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雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生28巻10号

1964年10月発行

雑誌目次

人籟 国家衛生原理抄出・3

衛生ハ人間萬機ノ基本

著者: 後藤新平

ページ範囲:P.529 - P.529

スペンセル氏カ其教育論ニ於テ従来哲人ノ愚ヲ排斥シ児重ニ授クヘキ五綱目ヲ挙ケ其第一ニ生理衛生ノ知識其第二ニ間接衛生ノ知識其第三第四ニ間接衛生上ノ知識中家内ノ道徳及国家ノ義務ニ関スルモノ其第五ニハ生理及直接並ニ間接ノ衛生上知識ヲ得ルノ後美術快楽ノ知識ニ及フヘシトセリ実ニ卓見ト謂フヘシ此ノ如クニシテ漸ク理ニ明カニ能ク事ヲ察シ理ニ順テ其身ヲ守ルコトヲ得ン詩ニ日ク既明且哲以保其身ト此言豈独リ道義家ノ栞ノミナランヤ
 古ヨリ身ヲ忘レ吾ヲ忘ル等ノ語アリト雖モ皆哀楽ノ極ヨリ生スルノ言ニシテ其実忘ルルヲ覚ル時ハ早ク既ニ自己ノ存在ヲ知ルノ時ニ非スヤ苟モ自己ノ存在ヲ知ラハ則我カ生命アルヲ知ラン我生命アルヲ知ラハ我カ衛生ノ理ニ通暁スルコト能ハサルニ非サルナリ

談話室

保健所の医師たち

著者: 原島進

ページ範囲:P.530 - P.531

 保健所はわが国の公衆衛生の第一線であるという。地域住民の健康についての世話を一手にひきうけるところ,健康についての直接あるいは間接に関係あることを処理せねばならぬところである。
 このため現在の保健所には十数種におよぶ専門の技術が集められていて,それぞれの専門家が地域住民の健康の世話をひきうけている。その中に医師たちもいることはもちろんである。

主題

保健所問題の焦点は医師

著者: 山下章

ページ範囲:P.532 - P.534

 このところNHKでは"麻痺する保健所"とか"保健所に赤信号"とかいうキャンペインを組んで,保健所問題に大きな関心をよせている。そのるつぼの中にいる者とはべつに,第三者的にも,とてもだまって見てはいられない実情があるからであろう。

編集室レポート

保健所医師の「科学性」を診断する

著者: 秦恒平

ページ範囲:P.535 - P.543

 保健所医師を考える観点はいくらもある。ありすぎて困るくらいだ。今日,保健所活動の問題を多少なりと掘りさげていくと,きまつて医師のことにぶつかる。もう少し厳密にいうと,医師を中心にした衛生技術者をめぐる「人」と「仕事」の問題にぶつかる。保健所問題の全貌は大きく深い。これだけで尽きるわけでない。しかも医師に限つてさえ視点はいくらもある。「保健所医師の科学性」といういささか迂遠とみえる途へ入つてゆくことにしたのだが,このレポートがどこまで追究できるか,読者の御叱正を願う。「談話室」「主題」「地域活動の中から」を併せお読みいただきたい。

地域活動の中から 保健所と大学をむすぶ新しいきづな

地域社会と遊離した公衆衛生学はありえない—山口大学の試み

著者: 野瀬善勝

ページ範囲:P.544 - P.545

 わが国の保健所活動には地域差があって,所長に人を得ている保健所は活溌であるが,そうでないところは低調である。また,医科大学のない県や,医科大学はあっても大学とむすびついていない県では,保健所活動が概して低調である。保健所活動を活溌ならしめるためには必ずしも大学とむすびつく必要はないが,数年ないし10年の長きにわたって保健所活動を活溌ならしめようとすれば,やはり大学とむすびつくことが医師の補給という点から考えてみただけでも好都合であるが医師以外の技術職員の再教育のためにも大学とむすびつくべきである。
 私は過去において,大学教授と保健所長を6カ年間(昭和29〜34年)併任したが、今日になって考えてみると,業績として残っているものは何もない。しかし,6カ年間にわたって短かきは2〜3年,長きは6カ年,私といっしょに保健所活動に従事した医師,保健婦,栄養士,食監,環監などの技術職員の数はかぞえきれないほど多く,しかも現在,衛生部や保健所の中核となって,地域社会の公衆衛生活動の推進力となっている者の大半が,上述の技術職員であることは,私の大きな喜こびである。彼らといろいろな会議や行事,または講演会や学会などであうたびに,お互いに懐古談にふけって,私から叱られたことが話題になる。こんなにたくさんの人を叱っていたかと思うほど叱られた話ばかりである。昔に変らず現在も熱心にやっている職員ほど昔をしのんで話題に花が咲く。

保健所実習に周到な配慮を—大阪市立大学の試み

著者: 大和田国夫

ページ範囲:P.545 - P.546

 大阪市大医学部の前身,大阪市立医科大学が昭和23年創立された当時,「本学は単なる医育機関にとどまらず,大阪市民のための公衆衛生に資する」という目的から,設立が認められたと聞いている。それ以来,前任者の滝内教授(現本学名誉教授)は,当時大阪市のモデル保健所であった,生野保健所の所長を兼任され,公衆衛生の実際活動に尽力された。
 本学の生い立ちに,前述の如き,強い理念が謳われてあるので,学部の3学年後期から4学年11月まで行われるポリクリに公衆衛生学を含め,各グループ(1グループ,2〜3名で,全部で14グループ)は1週間ずつ,1保健所の実習を行ない,2周目のポリクリには再び1週間,べつの保健所で実習することにした,これは保健所の特性を考え,異なった保健所で実習をする方が,地域のニードに応じて異なった活動を行う保健所事業を体得させることができると考えたからである。また3周目(最後のポリクリ)の1週間は前半を伝染病院の実習,後半は教授室において,保健所事業に関するtable discussionを行うことにしている。

公衆衛生学の中心は保健所であらねばならぬ—札幌医科大学の試み

著者: 金光正次

ページ範囲:P.546 - P.547

 最近の保健所の事情をよく知らないので的はずれになるかもしれないが,保健所と大学との関係について私見を述べたい。
 保健所が当面しているいろいろな問題のなかでいちばん切実なのは医師が足りないことではないかと思う。われわれにその補給を求められても,こちらも手不足だからなかなか応じにくく,これにはまったく当惑した。また数はそろっているが質の上で問題の多いところもあるらしい。ちょうど,そのころ厚生省の公衆衛生修学生制度が発足し私の大学からも5,6名が志望採用された。それで学生のときから刺激を与えれば将来の仕事に自覚を深めるだろうと考えて,市民の罹病調査をやらせた。大きい仕事のほうがはりあいもあるだろうと思って520世帯2,000名を1年間継続して訪問調査する計画をたてた。すこしむりかと思ったが,彼らは同級生や保健婦生徒を多数糾合して調査班をつくり,ついにこの仕事をやってのけた。また,このときのリーダーになった学生は,各大学の修学生に呼びかけて全国会議をひらく計画をたて,連絡などで大分苦労したらしいが曲りなりにも第1回の会合を実現した。このときの修学生からは1名の脱落者もなく,全員が各地の保健所で所長や課長などをつとめている。この経験から学生に情熱を燃やさせることが公衆衛生にすすむ者を生みだす根源であることを知った。しかしこの情熱を持続させるには卒業後の彼らの身柄をあずかる行政当局の協力がなければならない。

お互いの立場を尊重し計画を熟知し合つて—日本医科大学の試み

著者: 乗木秀夫

ページ範囲:P.547 - P.548

 私の教室は過去十数年にわたって,北海道根釧原野で,開拓衛生なるものを行なってきた。当時は,北海道各保健所に医師不足が極度にみられ,部長自ら学校当局に実状を訴えられたことにもよるが,教室員の相当数を,保健所へ派遣した。保健所長を経験したもの5名にも及んでいることだけでも,おわかりと思う。
 しかし,これをもって保健所と大学にきづなができたとは考えていない。その理由は,大学の目的が,教育と研究にあるなら,私どもは,研究のために保健所を利用したにしかすぎないし,また行政としても,医師の動きが,大学の指揮下にあることによって,大きな人事上の問題をもっていたことと考えるからである。

健康管理を支える二本柱—金沢大学の試み

著者: 重松逸造

ページ範囲:P.548 - P.549

1家庭および地域の健康管理について
 家庭と地域がわれわれの生活の本拠になっていることはいうまでもないが,健康管理という点では,たとえば主人は会社で,主婦は保健所で,子供は学校でといった具合にばらばらに管理をうけていて,現状では家庭や地域という同じ生活基盤の上に立った管理はほとんど行われていないといっても過言ではない。これはわが国で健康管理といえば,従来より事業所,学校といった接近しやすい集団を中心に行われてきたことによるものと考えられるが,同時に家庭や地域に対する健康管理組織が確立されていないことにも起因している。
 ここで,この問題を詳しく論ずる余裕はないが,結論だけをいうと家庭単位の健康管理には家庭医制度を,地域単位の健康管理には地域保健委員会制度を確立すべきであり,その実施責任は,家庭の場合は世帯主,地域(地方自治体)の場合はその首長が負うのが当然である。この場合,保健所は地域保健委員会の一員として,保健に関する情報の収集と提供,技術的援助などを担当することになろうが,同時に家庭および地域健康管理を推進するためのマネージャー的役割も重要視されねばなるまい。このような考え方に対しては種々の異論もあろうが,ともかく実践の結果を通じて批判を仰ぐべきであると考え,現在保健所と協力して実験を進めている。

論叢

指定都市の衛生財政と保健所

著者: 小栗史朗

ページ範囲:P.550 - P.553

 石垣氏の「保健所事業に期待するもの1)」以後ふたたび保健所問題がたかまつてきた。大和田氏は保健所問題が提起されたのは30年前後と37年前後であつて,10年来,未解決のままとり残されているのは,職員と財政不足であると指摘し2)栗原氏もその発展過程を省みて2),原島氏はほかの観点から4)現状の不充分さを確認している。
 これらのうち石垣氏の「地区の人々に愛される保健所事業」に発想をおく論者と,政策論的展開に主力をおく論者5)がいる。そのいずれも貴重であるが「保健所の使命は地区住民の健康保持にあることは不変である。この問題の解決に保健所が何等資するところがないとしたら保健所は社会的意味を失い当然解消さるべきである6),とする栗原氏の意見は,保健所の将来の指針であるだろう。

柳沢教授の「医師像」に関連して—8月号・談話室から

著者: 立身政一

ページ範囲:P.554 - P.555

 医師の倫理とか医道とかいったものが最近ポツポツと問題になりつつある。このことは裏をかえせば即ち我々10万の日本医師の恥辱につながるかもしれない。実態は「医は算術」という言葉を医師の口から吐いている現今でいながら,「本来の医師はどうあるべきか」ということを真剣に考える医師が何人いるであろうか。
 小生,数年来,柳沢教授には毎年2〜3回,親しくそのお人柄に接する機会に恵まれているが,いつかはこうした問題に関して,先生の御高見を拝聴したいものと思っていた。

保健所活動は果して夜明け前か—8月号・座談会から

著者: 長浦小一郎

ページ範囲:P.555 - P.556

 公衆衛生の未来を語るにふさわしい諸先生方の御意見を承わり,公衆衛生の第一線ともいわれる保健所職員にとって,きわめて興味深く読ませていただきました。近年,保健所活動のたそがれなどという声をきくたびに,どこの国の保健所のことかと思いたくなるほど,私たちの周囲は仕事でいっぱいです。だからたそがれとか壁ができたとかいわれるのかもしれません。私は所長として当所に赴任して8年目,管内は人口10万余の農村地帯で,保健所所在地からは,県都福島市は車で約20分のところにあります。職員は34名で,医師は所長のほか,昨春医師となった若い男医が1人です。さて本論の座談会の内容に入りますが,保健所活動の今後の問題点としてとりあげた保健所医師不足の問題,整理していい保健所の仕事,保健所長は医師でなくてはいけないか,この3点について私見を述べ,読者諸氏の御叱正を賜われば幸甚であります。

将来を論ずる前に内部態勢の強化を—8月号・座談会から

著者: 中島さと子

ページ範囲:P.556 - P.557

 この記事を読んで保健所の公衆衛生活動が新しい段階に入って,前向きの希望あるものである感じをうけましたが,しかしある面では一つの理想論であって,現実とは遙かに遠いところのものであるという気もちも抱きました。
 日本の公衆衛生は黄昏,または暗黒であるという悲観的な時期はすぎ,いまや希望にもえ,一歩一歩前進する夜明け前である,また,そうであってほしいと強く願う一人であります。

連載講座 公衆衛生活動のための精神衛生学・2

人間尊重と人間関係

著者: 進藤隆夫

ページ範囲:P.558 - P.561

■公衆衛生と人間尊重
 公衆衛生の背景をなす社会的基盤は戦後に一大変革をこうむった。それは社会と文化面における.民主主義への変革であった。統治構造は全体主義から民主主義にかわり,新憲法によって法治主義が確立した。行政は中央集権主義から地方分権主義に,官僚行政から民主行政へとかわった。言論,宗教,思想の自由と基本的な人権尊重が確立され福祉国家建設の目標が国民に明示された。憲法第25条の理念にもとついて衛生行政の機構や制度上に諸改革がおこなわれた。労働基準法,児童福祉法,結核予防法などの制定があり,国民皆保険方式による医療制度が達成された。
 国民の福祉のために最低限必要なこれらの施策の樹立の作業が終ったころ,公衆衛生活動のなかに新しい動きが萠した。今までのような他律的な動きから自律的な動きへの転換がそれである。つまり,市町村の自主性とその主体性の尊重の気風が生まれた。地域社会の住民の自主的ニードとその日常生活の尊重の考えが発展した。公衆衛生も医療も社会福祉も,この立場から有機的に総合されることの必要性が強調されるようになった。市町村は公衆衛生と社会福祉を総合した地区組織活動に積極性を示した。市町村は仙の機関からの技術援助のもとに主体性をもって地区の問題発見と問題の分析と対策の樹立をおこない,共同保健計画を実施した。

人体計測/事例

消化器集団検診における身長,体重の価値—とくに胃ガン患者の体格を中心として

著者: 辻達彦 ,   塚田穰 ,   七条小次郎 ,   中村篤 ,   大木一郎 ,   佐久間宏 ,   飯塚春太郎 ,   薗部光男 ,   関口利和 ,   斎藤昭三

ページ範囲:P.565 - P.570

 群馬県下数十地区の住民,男6493名,女9,488名 計,15,981名にっいて群馬方式による消化器検診をおこない,これら被検者をさらに体重増減率からみた体格より分類し,胃ガン32名,胃潰瘍63名,十二指腸潰瘍106名などとの関連を検索し,この種の検診における身体計測の意義を評価しようとした。すなわち体格別にみたこれら胃疾患の発見数と,休格とは無関係として統計的にもとめた期待数との比よりみると,十二指腸潰瘍と体格との関係はみられず,いかなる体格からも同程度の値を示した。胃潰瘍の場合には概してやややせ型にその発現が高く,胃ガンでは七条反応中間型および陽性型群に属するやせ型にその発現が集中の傾向が強い。とくに男では休重増減率+10%り上の比較的肥満群からのガン発現はみられないのが特異で,一方,女では11名の胃ガン中3名は肥満群に属するものであるのが対照的であった。
 以上の所見からこの程度の身体計測は,集検法としての群馬方式を活用するうえで,たとえば七条反応陽性群中のやせ型のものを重点的に狙うことにより,スクリーニングの精度をたかめるのに有効であると考えられる。さらに今後はこれまで第二次検診にふくめなかった一見健康者群も体格の面で取捨する必要性を示唆している。

高血圧管理/事例

死亡調査からみた高血圧管理について

著者: 桜井勝男

ページ範囲:P.571 - P.574


 中枢神経系の血管損傷による死亡が,結核による死亡にかわって,わが国の死亡統計の首位を占めてから,中枢神経系の血管損傷を含む高血圧性疾患の管理が公衆衛生の分野において,重要な位置をしめるようになった。したがって第一線の保健所にあっても,これらの対策について,検討せざるをえぬ実情にある。
 さて静岡県においては,昭和34年以来,県下4地区を指定し,高血圧集団検診を実施してきており,この成績については,高橋1,2)により報告されている。一方,同時に,前記の地域に居住するもののうち,高血圧性疾患により死亡したものについて,詳細な調査が行われている。すでにその成績については,高橋3)により報告されておる。また,昭和36年の成績も村上4)によって藤枝市の調査が報告されている。今回昭和36年の成績を検討することができたので,すでに発表されている34年度35年度の資料3,4)と比較検討し,調査成績の概要を報告する。

原著

1960年都道府県別人口の再生産率

著者: 水島治夫 ,   重松峻夫

ページ範囲:P.577 - P.581

まえがき
 1960年の全日本の人口再生産率について,「再生産率の赤字問題」として,本誌27巻,12号(1963)に私見を述べた。その要旨は,1957年以降,日本の純再生産率Net reproduction rate(NRR)が1.0以下(赤字)となり,1960年には0.925(出生の届遅れを補正せず)である。ところが動態統計では年間約90万の自然増加があったのであるから,一見矛盾するようである。しかし,それは以前の高い出生が,現在の人口の年齢構成に遺産の形で貯えられており(生殖年令層が多い),赤字がカバーされているためであって1960年の年齢別の出生率と死亡率が不変のまま永続すれば2005年ころまでは遺産がつづき,人口は自然増加を示すが,そのころになると遺産は尽き,赤字が表面化し,その後は9代240年の半減期をもって減少する。これは今日のところ,全世界中ほとんど日本だけの事態であり,再生産率が回復しなければ,ついには民族自殺問題に直面せねばならぬこととなる。さし当り,まず優生保護法の一部を改正し,人工中絶を抑制すべきであるというにあった。この所見に対し多方面から反響があったのは,筆者の意を強うするところであるが,法改正はたやすく行われにくいもののようである。
 しかし日本人口の現在のpotentialが広く正しく認識され,その対策が速かに講ぜられることを期待するものである。

入院看護サービス向上のための実験的研究

著者: 湯槇ます ,   金子光 ,   木下安子 ,   兼松百合子 ,   波多野梗子 ,   矢野正子

ページ範囲:P.583 - P.589

 現在,病院における看護要員の不足が,きわめて深刻な状態となってきていることは,しばしば各方面より指摘されている1)〜6)。それにともなって看護内容についてもおそらく不充分な状態にあろうことは想像されるところである。
 看護内容に関する研究は,タイム・スタディー業務分析などの方法によっておこなわれたものが多い。7)〜19)これらは現状の看護要員構成によっておこなわれた看護内容の主として量的な分析であって現段階の「あるがまま」の実態をしめしているが,患者の必要性に対してどれほど応じられたかは明らかでない。

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News References in August '64

ページ範囲:P.562 - P.563

都の水キキン衆院で追及(1日・朝)
ダム渇水で川が下水化異常渇水で東京浄水場に流れ込む川の水の汚れがひどくなり浄化に薬品を数十倍要している。(2日・朝)

未熟児家庭訪問指導のかんどころ(3)

著者: 青木康子

ページ範囲:P.564 - P.564

V.指導は重点的に行なおう
 育児は母親のもの 訪問指導をなにかの検査を受けるような態度で迎える母親がある。と同時に指導者も訪問時に母親の育児の方法について批判がましくいうことがある。そのような関係の母親と指導者は,ちょうど先生がみている時はお行儀よく,いなくなるといたずらをする小学生のようなもので,母親が自主的に育児をすすめてゆく態度を養なうためには,極力さけねばならない。
 つねに児を観察し,世話をする母親にとっては,四六時中が育児であり,毎日行なっていることの一つ一つが育児につながるものであることを自覚させ,訪問時のためだけの育児であらせてはならない。訪問指導はそうした毎日の流れの中の歪みをみつけ,その歪みを母親自身に気づかせ,矯正するようにするものである。

詩・秋の歌から(ボオドレエル)

著者: 永井荷風

ページ範囲:P.575 - P.575

 吾等忽ちに寒さの闇に陥らん。
 夢の間なりき,強き光の夏よ,さらば。

手記・東ヨーロッパの旅から

著者: 小原かつ子

ページ範囲:P.576 - P.576

 こんど東ヨーロッパ7カ国を40日間歩いてみて,いちばん感じたことは,どこの国でもその国の医学が大衆のふだんの生活の中で生きて使われていたことだ。
 その実例を二つばかりあげてみよう。

刷新の弁

著者:

ページ範囲:P.534 - P.534

 「公衆衛生」はいまや一新の気運を呼しつつある。
 久しく伝統の旗幟をかかげ,多くの読者の眷顧を得てきた本誌は,夙く「公衆衛生学雑誌」の時代を脱皮して「公衆衛生」と装を改めて以来,一途に学と実践の架橋を企図してきた。顧て現下の趨勢を卜するに,十年一狐裘すでに時流に先後して公衆の衛生と保健を公論するには今一趣の新装を工夫すべき時期と思われる。陽春白雪の詩には和するもの少なしとあるが,読者の要望に応えた企画と編集を考えるとき,強弩の末勢を再び振起して刷新の面目を呈さねばならない。

「推薦論文」の意図について

著者:

ページ範囲:P.557 - P.557

 前号に編集委員会推薦論文として小松寿子氏他の「僻地における教育環境の公衆衛生的実態」を掲載したところ,多くの反響があった。内容の秀れた点についてはともかく,「推薦」の意味を問われた方も多かったので,本誌の姿勢をはっきりさせておきたい。
 8,9,10月号と御覧いただいて本誌一新の志向がどんなものかは御承知と思う。公衆衛生学の特殊研究に多くを割くか,テーマ特集に重きを置くか,いずれにせよ「論文」が多かったのを,各種固定欄方式に切りかえて立体的な編集雑誌とした。しかし,これは決して学・研究を疎外軽視したのでなく,より意義深く活動に豊かな示唆と方法を与える論文なら,積極的に「推薦」して大方の関心を集めたいのが本意なのである。

DESK・メモ—丹波の徳利

著者:

ページ範囲:P.561 - P.561

 清水坂を下るうちに夕かげは濃くなってきた。清閑寺から辿って来た脚が心もち重い。古い雑器を売る店なども奥の方はくらくなって,わずかに道へせり出した板土間などにはさすがに残る夕日が微妙な縞目をうつしていた。丹波の徳利を寂びしい夕ぐれの店の隅にみつけたのは,草臥れた脚をほっと休めるしおでもあった。ステテコ姿の取的みたいな主人がくらい中から白い大きな顔をみせて,「へ,ゆっくり見ていとおくれやす」と灯をつけた。切って落したように外がくらくなった。
 「名ばかり丹波」で仕様もない代物だが窯はぜが美しい景色をつくり,肩から口への立ちあがりがむしろ京焼あたりの優しみをただよわせている。一升ばかりのものか,水でも入れて重みをつけたいお手軽な徳利を,いくらか値切って買うことにきめた。

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

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