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雑誌目次

雑誌文献

Neurological Surgery 脳神経外科6巻2号

1978年02月発行

雑誌目次

脳外科医の過疎と過密

著者: 松岡健三

ページ範囲:P.109 - P.110

 漱石の"坊ちゃん"で知られた四国は伊予の松山──この文豪の若かりし頃は,バッタを蚊帳に入れられるほどの田舎町でしたが,今や人口約40万,四国第一の大都会です.市街の中心,こんもりした緑の山上に,青空を背景として,くっきり浮かび上がる三層の天守閣は,この街の象徴でしょうか.この地が生んだ近代俳句の祖,正岡子規が "春や昔,十五万石の城下かな" と詠んだように,この街には何となく落ちついた駘湯とした気分がただよっています.街の東に,日本最古といわれる道後温泉をひかえ,湯の煙が,家並を暖かくつつんでいるためでしょう.この松山から高松へ通ずる国道沿いに13km東へ行くと重信町志津川という片田舎があります.三方を起伏の多い美しい山なみに囲まれ,遙か東方に,西日本の最高峰,石槌山を仰ぐ景勝の地ですが,ここに6万坪の広大な敷地を求めて,愛媛大学医学部が建設されることが決まったのは昭和47年のことです.
 文部省が,無医地区解消,地域医療の向上を謳って,一県一医大の構想をはじめて実現に移したのが,愛媛,山形両医学部と旭川医大で,既存の施設を利用せず,全くの原っぱから国立の医育機関がつくられたのは,戦後これらが最初と知ったときは,いささか意外でした.それかあらぬか,従来の大学人が経験したことのないような苦労の末に,付属病院は51年10月に開院にこぎつけ,脳神経外科は一番しんがりで,52年4月に開設され,早速,講義と診療をはじめました.

総説

視床下部ホルモン

著者: 井村裕夫 ,   加藤譲

ページ範囲:P.111 - P.120

Ⅰ.はじめに
 下垂体前葉ホルモンの分泌が中枢神経系,とくに視床下部によって調節されていることはかなり古くより知られていた.そして下乖体前葉と視床下部との間に神経線維による連絡がないところから,体液性調節が想定されていた.この体液性調節物質として最初に注目されたのはエピネフリン(Sawyerら1),1948)であるが,次いで1955年にGuilleminら2),Saffranら3)がACTHの放出を促進するcorticotropin releasing factorを発見するに及んで,個々の下垂体ホルモンの分泌を調節する非アミン性のreleasing factor(releasing hormoneとも呼ばれる)やinhibiting factor(inhibiting hormone)の存在が次々と報告され,RFまたはIFによる下垂体前葉機能調節の古典的概念が確立された4).こうしたRF,IFは下垂体門脈系を経て下垂体前葉に達するところから,向下垂体性視床下部ホルモン(hypothalamic hypophysiotropic hormone)または単に視床下部ホルモン(hypothalamic hormone)とも呼ばれる,厳密に言えばvasopressin,oxytocinなどの下垂体後葉ホルモンも視床下部ホルモンに含めるべきであるが、通常は向下垂体性ホルモンを単に視床下部ホルモンと呼んでいる.

Case Study

著明なるいそうと血漿高GHを呈した小児脳腫瘍の1例

著者: 西本詮 ,   柳生康徳

ページ範囲:P.121 - P.129

Ⅰ.症例
 患者:野○周○ 2歳2カ月 男子
 主訴:著明なるいそう

Current Topics

脊髄鏡および脳底部内視鏡

著者: 福島孝徳

ページ範囲:P.131 - P.134

はじめに
 脳室系病変(特に第3脳室)の直視診断を目的として細い脳室ファイバースコープの実用化を志ざしたのは1968年暮のことで,すでに一昔前の話である3).1971年に現在の型(オリンパスCVF4mm)を完成し4,5),今までに臨床例は61例,biopsyは21例に達している10).直視下診断のみならず,内視鏡的小手術を含めて,その有用性は充分確認されている6,7)
 さて,この脳室スコープを臨床応用する傍ら,著者の関心は脳底槽や脊椎腔などのより狭いspaceの観察に応用できる極細内視鏡の開発であった.極細ファイバースコープは夙に尿管用として開発されていたが22),現在の高度の技術をもってしても外径2mm以下に下げることは至難の技である.理論的にはもちろん外径1mmのスコープも製造可能であるが視野・解像力・照明の,点で実用に至らぬのである.ところが近年,Selfocと呼ばれるユニークな光学ガラスが発明され,非常に細径の内視鏡が作れるようになった.このSelfoc-scopeは,渡辺により初めてSmall jointに対する関節鏡として臨床に応用された23).著者は,西ベルリン滞在中およびMayo Clinicにおいて,東京オリンパス本社,Olylnpus Europa,Olympus Corp.AIllericaより多大の協力を得て,脳神経外科用の種々の細径内視鏡を開発,使用してきた.

研究

椎骨動脈・後下小脳動脈分岐部動脈瘤に対する中枢側椎骨動脈クリッピング—実験的ならびに臨床的検討

著者: 日下利昌 ,   山下茂 ,   樫原道治 ,   松本圭蔵

ページ範囲:P.135 - P.142

Ⅰ.はじめに
 動脈瘤に対する外科的治療の根本は破裂を防ぐことにある.それには現在のところ嚢状動脈瘤にはその柄部をクリップすることが最も確実な手術であるが,問題は,たとえ柄部のクリップ成功しても,そのための手術過程において,主要な中枢神経組織に侵襲が加わり重大な神経学的欠損症をまねくような手術方法は適当とはいえない.椎骨動脈・後下小脳動脈分岐部動脈瘤で,それが正中線上に近く,しかも比較的高位で,斜台の尾側1/3あたりに存在するものは,上方より側頭下開頭術をおこない天幕切開をして接近するか,あるいは後頭下開頭術による手術がおこなわれている.しかしいずれの方法においても,下位脳神経や延髄に入る脳底動脈の分枝などが障害となり,これらを損傷することなく動脈瘤に接近することは難しい場合がある.また,この部に直接到達するためにはtrans-clival approachがあるが,この方法では術野も狭く,術後の硬膜閉鎖も難かしく,髄液瘻の形成,さらに感染による髄膜炎の合併などが起りやすく,成功例は数少ない.さて,われわれは最近2例の椎骨動脈・後下小脳動脈分岐部動脈瘤を経験した.まず第1例は術中やむなく中枢側椎骨動脈クリップに終ったが,その術後の臨床経過はきわめて良好で,術後血管写で動脈瘤は消失し,かつ後下小脳動脈は明瞭に写し出されるという結果をみた,そこで第2例目は,やむをえざる場合は中枢側椎骨動脈クリップを行なうことを計画し,これをおこなったところ,この例でも満足すべき結果をみた.

塗抹(smear)標本による中枢神経系腫瘍の迅速診断

著者: 木下和夫 ,   福井仁士 ,   北村勝俊 ,   米増祐吉 ,   松角康彦

ページ範囲:P.143 - P.152

Ⅰ.はじめに
 中枢神経腫瘍の病理組織学的診断は,脳神経外科医にとって,その治療方針を定め,予後を推定するためにもっとも重要なものであるが,術中にその腫瘍の種類,悪性度,拡がりなどを速やかに知ることは,手術方針を決定してゆく上に不可欠である.
 わが国においてこのような目的のために使用されている術中迅速診断法は,凍結切片によるのが一般的であろう.凍結標本作製にはかなり時間を要するし,標本がごく小さく,非常に軟かく,壊れやすかったり,壊死組織や,血液中に混じているような場合は作製が困難である.ここでのべる塗抹標本はわずか数分間ででき,手技もやさしい.

難治性術後髄膜炎の免疫併用療法

著者: 清水隆 ,   窪田惺 ,   鬼頭健一 ,   喜多村孝一

ページ範囲:P.153 - P.159

Ⅰ.緒言
 脳神経外科領域における術後感染症の発生率は3-8%で2,19),そのうち40-70%は化膿性髄膜炎である.術後髄膜炎の起炎菌は従来ブドウ球菌を主体とするグラム陽性球菌であったが,近年,いわゆるopportunistic infection9)といわれるグラム陰性桿菌による髄膜炎の比率が増加してきている4,8,14)
 術後,髄膜炎が発症した際,起炎菌の同定,感受性抗生物質の決定と共に早急な治療の開始が必要である,しかし往々にして,起炎菌が不明なことも多く,一般には髄腔内移行率の高い広域性抗生物質の全身投与,および髄腔内投与が行なわれ,一応の治癒をみていることが多い.そのため,ややもすれば術後髄膜炎の治療に対し,安易に広域性抗生剤の大量投与,髄腔内投与でよしとする風潮もあるように思われる.

症例

脳血管撮影により脳室内へ造影剤漏出のみられた頭部外傷例—血管写と剖検脳

著者: 内田桂太 ,   嘉山孝正 ,   吉本高志 ,   和田徳男

ページ範囲:P.161 - P.165

 重症頭部外傷例に頸動脈撮影を施行したところ,脳動脈からの造影剤により脳室造影Extravasationのみられた稀有なる症例を経験したので、その脳血管写および剖検脳所見について報告する.

嚢胞性髄膜腫の1例

著者: 松島俊夫 ,   木下和夫 ,   沼口雄治 ,   小田健一郎

ページ範囲:P.167 - P.171

Ⅰ.はじめに
 髄膜腫において顕微鏡的嚢胞がみられる症例には時々遭遇するが,肉眼的に大きな嚢胞を形成する症例は,非常にまれである. Cushing and Eisenhardt3)やRusselland Rubinslein9)によりcyslic meningiomaとして記載されているが,その後の報告例は少ない.
 われわれは,大きな嚢胞と小腫瘤からなる髄膜腫を経験したので,ここにその症例を報告するとともに.考察を加える.

血液透析下に手術を施行した下垂体腺腫の1例

著者: 大久保正 ,   松森邦昭 ,   神保実 ,   喜多村孝一 ,   太田和夫 ,   小出桂三

ページ範囲:P.173 - P.177

Ⅰ.はじめに
 慢性腎不全の治療は,1913年にAbel,Rowntree,Turnerにより人工腎が初めて製作され,更に半世紀を経た1960年に,Scribnerらが,A-V shuntを創案してから慢性の末期腎不全に使用できる様になり,急速に発展してきている.
 わが国においても,1976年6月の人工透析研究会での集計報告では,透析患者は,15,675名となっており年々増加している.

眼窩壁を穿破した脳内異物および脳損傷の2例

著者: 山口武兼 ,   畑宏 ,   平塚秀雄 ,   菅沼康雄 ,   稲葉穰

ページ範囲:P.179 - P.184

Ⅰ.はじめに
 経眼窩的脳損傷による骨片・異物の脳内穿通は,平時にはまれであり5),脳神経外科医の診療対象となることは少ない.初期治療は,多くの場合,眼科医あるいは救急にたずさわる医師により行なわれるが,時には脳損傷を看過されるために,重篤な合併症を来たして予後不良となる2,21)
 著者らは,最近,2例の経眼窩的脳損傷を経験し,文献上集計しえた73例1-4,8,10,12,20,22-27)と共に,本症の臨床的特徴について考察を加えた.

眼球突出をきたし,10数年を経過した眼窩内器質化血腫の1例

著者: 山下俊紀 ,   細田浩道 ,   篠永正道 ,   藤津和彦 ,   桑原武夫

ページ範囲:P.185 - P.189

Ⅰ.はじめに
 眼窩内に何らかの原因で生じた血腫は,比較的急速に吸収され,消失するのが常である.これが血腫として存続し,器質化するのはきわめて稀なことである.眼窩内器質化血腫(organized hematoma,blood cyst,hernatic cyst,hematocele)は,文献にみても我々が調べ得た限りでは,欧米に18の報告があるのみで,本邦ではその報告を未だみない19).この器質化血腫も他の眼窩内腫瘍と同様に,眼球突出,眼球運動障害,視力障害などの眼症状を示すが,その特有な徴候はない.我々は,発症より10数年を経過した眼窩内器質化血腫を摘出する機会を得たので,この症例を報告するとともに,文献的考察の上に本症例の特異性に触れ,いわゆる眼窩内腫瘤を扱う際に一考を要する病変であることを強調する.

眼窩内粘液のう腫の1例

著者: 朝長正道 ,   岳野圭明

ページ範囲:P.191 - P.194

Ⅰ.いとぐち
 副鼻腔に発生するmucoceleあるいはpyoceleのうち,前頭洞由来のものはその部位より診断も比較的容易であり,決してまれな疾患ではなく,頭蓋内へ穿破進入し,腫瘤として,あるいは髄膜炎や膿瘍などの感染性疾患として発症したり,眼窩内へおよび視力障害,眼球突出,眼位異常などの種々な眼症状を呈したりする.一方,篩骨洞あるいは蝶形骨洞に発生するものは,頭蓋底部の複雑な解剖学的関係およびmucoceleの進展方向による頭蓋内や眼窩との位置的関係によって多彩な症状と経過をとり,診断も困難な場合が少なくない,いずれの場合にしても罹患した副鼻腔と頭蓋内あるいは眼窩内へ進展したmucoceleとの間に交通があり,経鼻的な洞開放術によって多くは十分な減圧のえられるものである.しかしながら,もし副鼻腔との連絡が絶たれ,全く遊離したmucoceleが存在するならば.その診断も大変難しいであろうし,さらに治療も経鼻手術では効果を期待できないであろう.われわれはこのような特異的なmucoceleが眼窩内にのみ限局し,その症状,経過も非常に興味深い症例を経験したので報告する.

非手術脳動静脈奇形の完全自然消失例と放射線療法後消失例

著者: 宮崎正毅 ,   島健 ,   横山登 ,   桑原倖利 ,   桑原敏 ,   佐々木潮 ,   日比野弘道 ,   石川進 ,   魚住徹

ページ範囲:P.195 - P.203

Ⅰ.はじめに
 脳動静脈奇形(AVM)の手術成績は脳神経外科領域へのmicrosurgeryの導入以来著しく向上し,その手術適応も拡大されてきた.しかしなおAVMの存在部位や大きさによって,直達手術が不可能あるいは極めて困難と考えられるものも少なくない.とくに脳幹実質内に存在するもの,両側半球にまたがるもの、運動領に存在する巨大なAVMなどは直達手術の適応外とされている.保存的に治療されたAVMや種々の理由で治療を受けずに放置されたAVMの生命に対する予後,機能的予後は,脳基底核,視床,後頭蓋窩などに生じたものを除くと22),一般に比較的良好である10,14,21).われわれは昭和35年3月より広島大学第2外科および同脳神経外科において31例のAVMを保存的に治療し,内15例について最長16年,平均7.4年にわたり血管写を含めたfollow-upを行ってきた.このうち1例では手術や放射線療法を行わず出血をくりかえしているうちに,1例では60Co 5,000 rads照射後約6年でそれぞれAVMが消失しているのを見出した.これらの症例を報告すると共に自然消失の機序,放射線療法の意義について考察を加えたい.

基本情報

Neurological Surgery 脳神経外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1251

印刷版ISSN 0301-2603

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