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文献概要
医学の進歩をになった人々
秦 佐八郎・1
著者: 中山沃1
所属機関: 1岡山大・第2生理
ページ範囲:P.50 - P.52
文献購入ページに移動 現在化学療法によって多くの伝染性疾患が制圧されているが,この化学療法の創始者はドイツのパウル・エールリッヒ(1854〜1915)である.彼がこの伝染性疾患の化学療法の研究に着手したのは1902年で,2年後の1904年には早くもトリパノゾーマ病に対する特効薬トリパンロートを発見した.そして1909年には日本の伝染病研究所から彼のもとへ留学していたわが秦佐八郎の協力のもとに,サルバルサン(いわゆる606号)による梅毒の化学療法に成功した.この時エールリッヒ55歳,秦佐八郎36歳であった.
この人類を悩まし続けた梅毒療法の成功によって化学療法研究の基礎が築かれ,世界の学者たちはエールリッヒ,秦らの開拓した道を進み,ついに今日の化学療法時代が実現されるに至ったのである.すなわちドイツのドマークによるサルファ剤の発見,フレミングによるペニシリンの発見,その後次々と発見された抗生物質による化学療法は皆その源をたどればエールリッヒへさかのぼる. このエールリッヒの輝かしい梅毒の化学療法の成功も,秦佐八郎の協力があってこそ初めて成されたものと考えられる.エールリッヒと秦佐八郎共著の書"Experimentelle Chemotherapie der Spirillosen,スピロヘータ病の実験的化学療法"(1910年)の序文の中でエールリッヒ博士は秦佐八郎の協力に対し,次のように謝辞を述べている.
この人類を悩まし続けた梅毒療法の成功によって化学療法研究の基礎が築かれ,世界の学者たちはエールリッヒ,秦らの開拓した道を進み,ついに今日の化学療法時代が実現されるに至ったのである.すなわちドイツのドマークによるサルファ剤の発見,フレミングによるペニシリンの発見,その後次々と発見された抗生物質による化学療法は皆その源をたどればエールリッヒへさかのぼる. このエールリッヒの輝かしい梅毒の化学療法の成功も,秦佐八郎の協力があってこそ初めて成されたものと考えられる.エールリッヒと秦佐八郎共著の書"Experimentelle Chemotherapie der Spirillosen,スピロヘータ病の実験的化学療法"(1910年)の序文の中でエールリッヒ博士は秦佐八郎の協力に対し,次のように謝辞を述べている.
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