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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生11巻1号

1952年01月発行

雑誌目次

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インフルエンザの疫學—最近に於ける世界及我國の流行を中心として

著者: 甲野禮作

ページ範囲:P.3 - P.11

1.「インフルエンザ」の定義
 1949-50年のインフルエンザ流行の際に厚生省で,豫防對策の會議が開かれ,臨牀,細菌の學者防疫關係者が招かれたことがあつた。その時第1に問題に成つたことは,この流行をインフルエンザの流行と呼ぶべきか否かということであつた。インフルエンザという字はスペイン風邪の慘害を思い起させて世上に無用の混亂を招くという議論があり,又GHQとの關係もあつたりして,インフルエンザ樣疾患という呼稱で通そうとする主張が可成り有力だつたが,黒白をはつきりつけろというジヤーナリズムの強力な要求と,日本に於けるインフルエンザ研究のパイオニーアたる小島三郞博士の主張が勝つて,遂に「輕症の」という註釋つきで,この流行はインフルエンザ(以下「イ」と略)の流行と,呼ぶことにきめられた。この流行は後で述べる樣に「イ-B」の流行であることが分つたが,我國としては初めての全國的な流行であつたから,色々な意味で迎えた側の不備があつたりして,非常に教えられることが多かつた。今日では屆出傳染病の名稱も流行性感冒がはつきり「インフルエンザ」と改められ,何人も「インフルエンザ」イクオル「スペイン風邪」と思う者はない。然しながら「イ」の定義は,はつきりしているかというと,決してそうも言い得ない。
 由來「イ」の定義の仕方として3つの方法があると思う。第1は疫學的な定義である。第2は,病原學的な定義である。第3は臨牀的な定義である。

百日咳豫防の現段階

著者: 金子義德

ページ範囲:P.12 - P.18

 百日咳は重要な小兒傳染病の一つとして殊に臨床家によつて久しく研究されて來ましたが,其の間の數々の研究の結果にも關らず,比較的近年に到るまで殆んど見るべき成果を擧げ得なかつたのであります。一方細菌學の領域に於いても,他に未解決のより實要な傳染病があつた爲か,百日咳菌に關する研究は遲々として進まなかつたのでありますが,1939年P. L. Kendrick1)2)が精細且大規模な野外研究の結果,百日咳ワクチン(以下百ワクとします)の豫防効果を,疑問をさしはさむ餘地なく實證するに及んで,百日咳の研究は豫防醫學的,細菌學的,臨床的に漸く活溌になつて來たのであります。今日吾々が參照する百ワクの豫防効果に關する報告の殆んどは,Kendrick以後のものであります。即ちJ. A. Bell3)4),J. A. Perkins5)其他の野外實驗の報告も,數字に多少の相違はあつても,百ワクの豫防効果に關してはいささかの疑いもなく,殊にJ. A. Bellのそれはヂフテリアトキソイドとの所謂混合ワクチンであり,之が若し極く少數に於いて發生するSterile abscessに對してもつと確實な解決が得られれば,小兒の重要な傳染病の二つであるヂフテリーと百日咳が一擧に解決する事になつて其の恩惠は計り知れないものがあると思われます。吾が國に於いても,已にワクチン製造は軌道にのり,多数に對して豫防接種が行われでいるのは喜ばしい限りであります。

公衆衞生協會の歩み—公衆衞生學會との關連を中心に

著者: 吾妻俊夫

ページ範囲:P.21 - P.22

 會員の皆さんから協會と學會との關係がはつきりせぬと種々御質問がありますので其れ等の事を中心として經過を述べたいと存じます。
 話しの都合上熱海會談と云うものから初めます。丹念なる田宮先生の日記録から拜借致しますと其の期日は昭和22年(1947年)4月26日の土曜日から翌27日の日曜にかけた日でありました。尤も其の以前からも何度となく關係の人々が集りを催したのでありますが終戰後の交通や繁忙やは早退遲刻と云う具合で仲々皆なが一度に顔を揃えて會談すると云う事が出來なかつたので,遂に思いきつて遠出して禁足的の會合を試みたのがこの熱海會談であります。其の時に集合された顔振れは田宮猛雄,勝俣稔,吾妻竣夫,小島三郞,古屋芳雄,草間良雄,三木行治,楠本正康等の諸氏で其の夕から種々の角度より公衆衞生學會について論じ合い澤山の意見を出して戴いたのであります。これを懐ろに安眠し翌朝8時を期して取りまとめの會談を初めました。この試は大變成功致しまして能率的に運んで意見の交換にも學會盛上げにも實に順風に帆を上げる段取に進んだのであります。そこで次の機會は東京に於て愛育會を拜借して會場とし,戸田正三,中山壽彦,小林六造,高野六郞等の諸民の列席を願い又各方面の公衆衞生關係の多數の權威者に御集りを願つて更に御意見の開陳をして戴いたのであります。

第23回疫學集談會記事

著者: 松田心一

ページ範囲:P.23 - P.25

 昭和26年10月31日(水)に國立公衆衞生院第1會議室で,恒例の第23回疫學集談會が開催せられ,當日は「所謂異型猩紅熱(泉熱)の疫學」と中心課題として,下記諸氏の研究發表があつた他,參加會員からも興味のある各種の報告があり,熱心な質疑應答が行われ盛會であつた。その概況は次のようである。

時評

牛乳殺菌問題

著者: 豐川行平

ページ範囲:P.20 - P.20

 朝令暮改ということほどだらしのないことはないが,最近その典型的な例があつた。それは所謂牛乳事件である。
 ことの起りは昭和26年5月に厚生省が乳,乳製品及び類似乳製品の成分規格等に關する省令の一部を改正したことに始まるのである。つまり從來は市乳等の處理方法は高温殺菌と低温殺菌の二本建てであつたのを,低温殺菌一本にし,62℃〜65℃30分又は75℃以上15分加熱し,殺菌後1時間以内に10℃以下に冷却保存することを命じたのである。榮養學者は常に加熱により牛乳の榮養價が害なわれていることをなげいていたのであるから,高温殺菌を低温殺菌にすることには何等問題はないと考えて省令改正をしたのは,いささか輕率だつたといえよう。反對の火の手は先ず業者からあがつたのである。彼等にいわすれば,高温殺菌から低温殺菌に切り換えるには大變な費用がかかる。大規模の業者なら實施できるかもしれないが,小規模の業者は借金するか永年の家業を放棄するか,何れかであり,我々を路頭に迷すものだというのである。小企業者の多い業者だけに,この反對は至極もつともである。一方,農林省も,牛乳などの生産はわが省の管轄であるのは一言の挨拶もなくこんな惡法をつくるとは何ごとだというわけで,いきり立ち遂に,7月の臨時國會で議員からつるし上げに會い,厚生省も餘程困つたようである。

研究報告

流行性インフルエンザの疫學的性状について

著者: 操坦道 ,   金久卓也 ,   木村光雄 ,   加地正郞

ページ範囲:P.26 - P.32

 1.
 インフルエンザはその疫學的性状により3型を區別することができる。第1の型は20-40年位の不定の週期で世界的大流行を來し,その性状は極めて惡性で死亡率も高い。之を汎發性イ,或は世界的流行性イと呼ぶ。最後の流行は1919年に終つており,當時スペインかぜと呼ばれた。その後現在まで惡性型インフルエンザの流行は見られない。
 ところがその後も世界各地で1-4年の不定の間隔でやはりイの流行が繰返されている。これが第2の型である,流行性イであるが,この型のものは汎發性イに比較して著しく軽症であり,罹患者も少く,死亡者も殆んど出ない。イ・ビが初めて分離されたのが1933年のロンドンの流行においてであり,一方1921年以後は汎發性イの流行を見ないので,實のところ汎發性イの病原は不明なわけであるが,流行性イが何らかの條件によつて時として猛威を極めるのであろうというのが一般の抱いている感じである。流行性イの病原としてはA及びBビの2型が早くから知られているが,1947年のアメリカの流行でA型が初めて證明され,最近C型に分類さるべきものも登場して來た(イ)。

日本住血吸虫に關する研究(Ⅲ)—家畜特に馬の皮内反應に就いて

著者: 田中利男 ,   新井照雄 ,   佐藤亟 ,   田嶋嘉雄 ,   横川宗雄 ,   佐野基人

ページ範囲:P.32 - P.35

 日本住血吸虫症の診斷は,その早期發見と云う事が最も重要であるが,これは甚だ困難な問題である。即ち潜伏期の症状は必ずしも一定しておらず種々であり,又虫卵も糞便内に常に出現するとは限らないから,例え檢便の結果が陰性であつたからと云つて,本症を否定することは出來ない。そこで本症の診斷方法として,免疫學的方法が注目され始め,多數の實驗がなされている。それらの中でも,皮内反應が最近では特に注目されている樣である。本症の診斷に皮内反應を最初に試みたのは,井上(1951)であるが,その後,Mayer and Pifano(1945),Oliver-Gonzalez and Pratt(1944),Wright,Bozicevich Brady ann Bauman(1947),森田,吉村,齋藤,(1951)その他多數の報告がある。Wright等によれば,日本住血吸虫の成虫を抗元として使用した場合本症流行地で感染の機會にさらされてから6カ月以内の兵隊達では滿足すべき成績は得られなかつたが,慢性の例即ち流行地原住民に就て行つた實驗では糞便檢査成績と全く一致したと云つている。
 所が森田(1951)等の報告に依ると,森田等の方法では患者及び兎,山羊等に就ての實驗から患者では,發症後30日餘即ち,感染後60日餘,家兎では感染後35日前後,山羊では40日前後を經て陽性反應を呈すると云つている。

傳染性下痢症の疫學的考察

著者: 操坦道 ,   山田弘 ,   西村勇 ,   高橋明利

ページ範囲:P.35 - P.39


 本症は特異な水樣下痢を主訴とするビールス性疾患であつて,昭和23年以降我國各地においてその流行が注意される樣になつた。1)2)3)
 私共も昭和23年福岡縣で始めて本症の流行を經驗し,篤志家を募つて感染試驗を行い,病原體がビールスであることを確認し,病原並に臨床像その他について觀察を行つた4)。その後も全國各地に本症の流行が繰返されており,多くの研究者によつて詳細な報告がなされている。福岡縣内でもその後昭和24年,26年に本症の流行があり,私共は縣衞生部,現地保健所及び現地町村の方々の熱心な御協力を得て,その疫學的調査を行うことが出來た5)。他方私共の意圖をよく理解して呉れた本學醫學部及び專門部學生並びに一般の篤志家に對して接種試驗を行い,それが傳染性下痢症の流行であることを確認するとともに,それの臨床像,免疫性本ビールスの抵抗性等について檢することが出來た。本症の疫學については既に多くの研究が發表されているが,6)こゝではたゞ私共が今迄に得た成績にもとずいて,二,三の疫學的考察を試みてみようと思う。

勞研式塵埃計による塵埃標本作製法の改良について

著者: 酒井恒美

ページ範囲:P.40 - P.41

I.緒言
 勞研式塵埃計による塵埃計測に當つて,その操作法の如何が計數値に多大の影響を及ぼすことが多くの研究者によつて指摘されている。石川,江田兩氏1)は塵埃粒子を「カバーグラス」に吸着せしめる迄の操作を詳細に檢討し,松藤氏2)は照明方法,顯微鏡の擴大率,光源照度の計數値に及ぼす影響に就いて報告している。而して顯微鏡の照明方法としては,暗視野装置を用いて塵埃を數えるのを標準にするのがよいと松藤氏3)も述べて居り,又現在我が國に於て最も廣く行われている方法であろう。然しながら從來暗視野による照明法と呼んでいるものは,明確な指示がなく極めて曖昧なものでなかつたろうか。
 型の如く製作された塵埃標本に於ては,塵埃粒子は「スライドグラス」の上面から紙「リング」の厚さだけ空氣をへだてゝ上に位する。而して平面鏡によつて反射された並行光線は晴視野「コンデンサー」によつて開口率1.1以下の光線は制限され,「コンデンサー」を通過した開口率1.1以上の光線は空氣の層に至つて全反射される。從つて從來の塵埃標本を以てしては全く正規の手續きによつて嚴密な暗視野照明法を行うことは出來ないことになる。この點に關しては松藤氏6)もMikropolychromarの使用に際し標本を裏向けにすべきことを指摘しているが,暗視野装置の使用の場合も全く同樣のことが云える筈である。

作業環境の結核發病及び結核患者に及ぼす影響に關する研究—第1報 職場内における結核患者及び結核發病者の分布について

著者: 庄中健吉 ,   重松逸造 ,   林治

ページ範囲:P.41 - P.43

 結核患者の職場轉換の基準を研究する目的で,われわれは現在工場從業員を對象として,作業環境及び作業内容が結核の發病及び進展に及ぼす影響を追求觀察しているが,こゝではその基礎調査の一つとして行つた工場從業員に對する結核檢診成續から,2,3の分析を試みた結果について觀告する。
 對象:横濱市内にある某造船工場從業員2,943名,某製鐵工場從業員4,117名,計7,060名である。女子は少數(計約400名)のため,こゝでは性別にわけた觀察は行つていない。

醫藥随想

紅茶の後

著者: 別天幸兵衞

ページ範囲:P.19 - P.19

 戰争中の話である。閑暇を得て孫子呉子などの兵法書を讀んで,その説く處が悉く當時の日本軍の姿に圖星をあてゝ居るのに驚き嘆き且つあきれた事であつた。どの篇を讀んでも,何とかの軍は勝ち,何とかするものは必ず敗けるなどゝ説いている。その必ず敗れ去ると斷定しあるような状態と行動とが,當時の日本軍と日本人にあつたのである。研究所の食堂で,私はいつも此事に論及し私の豫言めいた所論には敗戰主義の消極論として僚友の共感と顰蹙とを買つたものであつた。
 戰敗れて茲に6年,つらつら世相國情を察するに,一つとして國運の隆盛を期待する何等の徴候も見當らない。朝には貪官汚吏餘りにも多く,廉官清吏は片隅に追い込まれて,腕を拭いて只嘆いている。街には惡商詐漢のみ横行し,田には惰農,家には妖婦,どこを眺めても,正直者は馬鹿をみ狡猾漢が富み榮えている。

公衆衞生學教室めぐり

東京慈惠會醫科大學

著者: Y生

ページ範囲:P.44 - P.44

 國電新橋驛から徒歩で約10分,愛宕山(昔の放送局のあつた處)の東麓に東京慈惠會醫科大學を探訪子が訪れたのは,當教室が出來て滿5年も過ぎた11月下旬の或る日であつた。
 都心とは思えぬ靜かな處で,南北病棟にはさまれた中央に學校があり,公衆衞生學數室は本館3階に衞生學教室と並んである。もと解剖學教室の一部を讓受け使用しており,手狹なので現在屋上を改築して實驗室を増設していた。

保健所便り・10

郡山保健所

ページ範囲:P.45 - P.46

 名にしおう,磐梯山は,どこにあるのやら,さつぱり見あたらない。朝まだきの郡山驛で,見つけたものは,保健祭りの看板を兩側にたてた,オート三輪車だけだつた。保健所新築一週年紀念とかで,この3日間,保健所祭りをしているのだという。うまい時に,とびこんだものだと,心でほくそえむ。
 福島縣は,今年,赤痢對策のモデル地區というので,その防疫にはりきつた。赤痢患者が出れば保健所のオート三輪車がつつ走しつていつた。驚ろいたのは住民である。保健婦の訪問にさえ「保健所の人にきてもらう保險には,まだ入つちやいない」というような地方なのだ。保健所の車がくると,病人をひつさらつてゆく,という噂がぱつと擴がつてしまつた。橋衞生部長のところに「あまり保健所の車を走らせてくれるな。村民が保健所をこわがつて困る」と申し入れてきた村長さえあつた。

海外文献

ストレプトマイシン,ペニシリンの作用/アチドージスと下痢,糖分缺乏

ページ範囲:P.11 - P.11

機序
 これらの抗菌性物質の作用機序は幾多の學者が努力しているが,仲々本態をつかめないでいる。それらの進展状態をしるすと次のようになるが,それらの事實が見つかつたからと云つて直ちに作用の本態だということにはならず,問題は今後に殘されている。
 ストレプトマイシンは核酸と結びつくことが分つている。結核菌の實驗で酵素をつくる母體に結びついて,酵素の産生を妨害するが,一度つくられたものには影響がない。これは一説には核酸の産生を妨害するためとも云われているが,一方diydhroxy benzene誘導體で阻害がなくなるので,その間の關連が問題である。細菌の種類によっては醋酸の蓄積をおこし,三炭素環の酸化の阻害が見られる。又一説にはフマル酸の代謝を押えるといわれ,フマル酸や焦性葡萄酸の高濃度ではストレプトマイシンの阻害を押える。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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