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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生1巻3号

1946年12月発行

雑誌目次

綜説

農村公衆衞生

著者: 高野六郎

ページ範囲:P.177 - P.184

1.農村と都市
 大きく分けると國民は農村民と都市民の二類となる。その間に嚴密な線を引くことは出來ないが,人間の生活は農村的生活環境と都市的生活環境の何れかを持つことになり,それが大よそ半々位であらう。但し農村が都市に近くなりつつあるのは事實である。
 衞生施設は概して都市に於て先づ發達する。日本の都市は衞生施設の點から見ると未だ畳村の域を脱しないやうなのが多いが,それでも密集生活の要求から,捨ておくことの出來ない施設が多少整備されつゝある。例へば上水道,下水道,汚物掃除等である。都市には多くの人口があり,經濟活動が活溌であり,知識の水準も高く,資力もあるから,生活の便利と健康向上のために適當な施設はなし易いわけであるが,社會には爲すべきことが多いから,焦眉の急務でないものは自然後廻しになる。實際の話としては,日本の都市には感服するに足るほどの衞生施設はまだ殆ど見當らない。都市既に然りなのだから,農村に於ける衞生施設は全部が是れからと云つても過言ではあるまい。農村へ行つて生活して見ると,農付の役場で衞生の爲に考へ,農家に於て健康のために考へてることは殆ど無に近いと云ふ状態である。都鄙を通じて梢々徹底してるのは種痘の定期的實施位のものであらう。

原著

ヴイダール反應檢査術式に就て—第2囘報告

著者: 乘木秀夫

ページ範囲:P.185 - P.193

緒言
 第1囘の報告1)に於て,所謂國際連盟法によるウイダール反應術式2,3)と,從來我が國に於て實施され今次厚生省より發表公布せられたウイダール反應檢査指針4)との比較を發表した。
 そこでは,チフスに對する比較研究の一部に止めたので,茲に更に,パラチフスA及びBに就いて取扱い,併せて,類屬凝集反應(副凝集反應)にも言及したい。

本邦肺結核訂正死亡率に及ぼす社會的諸要約の影響

著者: 吉岡博人 ,   良田圭子 ,   日比貞子

ページ範囲:P.194 - P.200

緒言
 殴米諸國に比し,本邦に於ける肺結核死亡率が依然として高率であり,且つ低下の極めて遲々たることに鑑み,この死亡率の背後に横たはる諸事情を科學的に解明することの必要は,絶えず識者により強調せられて來た。しかしそれにも拘らず,之等は單なる懸案に了らざるを得ない事情が伏在してゐた。と言ふのは元來肺結核死亡率の高低乃至増減を左右するものが主として社會的因子であることに基因してゐる。何故ならば,本邦に於ける肺結核死亡率の日本的特徴である靑年結核の高死亡率は,年代的推移について研究せる結果,日本民族の生物學的體質に依るものではないことが明がとなり(1),そのよつて來るところは社會的因子にあると推察され,又た間接的には肺結核死亡率に及ぼす氣候要素の影響について研究せる結果,自然的影響については認められなかつたからである(2)
 しかしてこの社會的因子の探求には,社會經濟に關する豊富なる資料の存在と,之等を驅使し得るだけの準備がなければならない。然るに從來の我國に於ては之等を求めることは極めて困難であり,率直のところ不可能と稱しても過言ではない。しかし,かゝる制約を一應認めつゝも,この課題の科學的解明に一歩なりとも進める爲の試みがなされなかつたわけではない。即ち,既に結核に及ぼす影響に關しては,部分的な外觀的なものであるにしろ,從來多くの研究がなされ,吾々は之等の報告に興味深く接して來た。

論説

豫防醫學管見

著者: 小島三郎

ページ範囲:P.201 - P.205

治療より豫防へ:
 大正の中頃,筆者のまだ年少氣鋭の時,東京朝日新聞の學藝欄に『治療より豫防へ』の題下で3日連載で,謂ふ所の公衆衞生に關し,強く國民に訴へた事がある。日刊紙にはよくある例とて,筆者も江湖の先覺者(良く云へばさうであり,又た觀方によれば閑人或は物數奇人)から激勵の多くと,椰揄の少こしとから成る書面を戴いた。筆者はこの『讀者の聲』を國内有識層の願望と解して,一層豫防醫學に精進するの決意を強くした。戰災で全燒して寄稿の内容を確める途がない今日でも,あの文章の全部を,改めて世に訴へても,もはや陳奮だと嗤はれる筈がないと信ずる程に,我國の公衆衞生の進歩は遲々たるものであつた。遲々たるものではあるが,今更ら公衆衞生の任務などを述べたてる時代ではない。どんな事柄が豫防醫學であるか,どんな事をなすべきかを論議する時ではない。何をなすべかりしか,どんな施策を怠つてゐたかを檢討すべき筈であらう。

農村に指導者出でよ

著者: 川畑愛義

ページ範囲:P.205 - P.207

 "農村に指導者出でよ"デモクラシーの大いなる流れのなかにあつて,しかも私は今日ほど此のさけびの必要性を痛感することはない。
 今まで,農村の生活改善を指導して最も困りぬいたものは,その経濟的ヒンコンであつた。又衞生施策を實施しようとして,ぶちあたる難題もまたやはり農村の經濟的ヒツパクであつたのだ。

論述

感冒の豫防に就て—殊にインフルエンザ豫防

著者: 小島三郎

ページ範囲:P.208 - P.213

1.風邪,熱性炎,流感
 秋の晩くなる頃から冬に,冬から初春に亙り,國民のどの位の割合で,感冒に罹るか。我國に於ける統計觀察の精確なる資料としては,公表せられたものが見當らない。米英あたりの學校工場の例が報告に散見する。普通の生活者は2年間に3囘罹患して,休業臥床すること9日位に及ぶ割合だとある。個人家庭への不幸と經濟的負擔,産業,教育等に及ぼす障碍なども調査したものがある。本稿は此種の記述を省略する。
 俗間の鼻カゼ,ノドカゼ,から「はやりかぜ」迄の一組の上氣道を舞臺とする輕症のもの,呼吸器系全般を犯す重症のもの迄の各種炎性疾患のすべてを,感冒と一先づ名付けやう。鼻炎,咽頭喉頭炎,氣管支炎,アンギナ,扁桃腺炎等も含めて,又たかのCommon Cold と一括せられるもの及びInfiurnza流行性感冒,これを散發性,流行性,汎流行性に分けて考へても,A型B型乃至y型に分けても,ともかくも一切の「カゼ系」疾患を含めて,私はその豫防を説きたい。此種の疾患程豫防努力が覿面に報いられるものはない。此種の疾患程,肺炎に發展し,結核を續發し,國民の生命を脅かす基始病の役をつとめるものも他にはない。

本年流行の痘瘡及び發疹チフスの決算的囘顧

著者: 舘林宣夫

ページ範囲:P.214 - P.221

緒言
 本年は,我が國傳染病史上特記すべき年である。痘瘡は明治41年以來の流行であり,發疹チフスは未曾有の大流行を示し,コレラも亦大正9年以來の流行を來して居る。我々は文明國家に於て,前記三病の如き非文明病が流行しやうとは全く豫測して居なかつたのであるが,本年,之等の病氣が同時に大流行したと云ふことは,海外よりの多數の歸還者があつたと云ふ特殊の事情はあるが,我が國の現在の状態が如何に非文明的であるかをはつきり物語つて居ると思ふ。
 本年の痘瘡及び發疹チフスの流行に關する報告は,未だ完全には集つてゐない現在に於て,本年の流行に關しての決定的のことを述べることは出來ぬが,痘瘡,發疹チフスは一應終熄した状態なので,今迄に集まつた報告を基にしてごく簡單に本年度流行の模様を述べてみたい。

性病豫防に就て

著者: 土肥淳一郎

ページ範囲:P.222 - P.225

 戰爭と性病とが離れ難い關係に有る事は衆知の事實であり,特くに第一次歐洲大戰に於ける性病の蔓延に對しては,各國共之が對策に腐心した所であつて,之に就では原田彰博士が先年「體性」誌上に詳細に述べておられる。一人我國が今囘の戰爭に於てのみ此の事實の外に超然たり得る譯が無く從つて性病豫防對策が重要な問題となつて來る事は言を待たぬ所である。さて此處で性病豫防の眼目とする所は何であるかを考へて見やう。其一つは治療即ち性病罹患者の總てに對して完全な治療を行ふ事であり,今一つは豫防即ち健康者を性病より守り,新患者の發生を豫防する事に依つて國民の健康を保持し社會の福利増進を圖る事にあるが,而も豫防の方法,豫防に對する心構へが從來の如く不徹底,微温的である事は斷然許されない。

紹介

ソ連邦の公衆衞生瞥見

著者: 西村孝四郎

ページ範囲:P.226 - P.231

 10月革命が成功すると,直ちに勞働保護及勞働者保健の布告が發表され,醫療藥局國營,社會保險制度の妊産婦保護其他防疫に關する法令が公布された。翌1918年6月には保健人民委員部が創設されて,ソ連邦の全保健衞生業務が取扱はれることになつたが,此の國の保健衞生行政の目的を一言にして云へば勞働力の確保と云ふべく,其の實施するところは豫防醫學重點主義と申すべきものであらうと思ふ。さすがに勞農ソビエト連邦の名の如く,勤勞者の福祉増進に關する國家の有機的諸施策は,保健衞生の方面に於ても極めて抜目ない方策を以て臨んで居るのであつて,國家建設途上に在る關係から未だ實現不十分のところも有るが,常識的に考へて,まづ理想的と思はれる事柄は概ね實施しつゝある。1919年第8囘共産黨會議で「國民保健に就ては先づ疾病豫防のため廣範圍の保健竝に衞生施策を實施するを要す。

公衆衞生の先驅者・2

William Thompson Sedgwick

著者: 野邊地慶三

ページ範囲:P.232 - P.237

 W. T. Sedgwick(1855-1921)は,公衆衞生學を開拓建設し,遂ひに公衆衞生大學設立の機運を到來させた人であつて,米國の公衆衞生が今日の如く隆盛になつたのは彼れに負ふところが大きいのである。諸國も亦た彼の提言に從つて相次いで公衆衞生大學又は研究所を設け,之によつて其國の公衆衞生水準が急に高められ,國民が近代豫防醫學の恩澤に浴し得るやうになりつゝあつて,夫れ等の諸國も亦た彼の恩惠に浴して居るのである。斯の様な次第でSedgwickは人類の文化史上永遠に記念さるべき存在である。
 Sedgwickは其の人となり教育家として,科學者として,又た一市民として殆んど完壁に近く,私達の師範として仰ぐべき人であつた。私は先年Sedgwick創業のHarvard公衆衞生大學に學んだが,彼れ逝いて3年後であつたので遺憾ながら親しく其の指導を受けることは出來なかつた。然しながら幸にして,Sedgwick氏と風格相通づる所の多かつた其の高弟George C. Whipple,其の學友Edward B. Wilson氏等に師事し,又た彼れの愛弟子Selskar M. Gunnと親しい交渉をもつたので,Sedgwickの人となり,業績を傳へ聞くことが出來た。

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公衆衞生今昔(3)

著者: 高野六郎

ページ範囲:P.238 - P.239

 日本の公衆衞生を展望するには,第一次世界大戰以後今度の世界戰爭終末までの間の事情を知れば,略ぼ十分であらうと思ふ。その間に日本の衞生行政は,少年期から青年期に育たうとしたのである。そして大戰爭といふ變則な刺戟のために,幾分畸形的に伸びかけて結局榮養失調の状態に停頓してしまつたのである。
 元來日本には明治6年の醫制發布まで,衞生行政だの公衆衞生だのといふ觀念が無かつたのだから,長與專齋によつて衞生といふ言葉が創造されても,その言葉の内容が充實するのは容易でなかつた。長與專齋は公衆衞生を發展せしめるには先づ以て良い醫師が必要であるとなし,從つて第一段の事業として醫育の向上と醫師の試驗制度を重んじ,醫學の内容としては西洋醫學を採り,漢法國法の醫術を斥りた。そこで西洋醫學で教育された醫師の數は増加して來たが,醫育機關の基本觀念が本來長與の考へた方向とは段々距れて,醫學校は單に臨牀醫を製造する職業教育機關となり,その臨牀醫の働く舞臺は開業醫を主とし,或は開業醫的性格の公私立病院であつて,要するに醫療收益の多きを競ふ以外に能事なき觀を呈したのである。所謂る良き醫師が輩出し,所謂良き醫療が普及したけれども,國民の健康状態は改善されす,衞生行政施設は格別の實績を擧げたものはない。

公衆衞生學講座・3

小兒衞生學—第1講

著者: 齋藤潔

ページ範囲:P.240 - P.241

總論
1.小兒衞生の意義と範圍
 衞生學の實際的分類に二つのものが考へられる。一つは縦の分類ともいふべきものであつて,授胎から始まつて母胎内の胎兒,次いで出生といふ事實があつて,こゝに乳兒(新生兒を含む),幼兒,擧童,少年,青年,成人といふやうに年齡的區分に依り,その時期の個體及び集團を對象としての衞生が考へられ,他は横の分類ともいふべきものであつて,先天性と後天性とに分ちながらも,主として環境衞生の内容の分類ともいふべきものと,疾病の豫防とである。疾病豫防といへば凡ての疾病の豫防を包含するのであるが,環境と一般の疾病との關係に就ての衞生は環境衞生で取扱はれるので,こゝでは主として細菌擧,免疫學,衞生動物學等を基礎とする傅染病の豫防が取扱はれる。傳染病の豫防を主とする疾病豫防は豫防醫擧ともいはれてゐる。又た急性傅染病の豫防を應用方面では防疫といふ。
 而して小兒を對象とする小兒衞生の内容は,母體の妊娠,分娩,産褥を通じての胎兒を主とする衞生を母性衞生といひ,次で來る小兒期の衞生が狭義の小兒衞生である。學童の衞生を學校といふ環境と結び付けて取扱ふ場合には學校衞生といひ,環境衞生に包含されることゝなる。又た母性衞生は女性衞生とは異り,女性の衞生の全體から見ればその一部分とも考へられるが,胎兒を對象とする場合には小兒衞生の一部門である。

保健所のペーヂ

「警察制度改革試案」を見て

著者: 倉持恭一

ページ範囲:P.242 - P.243

 警察制度改革試案が過日發表されたが,この試案に示された改革の根本方針は,警察の使命を治案の維持,生命財産の保護におくは勿論であるが,具體的には從來の樣な警察制度の過度の中央集權を改めて,地方自治體にも警察事務を擔當せしめて,警察は原則として生命財産の保護,犯罪の豫防檢擧,公安の保持等の本來の任務に專念することゝして,非警察的事務は他に委讓することにしたのである。即ち市に對しては,消防及衞生,風俗警察事務の一部を擔當させ關係法令の執行及取締に當らせる。
 行政警察關係事務中,衞生に關する事務は,此の試案によれば,都道府縣の他の部(警察部以外の)又は市,町,村に於てするものとし,その中,違反取締(罰則の適用)に付ては都市の場合を除き警察に於て之を擔當するものとしてゐる。

最新の文獻

結核豫防の過去と將來—米國にをける

ページ範囲:P.245 - P.246

 Editorial-Tubereulosis Control:Past and Future. Public Health Reports,Vol. 61. No. 27, July 5, 1946.
 1882年,コツホが結核菌の發見を發表して以來,結核豫防及び撲滅に幾多の進展が遂げられた。この鬪ひに於ける最も重要な武器は,1895年の秋發見されたヱツキス光線であつた。1089年に於ける米國の結核死亡の割合は,人口10萬に付き245名であつたが,1904年までに200名に下つた。此の年には僅か6ツの結核豫防對策と,僅か百の結核療養所竝に病院があつただけで,またこれら諸施設のベツト數1萬の中の殆んどは,現今の最低規準ににも達しないものであつた。又たその早期診斷法に關しては信頼すべき方法は全然なかつたのである。1904年,國民結核豫防協會が結成され,且つニユーヨーク,ボストン,フィラデルフィヤ,シカゴ,ワシントン及びケムブリッツチ,マサチューセッツに於いて組織的な結核豫防計畫が開始された。1905年から1915年に互る次の10年間は,療養所による治療と保健教育に於いて意義深い進展がなされた時期であつた。外氣療法,高地及び登山などすらも結核療法に有效であると考へられてゐたが,結核患者に健康的な環境を與へることの一定の試みがなされるに至り,隔離が必要だとされるやうになつた。

「サルモネラ」の近業紹介

著者: 早川淸

ページ範囲:P.247 - P.254

 サルモネラ菌簇の分類型式即ちThe Kauffmann-White Schema或はDiagnostic Antigenic Formulaeの公式的な最近發表は,1939年H. Schütze(London)を議長とするSalmonella SubcommiteeがNewYorkに開催せられ,P. R. Edwards(Kentucky, U. S. A.),E. Hormaeche(Montevideo),F. Kauffmann(Copenhagen),W. M. Scott(London),M. Tesdal(Oslo),P. Bruce White(London)R. St. John-Brooks(London)等の各委員により審議發表せられたのを最後とする。其の後續々各國に於て新Solmonella菌型が發見せられたが,何れも國際的分類型式として取り入れられる機會がなかつた。其の一部は日本に於て,傳研小島・八田兩氏により昭和18年9月「診斷と治療」第30巻第9號誌上,食物中毒菌に就て(サルモネラ最近の研究紹介)として報告せられた。以上の不足の分及戰時中の發見に係る分は全く不明であつた。

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ニユース

ページ範囲:P.243 - P.244

地方ブロツク別保健所長業務研究會
 地方ブロツク別保健所長業務研究會が今回11月1日-2日,北海道東北地區として山形保健所に於いて開催された。山形,宮城,福島,秋田,青森,岩手,北海道に於ける保健所長参集し,厚生省より倉持技官出席の上,指示事項,業務運營状況,研究溌表,協議などの各日程を熱心裡に終始した。
 尚,滿場一致で次の事項が決議された。

情報

ページ範囲:P.255 - P.257

日本帝國政府に對する覺書
疫病防止用供給品竝装置の生産及び配給に關する件(1946年10月11日)
 1.近々將來に,昆蟲,鼠族防止用醫藥品竝に資材はその保管及び配給の爲日本政府の管理に移讓す。右供給品は輸入の基準にて受理す可し。且つ疫病防止用の最小の必要量に充てるため國産の供給品竝に装置を備ふのみを意圖するものなり,從來かゝる趣旨の供給品は疫病的防止計畫に必要の際連合軍が日本の衞生當局に直接配給し居れり,該措置を今囘は日本政府が採る可し。
 2.日本政府は,次項を準備せる首題供給品計畫書をその承認を得る爲,連合軍最高司令部宛用意し且つ10月25日迄に提出する事を指令す。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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