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文献詳細

雑誌文献

公衆衛生2巻5号

1947年10月発行

文献概要

紹介

世界衞生機關(WHO)の動き—中間委員會の經過

著者: 辻達彦1

所属機関: 1公衆衞生院

ページ範囲:P.274 - P.276

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 WHOのその後の活動状況がニュースされているので,ここに紹介したいと思う。
 世界衞生機關(WHO)の憲章が61ケ國の代表者により署名された1946年7月22日に,同時に18ケ國の代表からなる中間委員會設立に關する取極めが決つた。この中間委員會は既に第1囘はニューヨーク市(1946年7月19日)で,第2囘はゼネバ(1946年11月4日)で開催されたが,その内容によりWHOの動きを具體的に知る事が出來る。1946年11月第2囘會議の結果決定されたWHOの中間委員會の組織この第1囘の委員會で役員選擧が行はれ,Dr. F. G. Krotkov(ソビエト)が假委員長に選ばれたが,會期の終りにDr. Andrija Stampar(ユーゴスラビヤ)が終身委員長に任命され,3人の副委員長は,メキシコ,エヂプト,支那から選出された。次で,管理及經濟,流行病及海港檢疫,渉外の3委員會の構成が發表された。ゼネバで行はれた第2囘中間委員會は,11ケ國の代表と,UN,UNRRA,國際公衆衞生局,及び汎米衞生會議のオブザーバーが列席して會議が開かれた。その會議内容は次の諸項目に亙つた。1)中間委員會の本部所在の決定には若干の論議の後,本部をニューヨーク市に置き,活動の便宜上一事務所をゼネバに併置し,必要に應じ,その他の場所に委員長の承諾の下に置く事が出來ることに決定した。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1170

印刷版ISSN:0368-5187

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