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雑誌目次

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公衆衛生19巻4号

1956年04月発行

雑誌目次

特集 學校保健衛生(2)

学校医,学校歯科医,学校藥剤師の問題

著者: 水野俊夫

ページ範囲:P.1 - P.4

学校医の発達
 学校衞生の発達は,学校医のあゆみがそれを如実に物語つているといえるのである。学校医なる言葉が始めて用いられたのは1877年Ellinger(ドイツ)の提唱したSchularzt(学校医)であるといわれている。従つて,学校医設置はドイツにおいて始めて実現し,教育活動と並行して健康管理が医学者によつて行われるようになつたのである。当時の学校教育のあり方は,各国とも知育偏重の傾向が強かつたのであるが,国家の要請する次代国民の育成は,心身共に健康な者であることはいうまでもない。
 わが国における学校医等の発達の歴史は,1891年文部省普通学務局に学校衞生調査のため嘱託医を置いて,全国学童の身体状況の調査をしたのが学校衞生の発祥である。しかし,実際に学校医が設置されたのは,1893年の東京市と神戸市が最初である。次いで,1897年に学校医設置令並びに学校医職務規程が公布されてから,漸次全国各地において学校医が設置されるようになつた。

養護教諭の職務

著者: 千葉たつ

ページ範囲:P.5 - P.8

養護教諭の制度
 養護教諭は,学校教育法(昭和22年3月29日法律第26号)の規定によつて,小学校,中学校,高等学校,盲学校,ろう学校及び養護学校に設置される教育職員である。小学校,中学校,ろう学校,盲学校及び養護学校には養護教諭を設置しなければならないことになつている。高等学校では養護教諭を置くことができるようになつている。しかし,高等学校では高等学校設置基準によつて養護を掌る専任職員をおかなければならないことになつている。

学校保健主事の問題について

著者: 八田宏

ページ範囲:P.9 - P.12

学校保健主事設置の意義
 戦前の学校衞生といつていた時代には,学校の事務分掌では,衞生主任があつて,大てい,女子や老年輩の教員が当つていた。そしてその主たる仕事は,学校身体検査の計画とその統計の処理であつて,教務や訓育主任に較べて,いわば閑職といつたのが一般の状況であつた。学校保健主事という名称が始めて世に出たのは昭和24年の「中等学校保健計画実施要領」において「学校保健指導の編成及び管理」が示されてからである。この学校保健主事が生まれたについては,学校教育に於ける健康の考え方の進展によるものであることを知らなければならない。現在の教育の在り方を示すものは,昭和23年3月に公布された教育基本法であるが,その第1条に教育の目的として「教育は………心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と明示している。即ち教育即健康の新教育において,ただ単に衞生管理の必要上事務分掌としてあつた衞生主任から,強力な保健主事という職制を要求したことは当然のことである。従つて現在の学校保健主事を昔の衞生主任の名称が変つた位にしか考えない人は,現在の学校保健ばかりでなく,学校教育の在り方を知らない人といわなければならない。

学校保健と公衆衛生

著者: 宮坂忠夫

ページ範囲:P.13 - P.17

〔I〕
 「発疹チフスはしらみから」というスローガンが巾を利かせていた数年前,まだ占領下にあつた時代のことですが,こんなしらみ議論がまじめに行われたことがありました。
 この間進駐軍の人が学校に来て,たまたま子どもの頭にしらみをみつけたので大さわぎになつた。おかげで,こんな非衞生では,と大目玉を頂戴し,しらみがいるとどんな病気になるかなどと試験をされたあげく,数日中にまた来るから,それまでに全部しらみ退治をしておけ,と云つて帰つて行つた。そこでやつとのことでDDTをさがし,子どもの頭にまいて退治したのはよかつたが,一時居なくなると思うとまた出て来てキリがないよくよく考えてみると,これは子どもの家庭にしらみがいるからで,これではいくらたつても退治できる筈がない,保健所がしつかりしてないから学校まで迷惑する。このようなことが学校の方から云われました。

学校保健と保健所

著者: 高塚太吉

ページ範囲:P.19 - P.20

 先日台湾政府の巫さんという方が見えられて,いろいろ学校保健のことについてお話合いをしたが,その時の会話の中で一つだけ非常にうらやましいと思つた事があつた。それは中央の政府から末端迄,教育庁関係と衞生処関係官庁の間に同一人の医師たる技官が兼務して保健教育の責任者となり,すべての計画に関与しているという話であつた。そして巫先生の肩書きも教育庁督学兼衞生処視察といつたような状態である。処で日本の現状はどうであろうか。厚生省,県衞生部,保健所の流れと,文部省,県教育庁,市町村教育委員会の流れとの間に横の連絡が殆んどなく,市町村の教育委員会は保健所を利用することを知らず,保健所は学校の保健教育のカリキユラムに全然タツチしないので少しもその実体を把握していない。しかも目的は一つの保健衞生の知識の向上にあるのだから全くやりきれないと思う。私は試みにある有名な出版社から出ている学校保健の指導資料をひもといてみた。「結核をなくするいめにはどうすればよいか」という単元の説明,15頁の間をくまなく眺めまわしてみたが,学習生活の中の結核菌の殺菌の項と感染経路の項に,僅かに保健所等と出ているだけで,結核予防の重大な使命,殊に社会の結核対策についての項等には一言半句も保健所に触れていない。要するにその書籍の筆者グループは保健所を単に細菌検査所位にしか理解していないのではないかと疑いたくなる。併しその責任の一端は保健所側にもあると思う。

学徒の体位の現状

著者: 久保秀史

ページ範囲:P.21 - P.25

 56年間の記録。なに事によらず,一つことを56年も続けるということは容易なわざではない。
 この大事業が,しかも日本の全学徒についての記録が,56年も続いているというのであるから,まさに世界的な一大資料である。この貴重な資料こそ,学校身体検査の統計である。

学校における健康教育の現状

著者: 荷見秋次郞

ページ範囲:P.26 - P.31

1.学校における健康教育の意義
 まず,最初に健康教育の定義をはつきりさせてから,次に現在の小,中,高等学校において実施されている実情について述べることとしよう。
 学校における健康教育と類似の言葉に,保健教育,衞生教育などと呼ばれているものがある。厳密な言葉からは,それぞれ幾分の差はあるようであるが,アメリカの「Health Education」という言葉を,日本語に表現している限りにおいては,大体同意語とみて差支えないと考えている。

学校における安全管理と安全教育

著者: 高梨湛

ページ範囲:P.32 - P.37

1.学校安全
 全国安全連合会が28年度の全国安全大会において大会の決議として学校における安全教育の重要性を認め,このことの実施方を文部当局に建議したことと,29年度の全国安全大会において学校安全の重要さをさらに確認したことはわれ等の記憶に新なことである,昨年暮には日経連が学校における安全教育の重要性を力説した意見書を各方面に配布しているが,わが国の学校安全が漸く識者によつて認識されてきた結果に外ならぬ。わが国の安全活動が常に同じ半径内での活動に止まり活溌の発展のなかつたことは,わが国民の年少時代における安全教育の欠除と職業教育の内容として安全教育のないことに起因するとも云われているが,あながち否定のできないことであろう。学校安全(スクール・セフテー)の言葉は元来われわれの持合せなかつたことであつた。従つてその内容とすること柄についても同様にわれわれの持合せなかつたことであつた。アメリカにおける安全の先覚者は,つとに学校安全の重要さを認めて努力を払つている。即ち1919年から1917年にわたつて北米安全協会(NC)は産業災害防止の間接的手段として漸次増加する交通量によつて生ずる交通災害防止の見地から学校安全問題がとりあげられ合議された。

学校給食のあり方

著者: 中村鎭

ページ範囲:P.38 - P.44

はじめに
 「学校給食のあり方」とは学校給食の理想図を画くことにあるのかともおもつたが,夢は一応おあずけにして,わが国の学校給食の発生経過および現況を略述して,そこから「あり方」についての御賢察をお願いしたい。
 粗筆しかも論旨飛躍,御理觧に困難と知りながら敢て御判読を乞う次第である。

学校歯科衛生

著者: 竹内光春

ページ範囲:P.45 - P.51

健康な歯牙口腔の必要性
 歯科の衞生が問題となるのはどんな理由だろうか。
 まず「個人における」健康な歯牙口腔の必要性を一応ふりかえつてみよう。

へき地の学校保健対策について

著者: 杉浦守邦

ページ範囲:P.52 - P.55

1.まえがき
 1年の3分の1乃至4分の1近くを雪にとざされ全く交通のとぜつするへき地にある学校の保健状態は想像も出来ないものである。教師は3カ月分の俸給をもつて山に入り,電灯もなくたださえ暗い所へ雪がこいをして更に陰欝な教室で,児童と3カ月間全く文化と隔離した生活を送つている。文化の恵まれない所は医療にも恵まれない。学校の児童生従がけがをし或いは高熱にたおれたとしても,神がかりな祈祷か富山の薬売りのかつおいていつた売薬しか頼るものとてない。重症となつて手に負えなくなつたとき,そりによつて夏往復した道とは全くちがつた尾根の道を半日もかて運ばれていかなければならない。
 このような環境にあつては生命はややもすれば軽視される。そして向上心は麻痺して安易な宿命観に陥るところとなる。貧困が更に人を卑屈にし現状の改革は非協力という抵抗で前進しない―教育に対しても,保健に関しても関心は至つてうすい。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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