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医学の進歩をになった人々
北里柴三郎・2
著者: 中溝保三1
所属機関: 1都立荏原病院
ページ範囲:P.49 - P.51
文献購入ページに移動北里柴三郎は,少年時代から没年に至るまで,ドイツにおける留学期間を除いては,おのれの属するグループの中で常にリーダーシップを握ることになるのだが,学生時代すでにその萠芽は芽ばえていた.明治10年東京医学校が東京大学医学部に改称されたころ,北里は医学生の間に同盟社なる結社を組織し,そのリーダーとして雄弁大会,体育会などの運営,あるいは講義のコピーの作製などにほとんど専念していた.ときにはストライキの主謀者格となって,同盟社が学校当局からにらまれることもあった.その当時の大学では,学生の出欠は自由であり,試験に合格しさえすれば進級ができたので,北里のようにアルバイト学生として通学していた者にとっては,きわめて好都合であったといえる.
医学部の教授がほとんど外国人であったため思わぬトラブルが発生することもあった.たとえば,外科と眼科とを担当していたシュルツのごときは,まだ講義の終わっていないところから試験問題を出して,学生たちの強い反発をかうことになり,北里がその先頭に立って抗議した.このときは内科教授のベルツのあっせんで一応おさまったが,シュルツと学生たちの間は,彼が日本を去るまでうまくゆかなかった.
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