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論述
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死因統計を正確に,そして迅速に知ることは,公衆衞生の見地から見て,甚だ重要なことである。一國,一縣,一保健所管内の死亡數を知り,その原因を知ることは保健行政を行ふ上に,無くてはならぬ數字である。今日まで,これが充分利用されなかつたことは,我國の公衆衞生の發達を後らしてゐた一原因であると言つても過言ではなからう。
我國に於て,死因統計がともかく發表される樣になつたのは,遠く明治8年の昔である。然し明治31年までは,僅かに10項目餘に分類されてゐたに過ぎない。明治32年から明治38年までは人口動態統計の中に,死因統計が含まれてゐたが,明冶39年以後,死因統計として年1囘内閣統計局から刊行される樣になつた。
我國に於て,死因統計がともかく發表される樣になつたのは,遠く明治8年の昔である。然し明治31年までは,僅かに10項目餘に分類されてゐたに過ぎない。明治32年から明治38年までは人口動態統計の中に,死因統計が含まれてゐたが,明冶39年以後,死因統計として年1囘内閣統計局から刊行される樣になつた。
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