文献詳細
文豪と死
文献概要
尾崎紅葉(1867〜1903)の本名は徳太郎,江戸の生まれである.明治16年東大予科に入学してから文学グループを組織していたが,有名な硯友社を結成したのは明治18年である.山田美妙,石橋思案,丸岡九華らが加わった.機関誌「我楽多文庫」を出した.最初は筆写回覧本であったが,9号から活版となり明治21年から公売された.
硯友社は,その結社名からも分かるように文章を練り磨くことを目ざしたものであって,そこには文章意識が大きい.文章の添削などを引き受けることを会則にうたっていたのも,そのためである.紅葉もそのメンバーであるから,「我楽多文庫」に連載した「紅子戯語」などにも,その点がよくあらわれている.
硯友社は,その結社名からも分かるように文章を練り磨くことを目ざしたものであって,そこには文章意識が大きい.文章の添削などを引き受けることを会則にうたっていたのも,そのためである.紅葉もそのメンバーであるから,「我楽多文庫」に連載した「紅子戯語」などにも,その点がよくあらわれている.
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