icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

公衆衛生31巻4号

1967年04月発行

雑誌目次

主題 救急体制の諸問題

交通外傷と救急輸送体制

著者: 岡村正明

ページ範囲:P.190 - P.197

 交通事故の増加にともなって,わが国の年間交通事故死も昭和41年は13,900人(24時間以内死亡)と著しく上昇している。交通事故による傷害が重大な社会問題となっていることはいうまでもないが,この問題に対しては,事故の防止対策の重要性に劣らず,これらの災害により発生した傷者の救命救急医療対策が重要事項としてあげられることも当然であろう。
 このような観点から,わが国の救急体制,特に輸送体制について,交通傷害を中心としてその概略と2,3の問題について考えてみたい。

活動 各地の救急対策の現状と問題点 京都の場合

赤十字病院の経済的・人的援助を背景に

著者: 宇山理雄

ページ範囲:P.198 - P.203

 京都第二赤十字病院の救急医療に関する歴史は古く,すでに昭和26年に病院内部に特別に救急病棟(約30床)を設けて,救急患者の収容に当った。当時は市街を走る車両数も少なく,交通事故も今日のように重要な社会問題として取りあげられていない時代であったが,災害救護を第一の使命とする赤十字病院の立場から他病院にさきがけて設けられたものであった。当時は救急車で運ばれる患者はどこの病院もあまり歓迎しなかったので,京都市内の救急事故の約6割が集まるありさまで,救急患者を収容しきれない状態となったので,昭和31年2月に現在地に古い外科病院を買受け内部改造を行なって,京都第二赤十字病院救急分院として発足した。この病院は救急処置を要する患者,たとえば交通事故およびその他の災害による負傷者,内科的あるいは外科的重症患者で救急蘇生術あるいは救急手術を必要とする患者などの特殊な患者のみを収容する救急専門病院であって,一般外来患者はまったく診療しない方針で出発した。したがってこのような特殊な病院は日本赤十字社内にはもちろんのこと,広くわが国においてもはじめての試みであり,その運営はきわめて困難を伴うものと予想された。しかし京都第二赤十字病院という母体を背景とした強力な経済的ならびに人的援助と,今日までに培われた古い歴史的な基礎がものをいって順調に発展した。

仙台市の場合

テレビによる患者管理方式の採用

著者: 岩本正信

ページ範囲:P.204 - P.210

 外傷患者の処置は特に第2次世界大戦が始まって以来,絶えまなく改善されてきた。ことに外傷患者を含めて一般救急患者に対する十分適切な初療(First Aid)の必要性が叫ばれるようになった。すなわち,十分適切な処置を事故現場(災害現場)で行なった後に病院に輸送する扱い方(第1図)であり,この間,医師の管理下におくことを理想としている。しかし,実際に救急車を運営する場合,医師を救急車ごとに乗務させることは困難で,かなり医師でない救急隊員がこれにあたり,高度な教育訓練を受けているとはいえ,一般常識的な救急処置に限られているのが現状である。
 そこで,なんとかして医師や医療器材を事故現場に急行させたい。それが困難な場合には,何らかの方式で事故現場または輸送途上の患者と医師を間接的にむすびたいと望まれ,種々の方式による研究が進められてきた。

名古屋市の場合

東海交通災害コントロールセンターのTACCシステム

著者: 高木健太郎 ,   橋本義雄 ,   榊原欣作 ,   榊原文作

ページ範囲:P.211 - P.219

はじめに
 近年の交通事故をはじめとする各種の災害と,これによる死傷者との激増にともない,救急体制に対する関心が高まってきた。
 われわれは,数年前からこの問題に関して,「東海道交通災害コントロールセンター」(略称TACC)システムの構想を提唱し,各方面のご協力を得て,その実現につとめてきたが,昭和42年1月24日ようやく着工した。

大規模災害時の救急対策 三井三池災害の場合

各種医療機関の協力を得て

著者: 馬場快彦

ページ範囲:P.230 - P.234

 昭和38年11月9日,三井鉱山三池鉱業所三川鉱において爆発災害が発生し,爆発とそれに伴って発生した後ガスにより,坑内にて1,403名が罹災し,458名の死亡者と,およそ750名の一酸化炭素中毒症患者を出した。このように多数の罹災者が一時に発生したとき,その救急活動は三池鉱業所病院を主体に展開された。しかしこのような大規模災害ではその活動能力をこえたため,大牟田市医師会,国立療養所銀水園,荒尾市民病院,関連事業所などの医療機関の医師,看護婦などの協力によって救急活動がされた。坑内,坑外にわたり懸命に行なわれた救急活動の全般について,完全な記録は望めない状態であり,また救出者のうち435名は意識不明で倒れており,このなかに災害時の記憶のない者が178名あり,以後の調査によっても必ずしも完璧を期していない。さらに罹災生存者の救出活動は約19時間にわたっており,ここにはその救急活動の概況を示すにすぎない。

新潟地震の場合

情報の収集と適切な対策が効を奏す

著者: 渡辺宏

ページ範囲:P.235 - P.239

地震の発生とその被害
 昭和39年6月16日午後1時2分,新潟県粟島南方沖の深さ40km地点を震源とした新潟地震が起こり,新潟県の北部および山形県に多大の被害をもたらした。この被害は地震に続発した地盤の沈下,噴砂,地下水の噴出,津波や火災により倍加された。ことに新潟市は,その被害の中心地区となり,信濃川河口部沿岸の新埋立地帯などで「流砂現象」や「噴砂,噴水」が著しく,地盤の低いゼロメーター地帯では「津波,浸水」など水の被害が目だち,火災が被害を大きくした関東大地震や福井地震とはきわめて対照的であった。
 炎上火災は新潟地震災害のうち最大の被害をもたらした昭和石油製油所を含めて,石油工業関係3件,その他1件の計4件にすぎないが,「oil aga」といわれる現在,火災の大部分が石油工業から発生していることは,将来大いに注目されていいことではないだろうか。

グラフ

活躍する救急センター—神奈川県交通救急センター

ページ範囲:P.186 - P.187

 交通戦争といわれるほど交通事情は緊急の事態になってきているといわれる。交通行政の貧しさは,激増する自動車量と旧態依然たる道路の状態との二面から,交通マヒや交通事故の頻発現象を慢性化している。ここに救急病院の存在は最も今日的な意義をもってきている。本誌はグラフで,救急センターの実態をとらえることにした。全国の交通事故数は昭和40年度の統計では438,150人,そのうち死亡が12,484人もいる。全国の救急車567台がフルに活躍して,救急指定病院3,493(42年1月末現在)に運んでくる。
 神奈川県交通救急センター(40年7月完成,センター部長・橋本尚之氏)は済生会神奈川県病院の一角にある。地下1階,地上4階の近代的なビルで,国電東神奈川駅の西側に位置し,交通の頻繁な国道一号線(第二京浜国道)と横浜バイパスに通じる国道にはさまれた三角地帯にあり,立地条件は患者の運搬,収容に最適である。

談話室

救急とは何か

著者: 福田保

ページ範囲:P.188 - P.189

 外傷や中毒その他の急性疾患のなかには,即刻なんらかの処置を施さなければ危険に陥り,すでに危険の状態にあるものもある。そのような患者に対して,とりあえず応急の処置をとることにより,不良の状態を好転させたり,しばしば生命を救うことさえある。緊急の場合であれば,医師でなくとも即座に,あるいは病院などに運ばれる途中でも手当をしなければならない場合がある。たとえば出血しつつある傷者をみた場合では,誰でもできるその局所を圧迫したり,戦時中に一般の人々に教育されたように,止血帯の利用法などがあって生命を救われた例はある。また呼吸停止の患者があれば,人工呼吸を加えたり,心停止の患者をみたらすぐに一応用手心臓マッサージを加えて蘇生させることもできるであろう。
 以上のような処置は救急の一部であるが,本格的な救急処置が行なわれるためには,その設備が整っていて,常時専門医のいる総合病院や,特に設けられた救急センターでなければ救急は完全とはいえない。いずれにしても,設備のある救急医療機関に患者を送り届ける前から,運搬中に始まって,医療機関で行なわれる緊急的処置を施すまでが救急の仕事であるといえる。

海外事情

欧米主要都市の救急医療体制

著者: 鈴木又七郎

ページ範囲:P.220 - P.225

 救急医療という言薬が生まれたのは,つい2〜3年前のことであった。救急医療体制の確立強化を急げ!という世論が沸騰しはじめたのも,つい先頃であったように思う。そうかと思うと,救急業務などといって,医師法で定められた仕事と,そうでないものとが一緒になってピントのぼけた言葉も現われてきたしまつである。こうした与論が起こってきたその最初は,東京を代表としてわが国の多くの新産都市が,爆発的な人口と産業の都市集中,すなわち,"集中と再開発"という急激な勢いで発展してきたことにある。この発展に対して激動する都市化問題について未熟な政治力と遅れた社会開発とがついていけず,結局,理想の都市構成と,現実との間に多くの断層が露出して,その結果いろんなところに機能のマヒを起こしてきたためではないだろうか。
 たとえば,ここで述べようとする主題のなかで,年間交通事故の犠牲者の数が,史上最高という悲しい記録と,一連の関係にある"救急医療体制強化"という切実な声も,実はこうした未完成都市の断層の間から湧き出してきたのであろう。

随想

衛生の旅—Dr. Dahlとのであい/Dr. Meneelyとマンモスとタイガーと

著者: 佐々木直亮

ページ範囲:P.226 - P.229

 1959年1月29日付で,私はDr. Dahlから次のような手紙を受取った。それは,私が彼の仕事に興味をもち,東北地方における高血圧と食塩摂取についての私の論文の別刷を送ったことに対するお礼の手紙であった。
 …I would be delighted to continue a correspondence with you, and in particular, I would be pleased for any specific information that you may have on the salt intake in the various prefectures from north to south in Japan.

講座 情報科学とその応用・1

医学における情報科学の基礎

著者: 高橋晄正

ページ範囲:P.240 - P.245

Ⅰ.生活と環境の科学
 情報科学の系列
 医学の目標は,対象とする集団の健康の水準を高め,病気という事故を予防し,起こった病気はなるべく早く発見し,発見された病気はなるべく早く,なるべく完全に治療するということである。わたくしたちの生命はつねにその周囲から脅威をうけているから,生命を脅かすものにたいする戦闘を分担しているのが医学であるということになる。戦闘に勝つためには強力な武器を持つことも必要であるが,戦闘の態勢をどのように行なうかという作戦の研究も必要であることはいうまでもない。
 病気にたいする戦闘には,敵と味方の状態をたえず把握しておく情報収集のしくみと,これから最大限の情報を汲みとるしくみが必要である。すなわち健康管理といわれるものがこれに相当するものであろう。それは企業体のなかで職場単位で行なわれるだけでなく,国民の全階層と環境のすべてにたいして常時行なわれていなければならないものである。それによって発病の前徴としての臨床症候を早期にとらえ,打つべき有効な手順が早期に実施されることが期待されよう。

厚生だより

BCG経皮接種について

著者:

ページ範囲:P.246 - P.246

 近年における日本の結核の減少はめざましく,とくに青少年層の結核の減少ぶりは最も顕著である。この原因として考えられる最も大きいものをあげてみると,第1は感染源の減少であろう。このなかには結核医療の普及と命令入所制度による感染源の隔離がある。次にBCG予防接種の普及が大きな役割を果たしている。
 BCGがわが国で,広く用いられるようになったのは昭和17年以降である。これが全国的に普及したのは,日本の学者による広汎な研究成果に基づくもので,BCGが結核発病を少なくとも1/2〜1/5以下に減らし,結核死亡を1/8以下に減らすことが証明されたからである。昭和23年の予防接種法の制定,昭和26年の結核予防法の制定により,30歳未満のツ反応陰性者,疑陽性者には義務として,BCG接種をうけることが定められた。

昭和42年度厚生省予算(案)の大要

著者: Y・G

ページ範囲:P.247 - P.248

 昭和42年度予算の政府案は,去る2月28日の閣議において決定された。一般会計総予算の規模は,4,950,910百万円であり,昭和41年度当初予算額4,314,270百万円に比べて14.8%の増となっている。(総予算は,石炭対策特別会計の新設に伴う歳入歳出の異動がなければ,4,998,401百万円である。)
 これに対し,厚生省所管の一般会計予算額は,別表に示すように671,373百万円で,41年度当初予算額576,177百万円に比べて16.5%の増となっている。

ニュースの焦点

東大医学部全学ストの経過と問題点

著者: 村松博雄

ページ範囲:P.249 - P.249

 全国の研修医の連合体である青年医師連合体は,インターン制度廃止,無給医の解消など医師養成制度の全面的改善を要求していたが,40年3月の卒業組から全国的にインターンは出身校病院にたてこもることを方針とし昨年8月1日には今春の国家試験をボイコットすることを決議していた。東大支部の場合は,昨年11月30日,当時の東大病院長代理の切替教授に交替文書に判を押させた。その内容は,第1の条件として,現行のインターン期間を自主研修期間とし,大学病院に限定して二学級分つまり昨年卒の研修医と今年卒業予定の研修医計約300名を受け入れること,第2に研修のカリキュラムの作成を自主的にやらせよ,という2点であった。ところが,病院長は判を押したが,教授側から問題になり特に内科からは,その実情を無視していると猛烈な反対が出た。そして,希望者の多い三内科の配置人員について研修医,学生側が69人を要求したのに対して,病院側は46人が限度と主張して対立した。こういうことから,研修医,学生側は硬化し切替病院長代理との約束を無視した主任会議,教授会,医学部長の責任を追求して,本年1月26日全学ストに突入することになった。
 インターン制度に関する問題だけであるのに全学ストに発展したのはなぜだろうか。これは研修医,学生側に教学側にいい医者を育てるための具体的なプランがあるのかどうかという疑問があったからである。

ひろば

保健所から民医連へ

著者: 小池善一

ページ範囲:P.248 - P.248

 簡易保険健康相談所に約10年余保健所に20年足らず,そして民医連に加盟の病院に4年足らずというのが医学部卒業後の約35年の私の職歴である。30年にわたる官庁勤めから民医連に入って一番強く感じたことは,ここの職員が自分から仕事を探し,進んで困難にあたるいきいきした奉仕精神に溢れていることである。医学や衛生についての素養のない事務職員が,法規と行政慣行をふりかざして医療その他の技術屋の足をひっぱるのが保健所や県庁衛生部の実情である。これに反して,人民の疾病を治療し,健康を増進することを主たる任務とする民医連では,医療の中心となる医師の要望はかゆいところに手の届くようにこれを充足させチームワークもよくして,100の力を120に働かせるようにもっていく。行政的に上から下を抑えつけるのでなく,医局,看護婦,衛生検査,給食などは毎週各部会を励行して各員の活発な意見を出させ,各主任はそれをとりまとめて院内の主任会議に出し,その要望の重要なものは月2回開催される常任理事会に出す。たとえば医師と看護婦は診療態度などについてまったく平等の立場で批判しあうのである。経済的にはもちろんガラス張りで,収入予定が満足されたらボーナスも支出予算どおり支給するという。政治的ならびに経済的民主主義を徹底させるように努力している。

モニターレポート 岐阜から

"たくましい子どもの育成をめざして"岐卓市学校保健大会開かれる

著者:

ページ範囲:P.225 - P.225

 岐阜市学校保健研究会は,14日午後1時30分から市役所で開かれた。同大会は"たくましい子どもの育成をめざして"をスローガンに市内小・中学校医をはじめ,保健主事,PTA役員など約300名が出席,なかでもPTA関係のおかあさんたちの参加が多く目だっていた。41年度の学校保健の総まとめともいうべき大会だけに,この一年間の実践記録や研究発表がおもな内容。
 まず市内の小学校教諭の実践記録の入選者の表彰が行なわれた。ついで研究発表にうつり,昨年市学校薬剤師会が市内の小中学校を対象に行なった「学校環境衛生」の調査で気づいた点を同会大宮正雄さんが発表。「学校保健委員会の運営と問題について,同市でも模範的運営が進められている方県小学校の野々村進PTA会長が一年間の運営経過を話した。

救急の資料

東京都消防庁統計書(昭和40年)より抜粋

ページ範囲:P.210 - P.210

基本情報

公衆衛生

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1170

印刷版ISSN 0368-5187

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら