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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生24巻6号

1960年06月発行

雑誌目次

特集 災害対策

災害救助における救護班の公衆衛生活動

著者: 水野宏

ページ範囲:P.293 - P.301

I.はじめに
 Mc Garvanは,公衆衛生を「community(body politicという表現も用いているが)に対する科学的診断および治療である」と規定している。わが国では,このような考え方が公衆衛生学徒全般にすなおに受け入れられるまでには至つていないようで,保健所などの活動も,その担当管内の地域社会を科学的に診断して,それぞれの病態に応じて適切な治療を加えるという態度に欠けているようである。保健所などの平常活動ではこの地区診断もいわば特に病識のないものの健康診断のようなものであるから,たとえこれを怠つていて,見落されていた病態が後になつて表面化する場合があつても,そのために責任をとわれることは少ないであろう。しかし地域社会が大きな災害にみまわれて,地域全体が重篤な症状を呈しているときは,速やかに的確な診断がつけられ,適切な治療が加えられるか否かは,地域社会の予後に大きく影響する。
 この意味で災害時の「communityに対する科学的診断および治療」は極めて重要な意義をもつている。多数の死傷者が発生し,病者が続出し,衣食住のすべてを失い,その補給のルートもとだえてしまつた大きな災害にあたつて,迅速に診断を下し,てきぱきと治療法を指示していくには,平常時から「communityに対する診断と治療」を手がけ,これに練達していなければならない。

災害防疫の問題点について

著者: 藤沢好成

ページ範囲:P.303 - P.306

 災害防疫の作業記録とか,その際に起つた問題点をあげている報告は数多くみられるが,その問題点を堀りさげ,それを解決するためにどういう処置を行つたとか,又,どうすればその問題点が解決出来るかという点にふれているものは少ない。
 私は大阪府の防疫係長在職時に体験した13号台風(昭昭29年9月)による水害防疫,及び,伊勢湾台風(昭和34年9月)の際,災害救助隊の一員として三重県四日市保健所へ派遣され災害防疫に従事した経験をもとにして,大規模災害の際に起りうる問題点について,府県衛生部としての立場から考察を加え,問題解決への方向づけを試みた。

災害対策はいかにあるべきか—伊勢湾台風における日本赤十字社の救護措置

著者: 高木武三郎

ページ範囲:P.307 - P.312

 災害対策の最終目的は災害の絶滅にあることは申すまでもないが,これは議論としては成立するが,現実とは縁遠い議論である。災害の起る毎にやれ天災だ,やれ人災だと論ぜられるけれども,その区別判定も亦極めて困難だ。人智を尽せば防止出来るものも勿論あるが,そこには自ら限度がある。少くとも現在の人智と能力とでは如何ともなし難い天災地変の存在することは素直に認めなければならない。火山脈の上に安坐している日本はいつどこに地震が襲つて来るかも判らないが,その予知の方法すら,実際的には未だ応用できないし,年々歳々必ず,北上して来る南方洋上の低気圧にしても,これは大体の見当はつくが,これを避ける方法は発見されていない。海水の温度を少々上昇させればよいとか,原子爆弾によつて気圧の変化をなすことが可能だとか,一応科学的の説明はきかれるけれども未だ研究室の研究テーマを一歩も出ていない。とは言つても,科学の進歩は実に驚嘆に価する現状であるから,いつかは地球上に応用されることであろう。然し少くとも今日に於いてあくまで現実に直面して対策を樹てなければならない。
 治水,治山,道路,建築等の事業の改善によつて災害を防止し,或は最少限度に喰い止め得る方法はいくつも残されているのであるから,この点については最善の努力が払われなければならないし,災害の起る毎に周章狼狽して,予備金の支出で後始末をつけるという愚は繰返すべきではない。

台風と病院—伊勢湾台風を中心として

著者: 角田信三

ページ範囲:P.313 - P.317

I.序言
 昭和34年9月26日夜,愛知,三重,岐阜,殊に名古屋を中心として,伊勢湾台風は風雨害と水害とを残して通り過ぎた。その災害は意想外に大きかつた。日刊紙,放送機関が台風の接近を伝えていた9月26日当日の中部日本新聞紙面より概要を摘録して見よう。
 26日朝刊には,「台風15号,東海昼すぎ圏内。衰えずに本土をめざす」と5段抜きの見出しで,最低気圧910ミリ,暴風雨圏700キロメートルの大型台風発生とその接近を,罹災直前の夕刊最終版には,「台風15号東海めざす」と凸版横見出し,「今夜半は大荒れか,今年の中では最大級」と6段抜きに報じ,別図の台風情報図をかゝげていた。

伊勢湾台風と保健所の活動

著者: 河野一郎

ページ範囲:P.319 - P.327

I.台風の規模と経過について
 伊勢湾台風は昭和34年9月26日の夕刻紀伊半島の南端に上陸し,直径750kmの地域に暴風雨をまきおこしながら,そのまま半島中央部から名古屋市の西方30kmの地点をかすめて揖斐川,長良川の上流部を通過し,26日の夜半富山湾に抜けた。気圧の中心示度は上陸時930mb,上陸後もその勢いがあまり衰えず,名古屋附近通過時で940mbを記録し,市内において最低気圧958.5mb,最大風速45.7mという名古屋気象台開設以来の記録を示した。
 この台風は名古屋市の西方30kmをかすめるという東海地方にとつて最悪のコースをとつたため,伊勢湾沿岸一帯に未曾有の高潮をよびおこし,満潮時に近い午後9時35分名古屋港における最高潮位は5.31mと名古屋港検潮始まつて以来の記録をつくつた。そのうえ前日から降り続いた雨は,中部地方一帯に164mm以上の雨量をもたらし,河川は刻々と増水し,それらが強風にあおられ,低気圧に吸い上げられた高潮と合致して,一時に海岸堤防と河口附近の河川堤防を寸断し,名古屋市の南部および木曾川下流デルタ地帯を濁流の渦にまきこんだ。

綜説

世界における佝僂病の歴史的観察(第I編)—諸外国における佝僂病の今昔

著者: 小原幸作

ページ範囲:P.331 - P.347

I.緒論
 欧州における佝縷病(以下佝と略す)の歴史は極めて古く既に石器時代の人骨にも佝性病変が認められており,又Hippocrates(460-377B. C.),Soranus(98-138A. D.),Galenus(130-200A. D.)等の古医書中にも佝様骨変形に関する記載が散見せられる1)〜5)。
 中世紀に至り本病は中部ヨーロッパ一帯に存在したものの如く1554年イタリア人医師Giovanni Theodosius6)は生後17ヵ月の佝様患児について記述し,またこれより少し遅れてポルトガル人Zactus Lusitanus7),フランス人Ambroise Paré8)等は佝様疾患あるいは小児の骨奇形について多数の症例を挙げている。殊に1600年頃よりイギリス本国においては本病が流行性に蔓延し,1634年のLondonの死亡統計中には佝による死亡の記録が残されており9),1645年Daniel Whister10)は俗にRicketsと呼ばれているイギリス小児の疾患について論文を発表し,また1649年アイルランドのArnoldus Bootius11)12)は最近アイルランドにかかる小児疾患が極めて多い事を指摘していた。

文献

アルコール中毒の疫学的研究,他

著者: 芦沢

ページ範囲:P.318 - P.318

 疫学的研究をはじめるのには,まず何よりも対象の概念規定をはつきりさせて主観的な偏りがしのびこまないようにしなければならない。アルコール中毒という概念についてもたとえば最近,Elmo Roperによつておこなわれたアメリカにおける質問調査において,酒癖常習者で仕事や人間関係に障害をおこしているような場合,病気としてよいという答が58%,病気ではなくして道徳的に弱いというのが35%,意見なしが7%という数字である。
 アルコール中毒の疫学をすすめるための資料として,1)アルコール飲料消費量調査成績があるが,1946年のRileyおよびMardenの調査はすでに古く,世相も著しく変わつている今日,そのままは使えない。2)飲酒による犯罪,交通事故統計もあるが,前にのべたように酒癖の定義がまちまちなので地域どうしの比較には無理がある。1955年カリフォルニア州の交通災害統計では,運転者の全事故障害中,死亡事故のしめる割合は,「酒をのんでいた」の方が「のんでいなかつた」の2倍あつた。3)精神病院統計もある集団の「アルコール問題」の大いさをみる一つの手段となりうる。4)傷病による休業補債統計もひとつの手がかりにはなる災害の反覆の度合い,傷病の経過など。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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