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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生16巻2号

1954年08月発行

雑誌目次

特集 赤痢(Ⅱ)

赤痢の疫学

著者: 松田心一

ページ範囲:P.1 - P.18

まえがき
 わが国に於ける赤痢の流行は依然として衰兆を示さず,なおその勢をほしいままにしている。筆者はいくたびかその禍の大きなことと,それを防ぐことの重要なことを説き,当局者もまたそれに対処するため万策を傾けているが,まだ見るべき成果をおさめていない。私達は防疫上はもとより,公衆衞生上の当面の緊急な課題として,1にも2にも赤痢対策をとりあげることが至当であり,またそうでなくてはなるまいと思う。そのことは第1表を見れば立ちどころに了解出来る筈である。そこで筆者は疫学的な見地から,もう1度あらためて赤痢を見なおし,それに因つて赤痢防疫対策の正しい拠り処を得ることに資したいと考える。

疫痢の疫学

著者: 山下章

ページ範囲:P.19 - P.22

 病原論的根拠にもとずいて疾病を分類することは或は最も正当を得たことかも知れないが,臨床的所見を離脱した病名というものも実際上の立場からは意味が乏しくなつてくる。
 疫痢の場合にあつては,特殊病原菌説或は小兒重症赤痢説等諸学者の間にいろいろの説が行われてきた。また最近では疫痢の成立には必ずしも赤痢菌の存在を必要としないという立場をとる学者も少くないようである。しかしながら今日の一般医学常識では疫痢とは特異な症候群をもつた赤痢の1型と考えられている。そこで赤痢の疫学における伝染源,伝染経路の問題は疫痢の場合にも共通し得るものと解している。ただ欧米では多少脳症をあらわす重症赤痢の記載はあつても,われわれのいわゆる疫痢に適合するような報告は甚だ稀であり,殆んど日本の小兒に限つてかかる病型が頻繁に見られるという疾病地理学上の特異性からみても,病源体に対する個体の特殊な反応即ち疫学でいわゆる感受性の問題は赤痢とは別個に考えるべきであろう。このことは疫痢本態の究明に来朝したDodd等(1947年)の刺戟もあつて,このところ生体病理の面から研究が活溌に続けられているが,問題が体質とかこれに関連して栄養,嗜好,気象,風土等というようなことになると結論は甚だ困難のようである。従つて本稿ではそれらのことからしばらく離れて,東京地方における疫痢の流行状況について少しく検討を加えて実際防疫の参考に供したい。

細菌性赤痢及び疫痢の病理解剖

著者: 足立平

ページ範囲:P.23 - P.27

I.緒言
 臨床上赤痢症状を呈し,剖検に際して腸管に所謂赤痢様病変を認める疾患は種々ある。即ち細菌性赤痢の外に原虫(Aamoeba・Balantidium・Trichomonas)性赤痢,蠕虫(日本住血吸虫)性赤痢,結核,金属化合物中毒(砒素・水銀・昇汞・蒼鉛等)或は尿毒症の際に見られる。然し赤痢菌の各種の菌型,菌種が発見されるに及んで流行性赤痢の診断は病原菌によつて範囲を限られ,他の類似疾患と区別されるに至つた。更に本邦では小兒にみられる中毒症状のつよい特殊の疾患,即ち疫痢からも赤痢菌が証明されることが多い。

疫痢の治療

著者: 内山圭梧

ページ範囲:P.28 - P.31

 疫痢の治療については従来多数の術式やら方針などが発表されており,その治療成績も報告者により甚だしい差がある。而して甲の報告者が宜しいという方法を乙の人が追試をすると仲々一致した成績が得られないというのが実状の様で,現在に於てもすべての人の見解が一致した治療方針が無いと云つてもよいのではないかと思われる。今から30年程前にヒマシ油と洗腸とが採用され,医者にかかる迄に先ずヒマシ油を与える様にと注意宣伝され,その風習は最近まで持続し小兒が発熱,下痢等あれば早速ヒマシ油を投与することが俗間に行われておつた様である。当時の疫痢の致命率は50〜70%にも及ぶ高いもので正に子供の命取りともいうべきものであつたが,その後間もなくこの様な治療法に対する批判が現われて来,先ず洗腸無効或は却つて有害だという説も出て来て,この方は割合に早く行われなくなつた。その代り食塩水の皮下注射が流行して来たが当時はまだ今の様に脱水症状とか電解質とかいうことは問題にされず,水分の補給は専ら毒素を稀釈して体外に洗い出すということと循環障碍に対する対策として用いられたのである。之と相前後して5%葡萄糖液,リンゲル氏液等も広く使用される様になつた。

疫痢に関する諸論爭

著者: 森重靜夫

ページ範囲:P.32 - P.36

1.疫痢という名称
 疫痢という名称は既に支那明朝時代の医書に記載せられ流行性小兒下痢症を総括したものであると云われ,我国に於ても平安朝時代から用いられた「はやり痢」又は「はらやく病(腹疫病)」から出発して疫痢という名称ができたものと云われている。我国の中でも名古屋地方では「はやて(颶風病)」と云い,熊本地方では疫痢と云い,又福岡地方では急症と云われているが,何れも流行性の小兒下痢症を総称したもので,今日の赤痢を含むものと解せられる。然るに明治31年伊東祐彦氏が疫痢の病原体を分離したと発表以来,多くの学者が病原体の検索に努力して次々と発表が行われその結果として赤痢疫痢別種説と赤痢疫痢同種説が現われ,後者の説では疫痢の病原体は赤痢菌であるから,疫痢という名称は学問的には不適当で赤痢と称すべきであると主張し,これに賛成する学者も多く,一部には医学上疫痢という名称を抹殺すべしと唱える人もあつた。然し疫痢という名称は,それが学問上では独立した疾患ではないとしても,俗間広く且つ深く浸透した語で,一部の人が疫痢症状を呈する患兒の診断に「赤痢」といつても巷間では直入し難いし,また赤痢の中の小兒に特有な劇性型を疫痢と云うことが早わかりというようなことから今日も疫痢という語は日常一般に使われている。

赤痢の衛生教育

著者: 金光克巳

ページ範囲:P.37 - P.40

 赤痢予防において予防教育は予防対策として最も重要な地位を占めており,吾々赤痢予防に関係するものとしては,此処数年間常に予防教育の必要性を強調して来た,此の間にあつて,教育技術面も専門的に研究され,今や衛生関係者にして衞生教育の必要性を説かざるものなしといつた発展振りである。
 然らば赤痢予防において如何なる効果をあげたか,又赤痢予防には具体的に如何に衞生教育を行つたらよいか,という質問に対しては明快に解答することは仲々容易でないだろう。勿論部分的には,衞生教育活動によつて,非常な成果をあげたと考えられる事例は少からずあるが,全般的に見て何となく漠とした弱さを感じさせるのが現状ではあるまいか。

赤痢の衞生教育について

著者: 隆文雄

ページ範囲:P.41 - P.43

 病気になつて,初めて健康の尊さを知つたと吾吾はよく聞くが 最早や赤痢は大きな国民病の一つとして毎年々猛威をふるつているが,日本人にとつてはそれ程恐ろしいと思つていないし,当りまえのようなマンネリズムの傾向にあるように思われる。手を洗い蠅を防ぎ,一寸おかしいと思つたら,早く医師に診てもらう,他人には迷惑をかけないようにすると,言つたような理窟を知らない人は,殆んどないだろうが,実際には,多忙と世智辛い世の中に,どうにかこうにか生活しているのでは,色々と経済的に面白くなかつたり,努力と言う厄介が伴うので,面倒になり,色良い反応と,これを実践するだけの意慾と協力心は仲々出てこない。つまり赤痢予防は,これらのことを良く実践してくれるか,くれないかに関係するので,民衆の生活意識の中からこの意慾と協力心を引張り出し,実践に導いて行くのが,私達の目標ではあるが,誠に容易ならぬ難事業である,その意慾を駆り出すのには衞生教育以外に方法はなく最も効果が大きく,期待する所大である,赤痢予防には多くの方法はあるが,私は,患者の早期発見,手洗の励行,衞生教育の徹底,をとりあげ,赤痢の防遏に対する衞生教育の重要性を強調したい。しかし赤痢の衞生教育は,知識を与えることではなく,実践に導くことである。

赤痢大流行史

著者: 宗像文彦

ページ範囲:P.44 - P.48

 赤痢は我が国に土着している伝染病の1つであつて,温湿な気候風土,日本人の食生活のあり方,日本式家屋の構造或は日本人の生活様式又は習慣等々,赤痢伝播乃至は流行に都合のよい条件が揃つているので,年々少なくない赤痢発生があることは,伝染病統計を見るまでもなく何人でも知つているのである。従つて赤痢の発生があつても,日本人の間では,さ程重大な事柄が起つたと考えないような心理状態があるのではなかろうか。現今我が国よりも高い水準の文化生活を享受している欧米各国では,赤痢のごときは起り得べからざる疾病であると考えているのに比べて,誠に残念な現象というべきである。
 赤痢を伝染病の1つとして予防対策を講ずべきであるという考えは,明治13年に制定された伝染病予防規則の中に赤痢が伝染病として明記され,更にそれ以前明治8年大阪府死亡並に流行病取締規則にも取締対象となつている事実からすれば,制度としてはかなり古くから具体化されていたと云えよう。しかし赤痢が真に伝染するものであると考えられたのは明治の極く初期の頃であつて,それ以前は伝染病としての取扱は全く受けていなかつたのである。

随想

赤痢とたたかう思い出ばなし

著者: 衣川純三

ページ範囲:P.60 - P.61

 赤痢防疫の思い出として埼玉県と徳島県の巻をとりあげてみよう。
 先ず埼玉県の巻と云うのは昭和22年だつたと思うが,9月13日来,本土に襲来したカザリン台風にともなう,豪雨のため関東一帯の河川は大増水となり,ついに利根川は15日夜茨城県中川村附近で,16日埼玉県栗橋附近で決壊,関東地方は明治41年来の利根川大決壊以来の大水害を招いた時のことである。厚生省では直ちに水害対策本部を設け,緊急会議が終日催されたが,私は当日予防局防疫課勤務であつたので防疫班を編成し,茨城県方面に出動するよう命ぜられた。防疫藥品を主として,救急資材を自動車に積載して県庁所在地である水戸市に急行したのだが,目的地に到着したのは夜相当更けた時だつた。

井口乘海先生の思い出

著者: 山口與四郞

ページ範囲:P.62 - P.64

 井口先生の思い出について,私が旧部下として故参であると云う理由から何か書いて欲しいと依頼があり引受けたが,私は生来文章が下手で先生のことについてよく言いあらわし得ないばかりでなく,却つて先生の徳を損うようなことがありはせぬかと憂える次第である。同僚梶原,栗田,小島君等の助言を得て思い出るままに書き綴つてみた。

小島三郎先生のプロフイル

著者: 八田貞義

ページ範囲:P.65 - P.67

 「赤痢の大先達,志賀,二木,箕田の三先生はいずれも御健在でおられる。私ども後輩はこの三先生の御在命中に日本国内から鮮かに赤痢を殲滅して御覧にいれなくてはならない。たとえ赤痢患者をただの一人も発生しないようなすばらしい成績はあげられなくとも,今後は毎年全国の赤痢患者を集計しても5000名以上には昇らない。死亡者はただの一人もいないという赤痢防疫対策の黄金時代を早く招来しなくてはならない。これが私の悲願である」と烈々たる気迫を吐露される熱烈な赤痢挑戦者小島三郎先生は,文字通り消化器系伝染病(食物中毒症を含めて)の予防撲滅を一生の事業として挺身されている。したがつてこれに関連する細菌(シゲラ・サルモネラ),疫学,消毒,上下水道を含む一切の環境衞生に関する研究業績は幅も広くその数も甚しく多い。たとえ「赤痢と先生」にその範囲をしぼつてみても書くことは山ほどにある。かくて限られた紙数内では,勢い断片的な記述に止まることを予めお断りしておかねばなるまい。

統計資料

赤痢の統計資料

著者: 蟻田功

ページ範囲:P.49 - P.59

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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