文献詳細
海外研究所の思い出
文献概要
"海外研究所の思い出"の一つとして,満州国衛生技術廠のことを書けとの突然のご依頼。しゃべることなら人後に落ちぬと自負しながらも,ものを書くことを最大の苦手としている私が,二つ返事でご引受けしたことには,それなりの理由があります。この記事は,もし,今,この世に在りせば,技術廠の創立者であり,終始廠長としてその運営に精根を傾けられ,終戦後もこれを守り通し,遂に彼の地に骨を埋められた阿部俊男博士が筆をとられるべきものであります。仮りに先生ご自身がお書きになったとすれば,どのような内容のものになったか。昭和7年以来直接先生のご指導を受け,満州国時代の先生のお気持を最もよくお伝え出来るのは私だという自信がこのご依頼を敢えて引受ける勇気を私に与えてくれました。この思い出の記もすべて阿部先生を中心ということになりますが,技術廠に関係のあった先輩,同僚各位も,この点はご寛恕願えることと信じます。
そもそも,満州国に伝染病研究所のようなものを設けようという議は,昭和8年,建国直後に衛生当局で持上ったようであります。ところが当時はいわば軍政下にあり,関東軍当局の意向としては,まだ学者などに来てもらって,のんきに研究などやってもらう時期に非ずとして,この案は一蹴されてしまいました。
そもそも,満州国に伝染病研究所のようなものを設けようという議は,昭和8年,建国直後に衛生当局で持上ったようであります。ところが当時はいわば軍政下にあり,関東軍当局の意向としては,まだ学者などに来てもらって,のんきに研究などやってもらう時期に非ずとして,この案は一蹴されてしまいました。
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