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古都と医療をデザイン—奈良県立医科大学
著者: 梅垣健三1
所属機関: 1奈良医科大学
ページ範囲:P.993 - P.993
文献購入ページに移動 まずは奈良県立医科大学の歴史について述べよう.昭和20年7月,第2次大戦の末期に当時の国家的要請と県民医療への要望にこたえ,県立医学専門学校として発足した.現在の橿原市に位置したことは,この地が立地的に県の中央に位し,大和三山(畝傍山,香具山,耳成山)に囲まれた由緒ある場であるがためである.病院は県農業会の協同病院を母体とし,基礎医学校舎は橿原神宮,神武天皇陵に相対する所にある八紘寮(昭和15年,紀元2600年記念に建てられた堅牢な建物で,修練の施設であった)をあてて発足した.その後,昭和23年4月には旧制医科大学に昇格し,予科を併設したが,昭和26年で廃止された.そして昭和27年4月に新制医科大学として発足し,昭和33年には進学課程を設けて6年制となり現在にいたっている.このように相次ぐ学制の改革による変遷を経,また昭和30〜33年ごろには県の財政困難なことによる大学存続の危機に直面したが,当時の大学の熱意は遂に県当局を動かし,旧制学位審査権の獲得(昭和34年),大学院の設置(昭和35年)をみて,今日の立派な大学の姿となった.
公立医科大学である以上,今日の日進月歩の発展を示す医学を医療の場において県民に還元させる役目を持っている.県下の医療の指導的立場にある以上,我々大学人はそのように努めねばならない.
公立医科大学である以上,今日の日進月歩の発展を示す医学を医療の場において県民に還元させる役目を持っている.県下の医療の指導的立場にある以上,我々大学人はそのように努めねばならない.
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