文献詳細
原著
文献概要
1.はじめに
わが国の人工妊娠中絶件数の年次別推移は,昭和30年の117万を最高として,以後漸減し,昭和34年においては110万を下回るに至った。諸報告1)によれば,以上の年次別推移にもかかわらず出生率が低下していることは,出生制限の手段として受胎調節が普及してきたことを物語るものであろうと述べられている。
八幡市における人工妊娠中絶件数の年次別推移と受胎調節普及状況との関係は,さきに園田2)および著者3)の報告のごとく,以上の諸報告とほぼ同様の傾向である。
わが国の人工妊娠中絶件数の年次別推移は,昭和30年の117万を最高として,以後漸減し,昭和34年においては110万を下回るに至った。諸報告1)によれば,以上の年次別推移にもかかわらず出生率が低下していることは,出生制限の手段として受胎調節が普及してきたことを物語るものであろうと述べられている。
八幡市における人工妊娠中絶件数の年次別推移と受胎調節普及状況との関係は,さきに園田2)および著者3)の報告のごとく,以上の諸報告とほぼ同様の傾向である。
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