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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生13巻6号

1953年06月発行

文献概要

海外文献

アメリカ・保健省の創設

著者: 内野仙一郞1

所属機関: 1厚生省保険局庶務課

ページ範囲:P.66 - P.69

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 1953年の5月のはじめごろ,アメリカに「保健教育及び福祉省」ができた。初代の長官は,ホビー夫人(Mrs. Oveta Culp Hobby)である。女性の大臣としては,フランシス・パーキンス夫人に次ぐ2番目に当る。この新省H. E. W. は周知のように元の社会保障庁(Social Security Agency)が昇格したものであるが,庁の機構の雄大なことから,内容的には,すでに省的存在であつたと云われている。即ち新省の予算は1953年度において,10億7千万ドルと云う尨大なもので国防及び大蔵の兩省を除けば,最大の予算をもつものであり,スタツフの数も3万数千人に及んでいたのである。保健関係のための主管省としての保健省は,オーストラリア,ニユージーランドよりは古くはないが,イギリスでは既に1919年,国民健康保険National Health Insuranceができたときから仕事をしつづけており,いわゆる一流の文明国の中では,アメリカの保健省が最も遅い出現である訳である。健康を保険する制度,或は医療を保障するプログラムを国の法律で規定していないアメリカの実情が,この国における保健省の創設を遅らせたのであろうか。その裏を云うと,健康保険制度を樹立するために保健省ができたのであろうか? その答えは「No,」であるらしい。
 この間の事情と初代長官ホビー夫人のプロフィルを,いささか素描してみよう。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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