン理論との対応について述べる.フリーマン理論を補完するために,ジャーク・パンクセップの情動理論36,37)を適宜追加した.最後に,こうして明らかとなったフリーマン理論と仏教心理学との鏡像的対応が,現代においていかなる意義を有するのかという問題について論じることとする.

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目次

ページ範囲:P. - P.

欧文目次

ページ範囲:P.821 - P.821

略語および度量衡単位について

ページ範囲:P.919 - P.919

次号予告

ページ範囲:P.921 - P.921

編集後記

著者: 飯原弘二

ページ範囲:P.922 - P.922

 梅雨が明け,猛暑の季節となりました.日本専門医機構による新専門医制度,働き方改革,脳卒中・循環器病対策基本法など,本邦の脳神経外科医を取り巻く環境は今後,急速な変化を迎えていきます.将来の人口減少を考慮した医学部定員削減は需給予測に基づくものですが,脳神経外科医は,地域医療を支えるために少ない定員で長時間の時間外労働を行っており,学会が主導と若手のリクルートは大変重要なものと思います.昨年の日本脳外科学会学術総会の“GREEN Project”は,その観点で重要な試みであり,続けて開催されることで,優秀な若手のリクルートは増加していくものと思います.学会としては,脳神経外科を選んでくれた若手に,将来,大樹に育ってくれるような専攻医教育を整備していくことが重要と思います.
 「扉」では,産業医科大学 山本淳考教授から,多忙を極める臨床現場での若手教育の課題について述べられ,新進気鋭の教授としての課題解決への意気込みを語っていただきました.私たちは現在,新専門医制度や働き方改革などの動きに翻弄されていますが,患者さんのアウトカムとQOLを改善するために,どのような医療の在り方が望ましいのか,自立して考えていく必要があります.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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