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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生26巻8号

1962年08月発行

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海外研究所の思い出

上海自然科学研究所の思い出

著者: 小宮義孝

ページ範囲:P.421 - P.425

 学校を卒業してから,すぐに東大医学部の衛生学教室にはいって,そこで5〜6年,ごろちゃらしていた。
 と,ある日,当時の医学部長林春雄先生がお呼びになる。ふとしたことから先生には,日ごろ何やかやとご厄介になるようになっていた。で,おうかがいすると,「君は上海に行く気はないかね」とのたまう。

台湾の熱帯医学研究所の思い出

著者: 曽田長宗

ページ範囲:P.426 - P.431

熱帯医学研究所の前身
 台湾の台北帝国大学に付置された,熱帯医学研究所は,昭和14年4月,従前より設けられていた台湾総督府中央研究所の解体によって,その衛生部が発展的に改組されて出来たものである。
 そもそも台湾における医学関係の専門的研究機関の起りは,明治42年(1912)に新設された台湾総督府研究所衛生学部であって,このような総督府研究所設置の発案は時の総督府技師高木友枝氏の建議と民政長官後藤新平の創意によるものであると伝えられている。

大陸科学院衛生技術廠

著者: 加地信

ページ範囲:P.432 - P.436

 "海外研究所の思い出"の一つとして,満州国衛生技術廠のことを書けとの突然のご依頼。しゃべることなら人後に落ちぬと自負しながらも,ものを書くことを最大の苦手としている私が,二つ返事でご引受けしたことには,それなりの理由があります。この記事は,もし,今,この世に在りせば,技術廠の創立者であり,終始廠長としてその運営に精根を傾けられ,終戦後もこれを守り通し,遂に彼の地に骨を埋められた阿部俊男博士が筆をとられるべきものであります。仮りに先生ご自身がお書きになったとすれば,どのような内容のものになったか。昭和7年以来直接先生のご指導を受け,満州国時代の先生のお気持を最もよくお伝え出来るのは私だという自信がこのご依頼を敢えて引受ける勇気を私に与えてくれました。この思い出の記もすべて阿部先生を中心ということになりますが,技術廠に関係のあった先輩,同僚各位も,この点はご寛恕願えることと信じます。
 そもそも,満州国に伝染病研究所のようなものを設けようという議は,昭和8年,建国直後に衛生当局で持上ったようであります。ところが当時はいわば軍政下にあり,関東軍当局の意向としては,まだ学者などに来てもらって,のんきに研究などやってもらう時期に非ずとして,この案は一蹴されてしまいました。

ロックフェラー研究所の近況

著者: 佐野晴洋

ページ範囲:P.437 - P.445

 筆者は1958年8月より約2年間ロックフェラー研究所のDr. Granickの下でポルフィリンの生化学を専政する機会を得た,ロックフェラー研究所はニューヨーク市マンハッタンのEast,York Avenueの64-68th streetからEast Riverにわたって建つ一群の建物で現在一流のstaffを擁し,そのacademicな業蹟を世界に誇る研究所である,有名な野口英世博士が,ここのMemberand Professorとして活躍されたことはよくご承知の通りである。ここでの滞在2カ年は少なからぬ影響を私に与えた。私はここでこの研究所の持つ素晴しい雰囲気にひたりつつ,2年間ただひたすらに研究に没頭した。研究設備もよく金もあり人もよしとあれば,これは全く理想の研究所といえよう。若いアメリカの研究者達が一流の先生の下ですくすくという形容詞そのままに伸びて行く姿はまったくうらやましいと思った。

名誉会員を訪ねて・5

松村䏋(すすむ)先生に聞く

ページ範囲:P.447 - P.458

緒方正規先生に師事
 編集部 どうもお忙しいところをありがとうございます,今まて石原先生,及川先生等の名誉会員の先生のお話を伺って参りましたが,きょうは松村先生に,いろいろ先生のご経験あるいはご意見をお伺いしたいと思います。先生が大学を卒業されましたのは,大正5年ですか。
 松村 そうです。

綜説

界面活性剤について—特に中性洗剤ABSを中心として(2)

著者: 柳沢文徳

ページ範囲:P.459 - P.475

界面活性剤の毒性―特にABS
 界面活性剤は,一般的にカチオン活性剤を除くと化学的合成品とはいえ,従来の防腐剤とか,タール色素より毒性がlow toxicityと考えられているようである。この項では急性中毒,慢性中毒,薬理学・生化学的な変化及び皮膚影響とわけて文献的考察を試みる。

文献

公衆衛生の見地よりみた流行性肝炎/定期健康診断—開業医の態度に関する調査

著者: 芦沢

ページ範囲:P.436 - P.436

 従来保健対策上からとかく軽視されていたきらいのあるこの疾患は,こんどの大戦中,軍陣衛生上の重要な問題となるほど,各地で兵士の間に流行があこった。公衆衛生のうえから重要な意味をもつこの疾患の不顕性症はひかえ目にみても顕症例の2倍以上とみられる。糞便→(食品,食器,什器)→口という経路が知られているが,ビールス血症をおこしている不顕性症,ないし軽症の供血者の場合,輸血による伝ぱん経路がある。供血者もしくは亜基疸者のふるいわけ検査として,血清グルタミック,オキザールアセティック,トランスアミナーゼテスト(SGOT-test)が有効である。
 数年前,カナダのCupe Bretonの小学校で200名の学童のうち,その1/4が罹患するという流行があった。現在は学校の新築増築の際は地方衛生当局による上下水設備に関する計画の承認が必要となっているが,当時はそのようなとりきめができていなかった。この小学校ではその年の定例の飲料水(井水)水質検査によれば,初秋に大腸菌群がやや多数と認められ,陶磁器に銀板を張った濾過器が翌年1月半ばにとりつけられた。当初4週ぐらいは大腸菌群集落数のうえでは有効のように思われたが,その後汚染が証明され,下水とのつながりがあったことがわかった。患者は12月より3月末まで学校で50名,家庭で成人が17例をかぞえた。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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