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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生15巻5号

1954年05月発行

文献概要

隨筆

ヂフテリアに挑んだ人達—エールリツヒとベーリングの生誕百年に当つて

著者: 高橋功

所属機関:

ページ範囲:P.32 - P.34

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 1882年結核菌を発見したローベルト・コッホは更にその翌年コレラ菌を発見し,細菌学の大御所的存在となり,ベルリンのシューマン街のコッホ研究所には,ドイツ国内は勿論のこと国外からも若い研究家達が集まり,そこはまるで医学徒の聖地メッカの感を呈していた。フリードリツヒ・レフラーもその傘下に集つた1人であつた。
 レフラーは1852年に生れ,1874年にウュルッブルク大学を卒業した。卒業論文は「ヂフテリアの流行に就いて」という題であつた、軍医になるつもりだつたが,コッホに認められて思い止つて衞生技師となり,次いでコッホの研究所に入つた当時ベルリンに於てさえヂフテリアの死亡率は50パーセントを越えてい,子を持つ親達の恐怖の的であつた。1883年にスイスの医師エドウイン・クレブスが,ヂフテリアで死んだ子の咽頭粘膜から見なれない菌を発見した。しかしこれをヂフテリア菌であることは証明しなかつたが,翌年レフラーが動物実験によつてその正体をつきとめた。こうしてヂフテリア菌は1884年に発見され,兩者の名誉を重んじて一名レフラー・クレブス菌とも呼ばれることになつた。ただ,この際レフラーは,ヂフテリア菌は罹患粘膜に必ず発見されるが,この局所症状よりも寧ろ心筋麻痺が直接死因であることに注目し,その点を記載しながら,これ以上を追求しなかつた。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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