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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生22巻10号

1958年10月発行

雑誌目次

綜説

新制保健所10年の回顧

著者: 楠本正康

ページ範囲:P.513 - P.517

 昭和21年の年の暮だつたと思う。その日は寒い晩で雪が降つていた。高橋さん(現東京都予防部長)の斡旋で,都内の保健所長の方々が浅草の焼け残りのビルの殺風景な地下室に集まられた。壊滅に頻している保健所をどうしたらよいか,ということが会合の一つの目的だつた。私は小林さん(現東京都衛生局長)と一緒に会合に加つた。何しろ,当時は都市の保健所の大部分は戦災を受け全国的に実態がつかめないばかりか,その数や場所すら分らなかつた。なかには,焼け残りの民家の一室に机を2つ3つ並べた名ばかりの保健所すら多かつた。保健所長の立場からいえば,何とかして復興を急いでもらいたいというのが,共通の気持であつたにちがいない。
 私も保健課長としてその復興に心を痛めてはいたが,その見通しすらも立たない時だつたので,いうならば保健所長の皆様からつるしあげの形となつたことはいうまでもない。しかし,私もかねて保健所整備の夢と方向を考えていたので,お互に建設的な意見を述べあつた。そして,私は保健所を衛生行政の第一線の綜合的な行政機関とすること,職員は60名程度として課制を設けること,復興の第一歩としては,近代的な建物を全国的に新築することなどを,保健所網の整備計画として,なかば約束した結果となつた。とにかく,この夜の会合は私としては大きな感激であつた。それにこの会合がいまの保健所長会の母体となつたのも思い出である。

厚生省20年の回顧と將来—機構を中心として

著者: 栗山廉平

ページ範囲:P.518 - P.522

発足から終戦までの機構と行政の大要
 厚生省が新設されたのは,昭和13年1月11日であるが,当時の日本は,その前年7月に満洲事変が勃発し,国際情勢は極めて緊張の度を加え,事変の前途は相当に長びくものと思われていた。
 これに対処するには先ず人的資源の確保と国民の福祉と健康を増進することが第1の要務であると考えられ,昭和12年6月4日に成立した第一次近衛内閣は,同年7月9日の閣議に於て「国民体力の向上及び国民福祉の増進を図るため,これに関する行政を綜合統一すると共に,これを拡充刷進することは喫緊の要務なり」として保健社会省の設置方針及び要綱を決定したのである。

厚生省20年の回顧と將来—公衆衞生を中心として

著者: 山口正義

ページ範囲:P.523 - P.526

 先日「公衆衛生」の編輯当局から,公衆衛生を中心として厚生省20年の回顧と将来という題で何か書くようにとの依頼を受けた。戦前戦後を通じて公衆衛生行政に精進して来られた先輩や同僚が多数居られるのに,私がそんな事を書くのは僣越かとも考えたが,厚生省が誕生して間もない昭和13年の夏,当時の労働局に入つて労働衛生の仕事に携わるようになつてから先日公衆衛生局長の職を退くまでの20年間,それこそ出張以外は一歩も厚生省を離れずに続けて勤務させて載いた身でもあるので,敢えてお引き受けすることにした。
 一口に厚生省20年の回顧と言つても,その誕生から終戦までの7年間余と終戦後の10数年間とは全く様相を異にするし,また終戦後の10数年間と雖も,昭和27年の平和条約発効を機として連合軍総司令部の覊絆を脱した時を境としての前後では大いに事情を異にしている。斯う考えて来ると,戦争終結,平和条約発効を夫々境界点として20年間を凡そ7年前後宛の三つの期間に別けることが出来るのではなかろうか。そして厚生省の歴史も夫々の時期に応じて夫々特色を持つており,公衆衛生を中心にして過去を振り返る場合にもそういう特徴を持つた構成になつて来るであろう。

公衆衞生院の思い出と將来

著者: 齋藤潔

ページ範囲:P.527 - P.531

近世公衆衛生の発祥
 公衆衛生院が誕生してから20年の年月が経過した。この間には満洲事変,支那事変を経て遂に第二次世界戦争に突入し,敗戦の憂目を見て,ここに既に10数年が過ぎている。この20年間には曾て見ないほどの大きな変革が,国内的にも国際的にも行われている。人の生活に密接に結びついているわれらの公衆衛生も,この急激な世相の推移にさらされてきたことはいうまでもない。公衆衛生院創立以来20年の歴史を振り返えつて記録するには,創立当時のわれらの周囲の公衆衛生状態から説き起こさねばならない。
 18世紀以来の科学の進歩は,長い間暗黒時代に閉ざされていた公衆衛生の歴史に光明を放ち,新しい頁をくりひろげた。1870年代に至り,PasteurとKochよつて実証された伝染病の病原細菌説がこれである。爾来1910年頃に至る30年間は,所謂細菌学黄金時代であつて,多くの伝染病の病原が相次で発見され,ここに漸く従来の経験的環境衛生が,科学的実験的衛生へと進み,伝染病の予防に科学的根拠を与え,次で免疫生物学的予防手段と相俟つて,幾世紀にわたり人類を悩ましつづけて来た,さしもの急性伝染病も次第にその影をひそめるに至つた。この状態は先進諸国においては既に1920年頃のことであつた。

学校保健法について

著者: 塚田治作

ページ範囲:P.532 - P.535

 健康は,人間が生きてゆくための基盤であり,教育活動は児童生徒の健康を考えずには成立し得ない筈である。
 しかし,わが国の現状は個人的に社会的にも勿論教育界においても,健康についての理解や,健康の保持増進のための努力が甚だ欠けている。病気に直面しそれも病勢が相当進んではじめてあわてるというのが一般の実情であり,また国の施策等においても,とかく疾病対策の面にのみまだ重点がおかれているきらいがあることは,国の予算を見ても判明するだろう。

学校保健法について

著者: 重田定正

ページ範囲:P.536 - P.538

法律制定に至るまで
 学校保健法は,昭和33年4月10日ついに公布され,ここに,多くの学校保健関係者の長年月にわたる努力は実を結んだ。学校保健に関する立法措置の案は,文部大臣の保健体育審議会に対する諮問の答申(昭和32年7月30日)の中に見られる。すなわち,"学校保健の振興に関し,すみやかに立法措置と相当の予算措置を講じ,心身ともに健康な国民の育成に資することが必要である"。と述べ,学校保健に関する立法において規定すべき事項は,おおむね次の通りとした。
Ⅰ.学校における衛生及び安全の保持学校の施設設備等の衛生的かつ安全な維持管理に関し講ずべき措置を明らかにする。(学校において準拠すべき衛生及び安全基準並びに管理機関の行う衛生及び安全検査の基準を法的根拠に基き明らかにする)

原著

ヒドラジドによる有珪肺者における結核予防に関する研究

著者: 吉田寿三郎 ,   渋川陸雄 ,   野島清

ページ範囲:P.539 - P.541

 珪肺をもつ者は結核が合併し易く,その予後はよくないと云われている。
 F社A鉱業所における業務上認定珪肺患者につき,その経過を公表する許しを得たが,ここに昭和22年以降最近にいたるまでの全患者を療養開始歴年別に分類すると第1表の如くである。これを見るに,療養開始を時既に結核を合併するものは78%で,珪肺症のみで療養を始めたものもその経過中に結核を併発する例が多かつた。また,今日認定珪肺患者の30%が死亡している。

集団生活における赤痢対策の1例

著者: 宮崎貞雄

ページ範囲:P.542 - P.544

赤痢の社会的現象
 法定伝染病全患者の70%は赤痢患者(31.8.2朝日新聞)であるということは,法定伝染病という領域の限界において赤痢は社会的に一種の普遍性をもつた伝染病という風にも考えられる。伝染病の普遍性とはおかしな表現であるが,然しながら戦後チブス患者の減少と相反比例して,赤痢患者の多発は恐るべき伝染病が一種の流行態を帯びた所謂諦観的思想に包まれることは極めて危険なことであつて,我々保健行政に携わる者の警戒を要することである。
 私共の鉱業所地区では約3,100世帯,15,800人の集団生活帯の中に過去6年間,毎年100人内外の赤痢患者が発生して,恰も計数的には習性の様相をさえ呈している。一方町村においても赤痢発生が地方衛生行政のバロメーター視さえされる傾向が屡々見受けられる。

集団赤痢(細菌性)におけるストレプトマイシン集団内服の効果とその検討

著者: 古屋暁一 ,   飯塚晴夫 ,   須田正道 ,   山縣英士 ,   中尾恿 ,   佐野一郎 ,   多田瞭之助 ,   小酒井望 ,   山名貴美子

ページ範囲:P.545 - P.548

 細菌性赤痢の集団発生の禍中にあつて,その蔓延を如何に阻止し流行を早期に終熄せしめるかという問題は,いうまでもなく,当事者の最大関心事であり,対策に最も苦心の払われるところである。周知のように,防疫の通則は「感染源の除去」と「感染経路の遮断」及び「個人の抵抗力増強乃至は非感受性化」であるが,それらに基づく各種の防疫乃至は予防の措置を確実に講じても,一旦勃発した流行というものは容易には終熄しないのが一般の実情のようである。
 かかる場合,如何なる手段が従来考慮されていたであろうか。例えば,Todd1)らは病原大腸菌O111による大腸菌性腸炎の院内発生に際しMedical Research Council(London)2)のすすめる院内交叉感染防止法を実施したにも拘わらず続発患者が跡を断たぬので,発症するとせぬとに拘わらず総ての菌陽性者にクロラムフエニコールまたはサルフアダイアヂンを内服せしめ,これらの薬物が "Prophylactic Agent" として有効であつたことを認め,院内感染が通常の防疫方法では防ぎきれぬとき,このように薬剤を使用することは価値ある方法であると述べている。

外航船舶乘組員及び船客の痘瘡経過者調査成績

著者: 前田弘近 ,   玉ノ井恒 ,   泉修一 ,   野口和之

ページ範囲:P.549 - P.553

 痘瘡はコレラ,ペスト,発疹チフス,再帰熱及び黄熱と共に検疫伝染病の1つである。毎土曜午後のNHKの検疫伝染病情報ラジオ放送にもある如く,南方熱帯諸地域には毎週痘瘡の新発生が報ぜられているが,我国においては,予防接種法施行規則によつて,定期種痘を施行しており,現在痘瘡患者の発生はない。また時に,外国から輸入して近年にも,地域的に小流行をみたことはあつたけれども,その数は少なく,たとえ罹患しても大部分は軽症に経過し,治癒後もなお顔面に定型的な痘痕を残している所謂痘瘡経過者をみかけることは殆んどない。しかし,外航船舶乗組員中には定型的な痘瘡経過者をみかけることは,検疫に際してよく経験するところである。これら痘瘡経過者を調査することは,過去におけるその国の痘瘡流行状態を知る上に興味があるのみならず,検疫上にも参考となるので,筆者らは門司検疫所勤務中,昭和29年1カ年間関門港入港の外航船舶についてこれが調査を行つた。

学校身体検査(耳鼻咽喉科領域)に対する1考察

著者: 山口恵

ページ範囲:P.554 - P.555

Ⅰ.まえがき
戦後各科専門医を以て行う学校身体検査が僻地を除いて次第に広く実施される様になり,学童の保健衛生,延いては学修上に大きい寄与をしている事は大変喜ばしいことである。然しその実施法は完全な基準がなく,又検査医の個人差も大きいので身体検査の結果も非常にまちまちとなり,学童の疾病の実数を確実に捉えることが仲々出来ないのが現況である。我々は学校身体検査実施に当つて
(1)検査医自身が独自に疾患の存否を決定すべきか

脳卒中についての公衆衛生学的問題点

著者: 佐々木直亮 ,   武田壤壽

ページ範囲:P.556 - P.561

 昭和26年から結核が国民死亡の首位を脳卒中にゆずつて以来,脳卒中による死亡は第1位をしめ,最近では年間約13万人の死亡者があることが人口動態統計からうかがわれ,今後益々その数は増加するであろうことが考えられている。このように国民死亡の第1位が脳卒中による死亡であり,その死亡による絶対数が年々増加の傾向にあることが,結核や赤痢などによる死亡と同様な見方で,公衆衛生学的な問題となり得るであろうか。
 この死亡の傾向を表わすものが基礎人口全体に対する割合を示す粗死亡率であり,粗死亡率の大小が脳卒中による死亡の重要性の大小をすぐ語るとはいえない。これは日本と諸外国との比較のとき問題になる点であるが,老人人口のしめる比率の多い国では,粗死亡率は大きく出,粗死亡率だけの比較では,わが国は比較的低率な国に入るが,年令訂正死亡率で比較するならば,わが国は世界で有数な脳卒中による死亡の多い国であることがわかるという例からもわかる。これは脳卒中による死亡が年令が増加するにつれて,30才代からほぼ幾何級数的にその危険率が上昇するという特長があるからなのである。勿論各国間の比較ではこの年令的に危険率が上昇する傾向にも,国によつて多少の相違のあることは将来研究問題となろう。

九州,北海道等の炭鉱從業員寄生虫相の比較研究(第5報)—職種別などによる主要寄生虫保有率の差異について

著者: 佐々学 ,   林滋生 ,   田中寛 ,   白坂龍曠 ,   三浦昭子 ,   佐藤孝慈 ,   若杉幹太郎 ,   高田敦徳 ,   福井正信

ページ範囲:P.562 - P.566

 我々は三菱鉱業健康保険組合員の約3万人について,1956年10月より約4カ月の間に塗抹法,浮游法,試験管培養法の3法を各材料について併用し寄生虫集団検診を行つた。その成績については,第1報に主として検査技術を,第2報に九州,北海道などの各地方別の寄生虫保有状況の差異を,第3法にピペラヂン剤及びブロム・ナフトール剤を用いた集団駆虫成績を,第4報には糞線虫保有者の問題をすでに論述した。ここには各炭鉱の職種別などの差異にもとづく主要寄生虫の保有状況の相違を集計し検討を加えた結果を述べる。
 ここでとりあげた寄生虫の種類はとくに陽性率の高かつた鉤虫,毛様線虫,回虫,鞭虫の4種である。第2報でのべたように,全地区とも鉤虫は培養成績の上からはヅビニ鉤虫が圧倒的に多く,アメリカ鉤虫陽性者数はヅビニ鉤虫陽性者数の約20分の1にすぎなかつたし,浮游法のみで鉤虫卵が陽性で,その種別を明らかにしえなかつた例もあるので,ここには鉤虫としてまとめて論じたが,その主体はヅビニ種であることはいうまでもない。

作業環境の結核発病及び結核患者に及ぼす影響に関する研究(第2報)—作業條件別にみた結核患者の推移

著者: 庄中健吉

ページ範囲:P.568 - P.571

緒言
 結核患者の衛生管理の基準を研究する目的で,昭和23年以来,工場従業員を対象として,作業環境及び作業内容が結核の発病及び進展に及ぼす影響を追求観察している。すなわち職場内の結核患者及び発病者の分布については,既に重松,林との共同研究を行い1),ついで,就業中の結核患者の予後について,某製鉄所における観察成績を発表したが2),今回は某造船所において管理観察している結核患者の就労中の病状の経過を,病型別,労働強度別に観察し,観察年数の異なる成績を相互比較するため,対人年率で処置して検討した結果を報告する。

隨想

厚生省創設20周年を迎え

著者: 広瀨孝六郎

ページ範囲:P.517 - P.517

 今から20年前というと丁度昭和13年になるが,当時は恰かも公衆衛生院の創立直後で,筆者も兼任乍ら同院衛生工学部の創設に大童であつた事を想起する。併し厚生省の創設には直接携わつておらず,公衆衛生院の創立時代を記しても些かピント外れの感があるので,厚生省創設当時の回想は他の適任者にゆずつてその後の厚生省の歩みと将来とに就いて感想希望を書き記して見度い。
 一体厚生行政の重点が何処にあるのか又一点でなく多方面に亘るのか,その辺は筆者は詳かにしていないが,予防衛生というか公衆衛生というか病気にかからせない様に,更に進んでは快適な生活を営ませるという事が,少くとも厚生行政の目的の一つである事は間違ないであろう。そうするとすぐ問題になるのが社会衛生というか貧富の差という様な事,続いては労働衛生即労働者の保健衛生や災害防止の件であろう。此2の問題は実は国家社会の根本にふれる問題であつて,今二大政党が争つている政策にもふれなければならない。こうなつて来ると筆者の様な科学技術を専攻している者には手に負えなくなつて来る。併し以上と関連する国民体位向上の問題としては,食品の栄養という事が重大要素となる。戦後,米過食の害が叫ばれているが,折角戦争中に築かれた良習慣であるパン食メン類食が正に崩壊しようとしている。年々の米の豊作は更に之に拍車をかける状態にある。

厚生省創設20年

著者: 亀山孝一

ページ範囲:P.522 - P.522

 早いもので厚生省も創設20年を迎えるとは感慨深いものがある。私は厚生省が創設されるときは内務省衛生局医務課長をしていて厚生省が出来ると内務省計画局防空課長となつたので厚生省創設当時には厚生省に入らなかつたのだ。衛生局には大正13年以来在任したのだが尤も途中2年有余は地方に出て居たが思い出の衛生局が内務省を離れて厚生省に入つたことは忘れ得ない記憶である。
 厚生省が創設されたことは充分御承知のことと思うが国民保健の向上社会事業の整備を強力に実現する為めであつたことは勿論である。厚生省は換言すれば社会保障制度を整備する使命を持つたのである。厚生省を創設するときその名称を社会保健省と云うのが原案であつたことは此の趣旨を現わす心算であつたのだ。省名としては枢密院で修正した現在の厚生省の方が簡明であるが当初は慣熟されない名称であつた丈に一寸批評のあつたところである。

厚生省創設当時の思い出

著者: 藤原九十郎

ページ範囲:P.531 - P.531

 昭和13年内務省の衛生,社会の両局を中核として厚生省が創設された。当時既に衛生局は設置後64年,社会局また18年を経過し,国勢の発展と国民生活の向上に伴い,厚生行政の範囲,内容共に広汎多岐であつたので,一省を新設して施策の徹底と能率の向上を図るべしとする与論が成功したわけである。然しながら今から考えると省の創設はその後に展開された大戦遂行上の必須要件でもあつた。
 即ち昭和6年に満州事変,12年に日支戦争が始り,真に国家非常時に際会した時代に於て,最も必要な人的資源の急速なる確保のため,厚生行政の強力にして適切なる施策が要求された事は云うまでもない。従つて省の創設に軍部の推進が大いに与かつた事は勿論で,特に陸軍省医務局長の職にあつた小泉親彦博士が強力なスポンサーであつた事,並びに彼が後には厚生大臣として戦時行政に挺身された事は共に忘れ得ぬ存在である。

厚生省創設20年

著者: 与謝野光

ページ範囲:P.544 - P.544

 厚生省が誕生してから今年は20年になると聞かされて,早いものだとも思い,大東亜戦争,そして終戦後の変遷と,随分色々な事があつたなとも思う。
 昭和13年は吾が国に於ける公衆衛生史の上では記念すべき年であつた。

文献

イスラエルにおける動脈硬化症の疫学

著者: 小泉

ページ範囲:P.538 - P.538

 イスラエルで,出身地別・移住の新旧別に動脈硬化症による死亡を調べたところ,脳の動脈硬化症(W. H. O. 国際分類No.330〜334)と心臓の動脈硬化症(同No.420/1〜420/1)との間に興味ある差異がみられた。すなわち西欧出身者は東洋出身者より動脈硬化性心疾患による死亡率が高く,これは45〜64才,65才以上のいずれの群についても同様である。しかし脳の血管についてはこういう現象はみられていない。性別には,どの年令群でもいずれの出身地でも男子の方が女子よりも動脈硬化性心疾患の死亡率が高い。脳の方では性別に一定の傾向がない。新らしい移住者(1948年以後)と古い移住者(1948年以前)とでは,心疾患では同様,脳では新らしい人にやや多い傾向がみられる。これらの事実は動脈硬化症の所在とそれに関連する疫学的な問題において,脳と心臓の動脈硬化症が本質的に異つた現象ではなかろうかと思わせる。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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