文献詳細
文献概要
けんさアラカルト
臨床検査技師と海外医療活動
著者: 相原雅典1
所属機関: 1天理よろづ相談所病院臨床病理部微生物室
ページ範囲:P.234 - P.235
文献購入ページに移動はじめに
「海外で医療活動をする」ということを,自分の身において考えられたことはありますか?おそらく,「漠然とした夢としては持っているけれど……」と答えられる方が多いのではないでしょうか.実際,自分が「海外で医療活動をする」というはめに陥るなど,誰も想像できないことでしょう.実は私がそのはめに陥ったのは1967年9月の,私が当天理よろづ相談所病院に就職したその年のことでした.当時,日本はまだ固定相場制で,1ドルの為替レートが360円で,われわれ庶民が海外に出るなどまだまだ夢のような時代でした.そのころ,当院ではアフリカのコンゴ共和国に毎年医療スタッフを派遣しており,私はその第3回目の隊で6か月間赴任しました.以降,1972年にはラオス共和国へ3か月,1993年にはJICA(日本国際協力事業団)のプロジェクトで,ケニア共和国へ1年,1996年は大阪大学微生物病研究所の方々とバリ島に約1週間,そして1997年12月には日本国際医療団の仕事でタイ王国へ1週間行って参りました.このような経験を踏まえ,海外医療に関する情報をお示しします.
「海外で医療活動をする」ということを,自分の身において考えられたことはありますか?おそらく,「漠然とした夢としては持っているけれど……」と答えられる方が多いのではないでしょうか.実際,自分が「海外で医療活動をする」というはめに陥るなど,誰も想像できないことでしょう.実は私がそのはめに陥ったのは1967年9月の,私が当天理よろづ相談所病院に就職したその年のことでした.当時,日本はまだ固定相場制で,1ドルの為替レートが360円で,われわれ庶民が海外に出るなどまだまだ夢のような時代でした.そのころ,当院ではアフリカのコンゴ共和国に毎年医療スタッフを派遣しており,私はその第3回目の隊で6か月間赴任しました.以降,1972年にはラオス共和国へ3か月,1993年にはJICA(日本国際協力事業団)のプロジェクトで,ケニア共和国へ1年,1996年は大阪大学微生物病研究所の方々とバリ島に約1週間,そして1997年12月には日本国際医療団の仕事でタイ王国へ1週間行って参りました.このような経験を踏まえ,海外医療に関する情報をお示しします.
掲載誌情報