特集 世界のなかの綜合保健
海外事情
西ドイツの綜合保健—その考え方と実情
著者:
池田忠義1
所属機関:
1東京都大森保健所
ページ範囲:P.84 - P.87
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公衆衛生統一法(Gesetzüber die Vereinheitlchung des Gesundheitswesens)によって初めてドイツに統一された衛生行政が生まれた。法律は1935年4月1日に公布され,ドイツはナチの時代であった。この法律の狙いは二つあった。一つは州や市の異なった行政のレベルで術生行政の分裂混乱があり,また,同じレベルにおいても部門のセクショナリズムからくる権限の交互があったのでこれを解消して一元化することであり,他の一つは,分裂のため弱まり萎縮してしまった衛生行政の発言権を復活することにあったのである。公衆衛生が行政の各部門で発言権をもつ理由は,その地域の衛生のすべてにわたって包括的な知識を前提とした場合に限って許されることである,狭小な部分的な分野における知識は,他の行政の分野に対してなんの発言権ももてないからである。
以上二つの目的のために,統一法は,前市あるいはKreis(合併した市,郡のようなもので人口は10万前後が多い)のすべての公衆衛生事業を一つのAmt(行政的な事務や事業をあつかうところをAmtと称する)すなわちGesundheitsamtに統一したのである。Gesundheitsamtを保健所と訳すと誤解がおこるからちよっと説明しておきたい。